松江大学城滞在記【旧市街編2】2018.05

★大倉橋  中山西路の西端近く、玉樹路の手前にこの石橋はある。維基百科によると、原名は「永豐橋」。明の天啓6年(1626)に架けられた。なかなか立派な橋であるが、人通りはほとんどない。

★西林禅寺  維基百科によると、西林禅寺は南宋代の創建。立派な「圓應塔」は明の洪武25年(1392)の重建で、その際の「西林禅院圓應塔記碑」が残されている。

★東岳廟  維基百科によると、創建時期は不明だが、宋初に廟の規模が拡大したという。現在の大殿は2003年に復元されたものだ。周辺の廟前街や長橋街などには店が立ち並び、庶民が楽しめるにぎやかな地区となっている。

★董其昌尚書坊  「坊」とは「牌坊」のことで、門の一種である(参考:周荘の牌坊)。そしてこの牌坊は董其昌を顕彰するために建てられたのであろう。現在は一本の石柱と夾杆石(柱の支え)の一部のみが残る。

追記:2019年、「程十髪藝術館」(石柱のある場所から徒歩約10分)を参観したとき、董其昌尚書坊を写した古い写真パネルが展示されていたので、それを撮影、転載する。写真の撮影時期は不明。(2019.08)

★雲間第一楼  「雲間」は松江の別称で、維基百科によると、元初に松江府署を建てた時、その譙楼(見張り台)としてこの楼も建てられたという。その後重建が繰り返され、現在の楼は20世紀に復元されたものだ。今は松江二中の正門となっている。

★松江博物館―赤く塗られた謎の石碑―  私が訪問した日は、小学生の参観活動日で、館内外は子供たちで大変にぎやかであった。引率している男性教員の格好を見ると、なかなかオシャレで、新世代の教師というイメージである。さて、敷地内には碑林があるが、ある一基の碑は、倒されたのか、なぜか地面に横たわっている。しかも碑面には赤い塗料で塗られた跡がある。傷みも激しく、多くの文字が判読不能である。 一体何があったのか?この碑に対して松江の人々は何らかの不満を抱いているのだろうか?あるいは単純に紅衛兵の仕業か?建立時期を見ると「光緒二十年甲午冬十月」(1894年)で、日清戦争が勃発した年である。参観したその日、松江は猛暑で、無念にも私は半熱中症になってしまった。頭はフラフラで目まいがし、体全体がだるく、わずかだが吐き気も感じた。これは赤い碑のたたりか!?結果、館員に赤い碑の経緯を聞くという発想も浮かばず、碑文内容を読むという気力もなかった。帰国後ネットで少し調べてみたが、結局何の手がかりもつかめなかった。

さいごに  松江旧市街には、以上で紹介した場所以外にも、清真寺や程十髪美術館など見どころはまだ有る。それらは次の楽しみに残しておこう。

松江大学城滞在記【旧市街編1】2018.05

松江城区の地図で大ざっぱに言うと、滬昆高速以北は新開発地区で、高速以南には旧市街地が存在する。旧市街は約26年前に一度訪れたが、当時の記憶はかなり薄い。写真も撮影はしたが、その後カメラ(借用品)を紛失し、松江の画像は一切残っていない。今考えてみても大変残念なことである。

宿舎から旧市街へは市バスが便利である。最寄りのバス停「嘉松公路文翔路」、或は「文翔路第一人民医院」から9番バスに乗り、その後は目的地に応じて下車する。例えば酔白池へはバス停「酔白池」がある。今回は限られた範囲内での散策であったが、有名な酔白池と方塔園以外にも、東岳廟や西林禅寺など 様々な歴史文化遺産に出会うことができた。

★酔白池  昼頃に到着し、お腹も空いていたので、近くの売店で黄酒と煎餅(薄焼き巻)を買ってから入園した。蘇州在住時代に「園林飲み」が習慣となった。昼間の庭園内で景色を見ながらのんびり酒を飲むのは、何とも気分がいいものである。先ずは園林飲みに相応しい場所に座り、黄酒を飲みながら煎餅を食べる。

食後は園内の散策だ。想像以上に敷地は広く、見どころも多い。特に印象深かったのは方孝孺の書の石碑で、「正心誠意」の四文字が篆書で書かれている。方孝孺は明代初期、燕王朱棣(後の永楽帝)の簒奪に反対し、一族郎党ともに処刑(滅十族)された人物である。石碑の文字を見ていても彼の気骨が感じられる。 方孝孺の碑と言えば、蘇州旧城内にある玄妙観の「無字碑」を思い出す。 その名の通り文字の無い碑で、初めて見た時は 野ざらしのため風化が激しかったのかと思ったが、 実は永楽帝の命令で文字を削られたのだという。

その他、孫文が演説に訪れた「雪海堂」という建物もある。酔白池は一見地味な庭園だが、董其昌や孫文など、歴史的著名人とも関わりがある紀念すべき場所なのである。

★方塔園  方塔は元々北宋の興聖教寺の塔で、その後改築を繰り返して現在に至るという。園内にはその他、照壁(明)、石像生(明)、望仙橋(南宋)、天妃宮(清)等、歴史的建造物が散在し、かなり見応えがある。

立派な塔であり、当然登りたいと思ったが、残念ながら閉鎖されている。26年前に訪れた時に、登れたかどうかは全く覚えていない。現在の入場料は12元であるが、当時の入場券も保存してあり、それを見ると料金はなんと1角(0.1元)だったことが分かる。まぁ、私もそれだけ年を取ったということですね。