二泊三日の南昌(上)2019.05

上海出張中に癒しの小旅行をするのは恒例になっており、精神的健康を維持するために必要不可欠な活動である。行先は去年までは近場の古鎮であった(南翔、朱家角、周荘、西塘)。まぁ各古鎮はそれぞれ趣きがあって良き思い出になっている。しかしどれも同質文化圏内にあり景観や雰囲気も類似していて、少し飽きを感じてきた。そこで今年は少し遠方の土地を訪ねるべく高速鉄道(以下、「高鉄」)に乗り、江西省の省都・南昌市に行くことにした。南昌市といえば、「贛江」とそのほとりにある「滕王閣」、「南昌起義(蜂起、暴動とも表現する)」の地、そしてソールフードの「南昌拌麺」などで有名である。

🍀松江から南昌へ  滞在中の大学宿舎の最寄り高鉄駅は「松江南駅」、そこから高鉄G1355に乗り、約4時間かけて南昌西駅へ向かう。車窓から山や田園風景を見るのも楽しい。たぶん義烏か金華あたりだったと思うが、水田の緑がまばゆいほどに映えていた。

🍀眺望良好ホテル  今回、滕王閣が眺望できる部屋をCtripでネット予約した。ホテル名は「南昌素慈宮巨華江景禅意酒店(Juhua Star Apartment Hotel)。名前がちょっと長いですね。さて、宿に着いたのは夕暮れ時、チェックイン後に部屋に入り、目の前に現れた窓外の風景、電飾された滕王閣は確かにきれいで壮観であった。

🍀滕王閣  なかなか堂々としていて見ごたえのある楼閣である。楼閣から望む贛江(かんこう)は音もなく静かではあるが、流れは滔々としていて大陸の力強さを感じる。夜になると楼閣は電飾でキラキラ輝いていて非常に魅惑的である。詳細はウィキペディアから引用する。

滕王閣(とうおうかく、簡体字: 滕王阁、繁体字: 滕王閣、拼音: Téngwáng Gé)は、中華人民共和国江西省南昌市にある楼閣。岳陽の岳陽楼、武漢の黄鶴楼と並んで、江南の三大名楼とされる。

歴史  唐の永徽4年(653年。一説に顕慶4年(659年)とも)、当時洪州都督だった李元嬰(唐の高祖李淵の第22子)によって、洪州城(現南昌市)の西門「章江門」の西北、贛江の東岸に創建された。名前の由来は、李元嬰が滕王に封じられていたことにちなむ。 上元2年(675年)の9月、唐の詩人王勃が、当時交趾(現ヴェトナムハノイ付近)に左遷された父の王福畤を見舞う途中、ここで催された宴に招かれ、名作「滕王閣の序」(駢文)と「滕王閣」(七言古詩)を作ったことで名高い。 宋末~元初に贛江の河道が東に移ると、閣の跡地は江中に崩れ落ち、以後は南昌城西の城壁城や章江門外に再建された。歴代に幾度も戦乱などにより消失しているが、その都度王勃の名作が思い起こされて再建されてきた。清の同治年間に28回目の再建が行われたが、1929年に軍閥同士の戦争で破壊され再建されていなかった。現在のものは1989年に唐代の遺跡の南に再建されたもので、29回目の再建に当たる。