五泊六日の渭南・華山・咸陽(4)2019.10

渭水東流去 何時到雍州 憑添兩行涙 寄向故園流 (岑参「西過渭州見渭水思秦川」)

渭水で流水飲み  華山北駅から高鉄に乗って咸陽秦都駅へ移動、咸陽市のホテルにチェックインした。そしてさっそく渭水を見に出かけた。ホテルから川岸までは徒歩で約10分ほどである。渭水は「渭河」とも呼ばれ、黄河の支流の一つだ。中国の歴史や文学にもしばしば登場し、機会があれば訪れたいと思っていた。例えば、上掲した盛唐の岑参の詩がある。訪れた地点は渭浜公園で、その辺りの渭水は完璧に護岸工事され自然さが感じられず残念であった。ウィキペディアによると渭水は、「現在では、慢性的な水不足と生活廃水、工業排水による水質悪化が著しく、中国の水質基準では最悪の「劣質5」に認定されている」とある。確かに水は濁っていたが悪臭などは特に感じられなかった。ベンチに座りビールでしばし「流水飲み」をしてその場を離れた。

邵小利さんは1982年6月、渭水の川岸にある渭浜公園の青年湖でおぼれていた9歳の子供を助け、自身は犠牲となった女性である。享年22歳。以上の事実は帰国後ネットで調べて知ったことで、当時碑には説明がなかったので彼女については何も分からず、ただ「烈士」とあるので何か大きな功績をあげた人だろうと想像していた。邵さんについて百度百科から引用する。

邵小利,女,1960年2月出生,陕西富平人。1974年加入共青团,1979年考入陕西中医学院中医系。大学期间,她在政治思想、专业学习、班团工作等方面表现突出,连续两年被学院评为“三好”学生。1982年又被学院评为“文明礼貌”先进个人。1982年6月17日因抢救落水儿童不幸光荣牺牲。同年,中共陕西省委根据其生前志愿,追认她为中国共产党党员。陕西省人民政府批准其为烈士。共青团陕西省委授予她模范共青团员称号。咸阳市人民政府在渭滨公园为其建有纪念碑。

羊肉串焼には地元の白酒「西鳳酒」で…

茂陵博物館  咸陽とその周辺には魅力的な歴史的観光スポットは多いが、年寄りに欲張りは禁物だ。今回は興平市にある茂陵博物館と楊貴妃墓博物館の2カ所を選んだ。茂陵博物館は、漢武帝の茂陵とその周辺の墳墓群、石像群、出土品展示室、売店等が整備された複合施設である。朝食後、市バスに乗ってそこへ向かう。

霍去病については百度百科より引用する。

霍去病(公元前140年—公元前117年),汉族,河东平阳(今山西省临汾西南)人,西汉中期名将、军事家、外戚,是我国历史上著名的民族英雄。官至大司马骠骑将军,封冠军侯。汉武帝皇后卫子夫以及名将卫青的外甥,权臣霍光同父异母兄长。霍去病用兵灵活,注重方略,不拘古法,善于长途奔袭、快速突袭和大迂回、大穿插、歼灭战。17岁为票姚校尉,率领八百骑兵深入大漠,两次功冠全军,封“冠军侯”。19岁指挥两次河西之战,歼灭和招降河西匈奴近10万人,俘匈奴祭天金人,直取祁连山。这是华夏政权第一次占领河西走廊,从此丝绸之路得以开辟。漠北之战消灭匈奴左部主力7万余人,封狼居胥。战后拜大司马,与大将军卫青同掌军政。 元狩六年去世,年仅二十四岁,被葬于茂陵。汉武帝很悲伤,调遣边境五郡的铁甲军,从长安到茂陵排列成阵,给霍去病修的坟墓外形像祁连山的样子,把勇武与扩地两个原则加以合并,追谥为景桓侯。

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