★大倉橋 中山西路の西端近く、玉樹路の手前にこの石橋はある。維基百科によると、原名は「永豐橋」。明の天啓6年(1626)に架けられた。なかなか立派な橋であるが、人通りはほとんどない。
★西林禅寺 維基百科によると、西林禅寺は南宋代の創建。立派な「圓應塔」は明の洪武25年(1392)の重建で、その際の「西林禅院圓應塔記碑」が残されている。
★東岳廟 維基百科によると、創建時期は不明だが、宋初に廟の規模が拡大したという。現在の大殿は2003年に復元されたものだ。周辺の廟前街や長橋街などには店が立ち並び、庶民が楽しめるにぎやかな地区となっている。
★董其昌尚書坊 「坊」とは「牌坊」のことで、門の一種である(参考:周荘の牌坊)。そしてこの牌坊は董其昌を顕彰するために建てられたのであろう。現在は一本の石柱と夾杆石(柱の支え)の一部のみが残る。
追記:2019年、「程十髪藝術館」(石柱のある場所から徒歩約10分)を参観したとき、董其昌尚書坊を写した古い写真パネルが展示されていたので、それを撮影、転載する。写真の撮影時期は不明。(2019.08)
★雲間第一楼 「雲間」は松江の別称で、維基百科によると、元初に松江府署を建てた時、その譙楼(見張り台)としてこの楼も建てられたという。その後重建が繰り返され、現在の楼は20世紀に復元されたものだ。今は松江二中の正門となっている。
★松江博物館―赤く塗られた謎の石碑― 私が訪問した日は、小学生の参観活動日で、館内外は子供たちで大変にぎやかであった。引率している男性教員の格好を見ると、なかなかオシャレで、新世代の教師というイメージである。さて、敷地内には碑林があるが、ある一基の碑は、倒されたのか、なぜか地面に横たわっている。しかも碑面には赤い塗料で塗られた跡がある。傷みも激しく、多くの文字が判読不能である。 一体何があったのか?この碑に対して松江の人々は何らかの不満を抱いているのだろうか?あるいは単純に紅衛兵の仕業か?建立時期を見ると「光緒二十年甲午冬十月」(1894年)で、日清戦争が勃発した年である。参観したその日、松江は猛暑で、無念にも私は半熱中症になってしまった。頭はフラフラで目まいがし、体全体がだるく、わずかだが吐き気も感じた。これは赤い碑のたたりか!?結果、館員に赤い碑の経緯を聞くという発想も浮かばず、碑文内容を読むという気力もなかった。帰国後ネットで少し調べてみたが、結局何の手がかりもつかめなかった。
さいごに 松江旧市街には、以上で紹介した場所以外にも、清真寺や程十髪美術館など見どころはまだ有る。それらは次の楽しみに残しておこう。