康さん、今までありがとう。そして、さようなら ― 日本で出会い、中国で別れる ― 2014.06

寧波市内を流れる奉化江

 
 今思い出しても、とても残念である。後悔する気持ち、あきらめの気持ち・・・、複雑に交じり合う。しかし、すべては僕が悪かった・・・。
 はじまりは、僕が京都市北区鎮守庵町に住んでいた頃であるから、約20年前のことである。出会いの場所は、寺町の「松本松栄堂」である。初対面で、僕は康さんが好きになった。いわゆる一目惚れである。康さんはとてもきれいで、輝いていた。ただそこには呉昌碩さんも同席していて、そちらも少し気になっていた。そして数日間考えた末、康さんとのお付き合いを決めたのだ。
 歳月が流れ、僕は寧波の日本語学校で働いていた。たいへん情けないことであるが、僕は金に困り、しかたなく康さんと別れることにした。別れの場所は、鼓楼近くの「雪斎画廊」であった。康さんとは18年間くらいの長いつき合いだった。日本で出会い、中国で別れる・・・。
 一度別れたら、再会することは困難である。2年後、雪斎画廊を訪ねてみたが、やはり康さんの姿はなかった・・・。 悲しんでいても、しかたがない。今後、また新たな出会いに期待して、明るい気持ちで生きていこうと思う。さいごに、康さん、今までありがとう。そして、さようなら・・・

彼は誰ですか?他是谁啊? (2014.06)

南翔の古猗園での話だ。園内の缺角亭で休んでいたところ、一人の老人が来て、肖像画は要らないかと言われた。一枚20元で描くという。昼に食べた20個入りの小籠包(30元)より安く、また他人の目から僕はどのように映っているのかという好奇心もあり、 承諾した。30分くらいかかったか。絵が完成したということで、その絵を見たところ、最初の感想は、彼は誰ですか…?!他到底是谁啊…?! 正直言うと、あまり似ていない。何かがおかしいのである。 周囲の野次馬も、納得していない様子だ。一体どうなっているんだ?!

まぁ、しかしである。冷静になれ。この缺角亭では、日中両国人民の友好的な交流が最優先されるべきである。缺角亭は九一八事件を憤って建てたという由来がある。「缺角」は「角が欠く」の意で、実際に屋根の東北の角だけは「拳」が無い。それにより東北三省の被占領状態を示し、3つの拳で失地回復の強い決意を表しているという。(詳細は画像の説明文を参照のこと) 笑顔で代金を払い、その場を離れた。 いい記念になったと思う。 この絵は、今ではスカイプやQQの顔写真として大活躍している。