赤色異分子、君に何が起きたのか!?


ある日、自宅の菜園を少し離れた所から眺めると、緑の群がり中に一点、「赤い物体」が見えた。トマトにしては長細いので不審に感じた。そして近づいて見ると、それは赤化したピーマンだった。赤化ピーマンは一つだけで、他の多数のピーマンは通常通り緑色である。どうして一個体だけ赤化したのか?原因は謎である・・・


人間も「十人十色」というように、野菜も外観は常に同一とは限らない。通常予想される形や色とは全く違う結果になることもあるのだ。


後日、その赤色ピーマンを食べてみたが、味は普通の緑色ピーマンと同じであった。このような日常でのちょっとした意外性、小さな驚きも、家庭菜園の楽しみと言えよう。

五泊六日の大連・旅順(4)最終回

東鶏冠山北堡塁
203高地
画像:楊坤編『旅順・日俄戦争』より転載

◆203高地  当時の日本軍は、旅順港内のロシア艦隊の位置を把握し、的確な砲撃をする為、多くの犠牲をはらいながら203高地を奪取した。戦争当時の写真を見ると樹木が無い荒涼とした禿山だが、現在は木が鬱蒼と茂っていて、激戦地だった面影はない。山頂に着いてみると、確かに旅順湾全体が良く眺望できる。ここには当時日本によって建てられた銃弾型の「爾霊山碑」ある。百年以上経った今でも何かを訴えているかのように空に向かい、直立不動の姿勢を続けている。

◆東鶏冠山北堡塁  ロシアが築いた強固な要塞跡だ。ここも当時の激戦地で、壁には無数の弾痕が見られる。そして日本側による記念碑が建っている。石に刻まれた大正時代の碑文、幾分破損されているが、全文は十分に読み取れる。「明治三十七年八月以来…」。明治37年は西暦1904年、中国は清朝末期である。今回は激動の時代の、その現場を訪れた。僕が死ぬ日までに再度訪れる機会はあるだろうか。それは不明である。