寧波市内を流れる奉化江
今思い出しても、とても残念である。後悔する気持ち、あきらめの気持ち・・・、複雑に交じり合う。しかし、すべては僕が悪かった・・・。
はじまりは、僕が京都市北区鎮守庵町に住んでいた頃であるから、約20年前のことである。出会いの場所は、寺町の「松本松栄堂」である。初対面で、僕は康さんが好きになった。いわゆる一目惚れである。康さんはとてもきれいで、輝いていた。ただそこには呉昌碩さんも同席していて、そちらも少し気になっていた。そして数日間考えた末、康さんとのお付き合いを決めたのだ。
歳月が流れ、僕は寧波の日本語学校で働いていた。たいへん情けないことであるが、僕は金に困り、しかたなく康さんと別れることにした。別れの場所は、鼓楼近くの「雪斎画廊」であった。康さんとは18年間くらいの長いつき合いだった。日本で出会い、中国で別れる・・・。
一度別れたら、再会することは困難である。2年後、雪斎画廊を訪ねてみたが、やはり康さんの姿はなかった・・・。 悲しんでいても、しかたがない。今後、また新たな出会いに期待して、明るい気持ちで生きていこうと思う。さいごに、康さん、今までありがとう。そして、さようなら・・・