一泊二日の西塘(上)2015.05.21


今年も出張中に癒しの小旅行を計画した。滞在地の松江大学城から近い「西塘」に決めた。ちなみに過去4年の小旅行では南翔、朱家角、荘周、蘇州を訪れ、 それぞれに楽しい思い出がある。さて西塘へは、先ず大学宿舎からはバスで松江駅まで行く(約15分)。松江駅から嘉善駅までの一駅は列車に乗る(約20分)。嘉善駅から西塘汽車駅までバスに乗る(約20分)。ところで、嘉善と言えば「嘉善元紅」という黄酒が有名だ。たいへん素朴な味で、スーパーやコンビニでも安価で買える。瓶のラベルを見ると「浙江嘉善黄酒股份有限公司」の所在地は「西塘」である。


松江・嘉善両駅は上海の大規模な駅とは違い、駅舎は小さく、往来する人の数も少ない。とてものんびりしていて安心できる雰囲気だ。列車内では弁当や果物等の車内販売があり、小さな旅の雰囲気を盛り上げてくれる。昼過ぎだったかホテルにチェックインし、少し休息した後、いよいよ古鎮内の散策を始める。散策するための携帯必需品は「西塘黄酒」である。良い景色が見える場所に座り旨い酒を飲めば、日常のストレスから解放され心が癒されるのである。  


煙霧長廊  水路沿いの通りには屋根が長く連なっている。長いアーケードは日本にもあるが、水路に面した古風な「廊棚」は独特な雰囲気がある。


石皮弄  西塘で一番狭い路地である。敷かれている石板の厚さは3cmだという。案内文を訳すと、「石板敷きの路地の下には雨天用の排水溝がある。排水溝の上に敷かれた石板は皮の如く薄いため、路地は《石皮弄(石皮の路地)》と呼ばれている。」


送子来鳳橋  写真で示した通り、屋根付きの橋の中央には塀があり、通路が二分されている。新婚夫婦が橋を渡れば子宝に恵まれるという。

松江大学城滞在記【旧市街編2】2018.05

★大倉橋  中山西路の西端近く、玉樹路の手前にこの石橋はある。維基百科によると、原名は「永豐橋」。明の天啓6年(1626)に架けられた。なかなか立派な橋であるが、人通りはほとんどない。

★西林禅寺  維基百科によると、西林禅寺は南宋代の創建。立派な「圓應塔」は明の洪武25年(1392)の重建で、その際の「西林禅院圓應塔記碑」が残されている。

★東岳廟  維基百科によると、創建時期は不明だが、宋初に廟の規模が拡大したという。現在の大殿は2003年に復元されたものだ。周辺の廟前街や長橋街などには店が立ち並び、庶民が楽しめるにぎやかな地区となっている。

★董其昌尚書坊  「坊」とは「牌坊」のことで、門の一種である(参考:周荘の牌坊)。そしてこの牌坊は董其昌を顕彰するために建てられたのであろう。現在は一本の石柱と夾杆石(柱の支え)の一部のみが残る。

追記:2019年、「程十髪藝術館」(石柱のある場所から徒歩約10分)を参観したとき、董其昌尚書坊を写した古い写真パネルが展示されていたので、それを撮影、転載する。写真の撮影時期は不明。(2019.08)

★雲間第一楼  「雲間」は松江の別称で、維基百科によると、元初に松江府署を建てた時、その譙楼(見張り台)としてこの楼も建てられたという。その後重建が繰り返され、現在の楼は20世紀に復元されたものだ。今は松江二中の正門となっている。

★松江博物館―赤く塗られた謎の石碑―  私が訪問した日は、小学生の参観活動日で、館内外は子供たちで大変にぎやかであった。引率している男性教員の格好を見ると、なかなかオシャレで、新世代の教師というイメージである。さて、敷地内には碑林があるが、ある一基の碑は、倒されたのか、なぜか地面に横たわっている。しかも碑面には赤い塗料で塗られた跡がある。傷みも激しく、多くの文字が判読不能である。 一体何があったのか?この碑に対して松江の人々は何らかの不満を抱いているのだろうか?あるいは単純に紅衛兵の仕業か?建立時期を見ると「光緒二十年甲午冬十月」(1894年)で、日清戦争が勃発した年である。参観したその日、松江は猛暑で、無念にも私は半熱中症になってしまった。頭はフラフラで目まいがし、体全体がだるく、わずかだが吐き気も感じた。これは赤い碑のたたりか!?結果、館員に赤い碑の経緯を聞くという発想も浮かばず、碑文内容を読むという気力もなかった。帰国後ネットで少し調べてみたが、結局何の手がかりもつかめなかった。

さいごに  松江旧市街には、以上で紹介した場所以外にも、清真寺や程十髪美術館など見どころはまだ有る。それらは次の楽しみに残しておこう。