一泊二日の南翔(下)2014.06

食事は、やはり小籠包である。南翔に着いた日の昼食と夕食、そして翌日の朝食も、すべて小籠包を食べた。それぞれ別の店で、味も多少異なっていた。小籠包以外には、「鱔絲麺」がおいしかった。

宿は、以前よく利用していた「錦江之星」だ。1泊230元、快適に過ごすことができた。就寝後、開けた窓から、涼しい風にのって、おっさんの元気な歌声がかすかに聞こえてきた。どこか近くにKTVがあるのだろう。一人暗い部屋の中で聞く、誰かのぼやけた歌声、ちょっとした旅愁を感じるのであった。

昨日は午前9時に上海外大の部屋を出発し、今日は午後3時に戻った。短い旅ではあったが、充実感があった。とても満足している。もしまた行く機会があれば、錦江之星の近くにある日本料理店「北海道」へ行ってみようかと思う。

一泊二日の南翔(上)2014.06

端午節のため3連休となったので、小旅行をすることにした。最近は体が疲れやすいので、できる限り近場でのんびりしたい。南翔は地下鉄でも行くことができ、おいしい小籠包もあるという。また多少の歴史遺産もあるらしい。そこで南翔に行くことに決めた。

今回観光した場所は、「古猗園」、「檀園」、「留雲禅寺」、「南翔歴史文化陳列館」、そして「老街」にある諸々の歴史遺産である。「双塔」は、二つ並んだ姿が美しく、存在感があった。「檀園」では、ある建物の石門が白壁と調和していて、とても美しかった。

壇園で見た『二十四孝』の説話のレリーフも上手に彫られており、躍動感があった。その中、「埋児奉母」の話は怖くて悲しい話だ。後漢の郭巨は母親の食糧を心配し、口減らしのため子を埋める穴を掘っていたら、中から黄金が出てきたという話だ。他に、「恣蚊飽血」の話も興味深い。晋の呉猛は8歳の時、家は貧しく蚊帳が買えないので、父の安眠のため、夜になると自ら服を脱いで蚊に刺され続けたという。レリーフの本当に痒そうな呉猛の姿、当時の人はこれらを見て自身を戒めたということか。

留雲禅寺では、大雄宝殿の入り口に座っていた僧侶が、何とパソコンでマリオのようなゲームをしていたのだ。畏れ多くも大仏様の目の前で堂々とゲーム遊びに興じる。私はそれを見て、最初は驚き怪しんだ。しかし人を見かけで判断してはいけない。彼のような人こそが、すでに悟りを開いた老大師の真の姿なのかもしれないのである。ただ僕が背後から近づくと、何か動揺したような動きがあったのが少し気になったが…。

街を散策していると、民家の横に石橋があった。碑があり、「大明橋」という。向こう端の道は閉鎖されていて、今は通り抜けができない橋となっている。その後、南翔の古地図(清代、1806年)が展示されていたので、その橋を確認すると、橋の名は「大名」であった。どういうことだろうか。 (つづく)