1ヵ月間の中国西部(7)吐魯番 ❹ 2024.07.20


【6日目】トルファン3日目の続き。今回は先ず、アスターナ古墓群から高昌故城、高昌古城から昼食場所へ行くまでの車内から見えた風景、次に昼食をとった食堂の様子、最後にベゼクリク千仏洞とその周囲の様子を紹介する。


アスターナ古墓群~高昌故城  運転手さんの話によると、私が宿泊しているホテルがある市街地は近年新たに開発された場所で、それ以前はアスターナ古墓群や高昌古城周辺の集落に多くの人々が生活していたという。運転手さんの実家もこの地域にあり、現在も親戚が暮らしているとのこと。車内から見た限りでは高いビルはなく、通気の良さそうなレンガ屋根の独特な建物が多く確認できた。路上でナンや瓜を販売する様子を見ると、時間の流れがゆったりとしているようなイイ雰囲気を感じる。


高昌古城~食堂「火焰山著名黄面烤肉」  基本的には上で紹介した集落の様子と変わりないが、途中に立派なイスラム建築物があったので見学した。入口建物の奥には広い墓地が広がり、礼拝所らしき平たい建物も見える。敷地内は樹木が少なく、墓や通路、建物も含め辺り一面が乾燥した土色であるのが印象的だ。 


「火焰山著名黄面烤肉」で昼食  高昌故城の見学後、ベゼクリク千仏洞へ行く前に昼食をとる。運転手さんに紹介された食堂は観光客だけでなく地元の人にも人気の店だという。見ると様々なご当地料理が並んでいる。羊肉串を焼いている匂いが食欲をそそる。魚の串焼きも見えるが、元々この地域では魚は獲れず、また魚を食べる習慣もなかった。近年、他の地域から養殖魚が流入されるようになり、今では定番メニューになったとのことだ。
さて私が注文したのは看板メニューの「黄麺」「羊肉串焼き」「焼きナン」の三つ。特に黄麺は初めて食べた。平麺と細麺の両方が入っていて、少し酸味のある冷たいスープがかけられている。ツルッと喉越しが良く、暑いこの時期には最適の一品だ。羊肉串焼きも焼きナンもお世辞抜きにとてもおいしかった。


ベゼクリク千仏洞  概アスターナ古墓群や食堂からは車で北に約20分の距離。概要については、トルファン博物館で無料配布されていた千仏洞の紹介小冊子を複写・掲載する。それによると、場所は火炎山中腹にある木頭溝河岸の崖に築かれた。麴氏高昌国時代(498‐640)から13世紀末までは造営・管理されていた。14世紀以後、トルファンにイスラム教が伝播し、15世紀以後には廃棄された。20世紀初頭、ドイツ、日本、イギリス等の探検隊によって壁画や仏像、文書等が持ち去られた。現在、83の洞窟が現存、40ほどの洞窟に壁画が残っているという。

この日に公開されていたのは第16、17、22、27、31、33、39号の計7窟。それらを実際に見学すると、塑像は全くなく、壁画も完全なものは一つもなかった。つまり破壊の程度が非常に激しかったということだ。歴史的に支配者が次々と変わるような不安定な地域では、遺産の保護が困難なのは理解できる。またその一部分が世界各地の博物館に所蔵されているは分かっているが、現地ではとても虚しく残念な気がした・・・。

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ベゼクリク千仏洞の見学後、「火焔山」「交河故城」の順に見学を続ける。それらの記事は紙面の都合により次編で述べる。

1ヵ月間の中国西部(6)吐魯番 ❸ 2024.07.20


【6日目】トルファンの3日目。この日はタクシーを1日チャーターし、市郊外に点在する「アスターナ古墓群(阿斯塔那古墓群)」「高昌故城」「ベゼクリク千仏洞(柏孜克里克千佛洞)」「火焔山」「交河故城」を観光した。

アスターナ古墓群  最初の訪問地で、市街地にあるホテルから東へ車で約40分。途中、迫力のある火炎山が進行方向の左手に現れる。現地には10時に到着。その時、見学者は私一人だけだった。現地の説明文によると、ここは高昌国時代の公共墓地で、総面積は約10キロ平方メートル。ネットで調べると東京ドーム約214個分というから、かなり広大な墓地である。西晋から唐までの時代の墓が確認されているという。まさに貴重なタイムカプセル群で、発掘されたミイラや副葬品、壁画などから当時の様子を知ることができる。ただ一般見学者に公開されているのは3つの墓地だけだったが、まぁそれで十分であろう。なおトルファン博物館にもここから出土したミイラや文物の一部が展示されている。

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見学通路を歩いていると、あちこちに発掘作業した時の穴がそのままの状態で放置されている。それもまた雰囲気があって面白い。墓の見学後は展望台に上って周囲を見渡す。墓地エリアは遠くまで土盛りがたくさん確認できるが、発掘調査はすべて完了したのだろうか。他の方向に目を移すと、壁を隔てて現代のイスラム墓地が広がっている。また広大なブドウ畑の向こうには赤土で燃えているように見える火炎山がきれいに眺められる。さて次は高昌故城だ。


高昌故城  アスターナ古墓群から南へ車で約15分。麴氏高昌国時代(498‐640)の629年、唐・長安を出発した三蔵法師・玄奘が天竺へ向かう途中で高昌国を訪れ、国王の麹文泰から手厚い保護を受けた話は有名である。時は流れ645年、玄奘が天竺から大量の仏典を持って長安へ戻る時に高昌国はすでに滅亡していた。何とも虚しい世の中である・・・。

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高昌古城の見学後、昼食をとってから「ベゼクリク千仏洞」「火焔山」「交河故城」の順に見学を続ける。それらの記事は紙面の都合により次編以降で述べる。