石田三成像
龍潭寺・補陀落の庭
関ヶ原合戦で敗れた石田三成。彼について詳しいことは知らないが、彦根の町を歩いていると彼の居城があった「佐和山」(標高233ⅿ)は自然に目に入ってくる。そこで今回、休日に佐和山に登ることにした。この山は古来より要衝として戦いが繰り返され、三成の一族が戦死した場所である。戦に散った多くの人たちのことを想いつつ、一歩一歩足を進めた。帰り道、麓にある「龍潭寺」にも立ち寄った。
宿泊先のホテル前から見る佐和山。これから山頂を目指す・・・
清凉寺
ここから佐和山の山頂へ向かう
佐和山へは龍潭寺の参拝入口を通る
途中、龍潭寺の墓地エリア。多くの古い墓石は散乱し雑草に覆われていた。人は死亡すると、その墓所はしばらくは管理される。しかし何十年、何百年すると、多くはこのように放置されてしまうのか・・・。それならば初めから墓は作らず自然に散骨したほうがいいだろう。自身の骨もそうしてもらいたいのだ・・・
まっすぐ行くと「鳥居本」へ、今回は佐和山山頂なので右折する・・・
当時「鳥居本」へ続く道は人々の往来が盛んであったという。次回はこの道に進んでみよう・・・
西の丸跡。解説版にある通り、地面には当時存在した建物の瓦片が多く散乱している・・・
山頂より北東方向:伊吹山が見える。白く細長い建物はフジテックのエレベータ研究塔(高さ170m)
■フジテックのエレベータ研究塔について
フジテック株式会社(FUJITEC CO., LTD.)が有するこの研究塔はかなり目立つ建造物である。所在地は彦根市宮田町、本社を含めた「ビックウイング」と呼ばれるエリア内にある。会社HPでは次のようにある。→【 “ビッグウィング”のシンボルとなるのが、地上高さ170mの「エレベータ研究塔」です。これは、エレベータの研究施設として世界最大級の高さと規模を誇るもので、超高層用と中層用の2つのタワーから成り、13台のエレベータが設置されています。ここでは、分速1,000m級の超高速機種のテストを始め、新世代エレベータの開発など、最先端技術力の強化を目指しています。】
実はこの塔、天気が良ければ吾人宅がある対岸の高島市からも見える。以下に高島市から撮影した画像を2枚掲載する。
フジテック・エレベータ研究塔 JR湖西線の近江高島駅近くの車内から
フジテック・エレベータ研究塔 JR湖西線の安曇川駅近く「鴨川」上の車内から
★佐和山の話に戻ります・・・
山頂より南西方向:右手の緑地帯は彦根城、遠くのもっこり山は荒神山、湖上に沖ノ島がうっすら見える
千貫井付近より南南西方向:中央に彦根駅、その奥の緑地帯は千鳥ヶ丘公園
三成敗戦後、佐和山城は徹底的に破壊されたという。わずかに当時の姿を留めているのが以下に示した「千貫井」と本丸基底部の隅にあたると考えられる「石垣」なのである。ただ素直な疑問として、なぜ敵方はこの石だけ残したのか、ということだ・・・
千貫井
🍀龍潭寺 佐和山の麓にあるので、下山のついでに立ち寄った。一番印象的だったのは枯山水の「補陀落の庭」。縁側に座り、時に見る場所を換えたりしてゆっくり楽しんだ。
森川許六による襖絵
補陀落(ふだらく)の庭
中央の山が補陀落山、そのうち縦に長い岩は観音様の立姿、島の右に日本僧・彗萼(えがく)の舟を表している。さて補陀落山は、現在の中国浙江省舟山市にある「普陀山」のことである。私は普陀山に近い都市・寧波に住んでいた頃、一度バスとフェリーを乗り継いで訪れたことがある。それは2009年9月、まだ海水浴ができる時期だったので童心にかえり波とジャブジャブあそんだのを覚えている。下の画像がその時のもの。着衣画像の頭部右側に写っている金色の巨大立像が彗萼と因縁のある「観音様」である。
普陀山の浜辺でポーズをとるS狂人 波と戯れるS狂人
観音様とツーショット
★龍潭寺の話に戻ります・・・
鶴亀蓬莱庭園 佐和山を借景にする
左手の積まれた岩は直下型の枯れ滝「龍門瀑」
佐和山(彦根城鐘の丸跡より)
これで佐和山ともお別れだ。また来る日までさようなら・・・