八泊九日の石家荘・平遥・太原(4)2023.09.29


【三日目】朝、ホテルの部屋でインスタントの今麦郎「山西刀削麺」を食べてから出発する。バスで石家荘北駅へ行き、列車(二等寝台三段目・硬卧上铺)で太原まで行き,別の列車(硬座)に乗り換えて平遥に向かう。今回は大型連休なので直通列車の切符が買えなかったのだ。
さて山西省にある平遥は明代の城壁がほぼ完全に残っていることで有名な観光地だ。世界遺産にも指定されている。自分もかなり以前から行きたいと思っていたが、今回ようやくその機会を得た。


平遥駅に到着  古城の最寄りの城門「鳳儀門」までは徒歩約10分。城の周囲は市街地が広がり、駅から直接城壁は見えない。しばらく歩いていると突如道の奥に城壁が見えた。あれが平遥古城か! 確かに存在感は抜群である。先にスーパーで買い物してから城門前で入城料を払い、やっと中に足を踏み入れた。先ずは予約してある旅館「源隆客桟」へ向かう。
旅館に到着、手続き後に部屋へ案内される。主人は土産店も経営していて、部屋の出入りには土産店の中を通ることになる(その後、外に出る別の通用口を発見)。土産店は明代の建築物だが、宿泊用の建物は70年代に古代様式を真似て建てたものだという。
部屋に荷を下ろし、中庭で少し休憩する。慣れない土地を朝から次々と移動してきたので少々疲れた。旅館で買った地元ビールと、来る途中のスーパーで買った白酒を飲む。すると元気が徐々に回復、そこで城内の散策に出かけることにした。


城壁の上を歩く  宿を出たのが午後5時半、日が暮れはじめて辺りは次第に薄暗くなってきた。宿から近い「鳳儀門(下西門)」から城壁を上る。上から見る景色は格別、城内は高いビルなどの視界を遮るものがないので、かなり遠くまで見通せる。途中写真をパチパチ撮りながら全城壁の約1/3の距離を反時計回りに45分くらい歩くと「迎薫門(南門)」に到着した。すると係員さんが城壁の上はまもなく見学終了時間になると言うので、地上に下りて城内の散策を始めた。


城内の散策  日が暮れた城内のメインストリートは旅館や商店の電飾で明るく輝き、予想はしていたがかなり多くの観光客でにぎわっていた。ただ問題も起きた。城の中心にある「市楼」の南約150mの地点で、人々が道の両方向から殺到、異常に混雑し危険な状況が発生していた。自身もその近くにいて、2022年10月に起きた韓国ソウルの雑踏事故を思い出し緊張した。実は今回の滞在中に同じ場所で2度雑踏に巻き込まれ、1度目は来た道を戻り人の少ない脇道へ回避した。2度目は雑踏の中で前後左右から人の圧力を感じ、将棋倒しにならないかとヒヤヒヤしながらもゆっくり進み、何とか混雑地点を通り過ぎた。ただ後で冷静になると、危険を感じたら引き返す勇気が必要だったと大いに反省した。何か起きてからでは手遅れなのである。それ以外の場所は人は多いが危険を感じるほどではなく、普通に夜の町の景色を楽しむことができた。


平遥古城には数多くの飲食店が存在するが、観光客向けの郷土料理メニューは下の画像で示したようにどの店も大体同じ内容だ。もちろん食事も旅の楽しみの一つ、せっかくの機会なので翌日からは自分もご当地グルメに少しずつ挑戦してみよう。


メイン道路から外れて暗い路地に入ると、店も無く人通りも少なくてうら寂しい。ただそこでは古城の夜の別の姿を見ることができる。崩れかけたレンガの壁、古い建物のアーチ型の門、それらが灯りに照らされて暗闇に浮かびあがり、まるで大きな彫刻作品のようである。
平遥の一日目はこのようにして終了した・・・。

八泊九日の石家荘・平遥・太原(3)2023.09.29

【二日目】前篇に続く。正定古城の「開元寺」「北城門遺跡」「南城門」について述べる。

開元寺  東魏の創建というからこれまた歴史ある寺に来たという印象だ。寺のシンボル「須弥塔」は唐代の建立で、西安の大雁塔に似ている。明代に大改修したが唐の様式をよく残しているというから大変貴重である。下層の四隅には石刻の力士像がはめ込まれており、それぞれが違った表情をしていて面白い。境内の様々な位置から須弥塔を眺めていると何か唐の時代にタイムスリップしたような感じがする。

鐘楼  中国に現存する唯一の唐代の鐘楼というから非常に貴重である。吊るされている鐘も唐代の物というが、近くで見えないのが残念だ。

巨大な石碑  石碑は三つの分部に分けて展示されている。 ①残碑(砕けた碑身)、②蟠龍碑首(碑上部の龍模様の石刻)、③贔屓碑座(亀趺。贔屓は亀に似た想像上の神獣)。亀はとにかく巨大で、私が今まで見た古代の亀趺の中では最大級。重さは107tというから驚きだ。その他、当時の発見状況や発掘作業の経緯、専門家による考証等の説明パネルもあり、以下にその一部を要約する。
☘発見時期・場所について 
この巨大な亀は2000年6月、開元寺からほど近い常山影劇院の西側付近・府門街の建設現場地下約1.5m地点で発見された。
☘建立時期について
碑面の「明宗皇帝」等の文字と、北宋の欧陽脩が当地を訪れた際の記録を含む『集古録目』にこの巨大碑の記述がないことから、建立は五代後唐明宗皇帝の即位(926年)以後で、欧陽脩の来訪(1044年)以前に棄損され埋められたと考えられる。
☘建立者について
碑面の氏名や官職は削られて不明だが、後晋天福2年(937)に成徳軍節度使となった「安重栄」と考えられる。天福7年(942)、彼は帝位簒奪に失敗し処刑された。当時、後梁・後唐・後晋と節度使が次々と皇帝に変身したが、その状況を安重栄も実際に見てきて簒奪の野望を抱いたのだと考えられる。そして処刑後に石碑も破壊され埋められたということだ。


北城門遺跡  比較的大きな城内門と小ぶりな月城門の二つが残る。城内門はどっしりと重厚感があり立派である。月城門は損壊が激しかったのか規模は小さいが、それでも趣きがある。ただ南城門のように城壁が完備され規模も大きく楼閣も復原され華やかさがあるのに比べるとかなり地味だ。そうなると観光客にも人気がないのか、私が訪れた時も辺りはひっそりとしていた。まぁそのほうが自分としては落ち着いて見学できるので悪くはないが・・・。


南城門のライトアップ  初日は日暮れ前に城門を離れてホテルに向かったが、この日はガイドブックにも写真が紹介されていて人気があるライトアップを見に来た。国慶節の連休中なのでかなり多くの人々でにぎわっていた。ライトで照らされた巨大な門と楼閣、城壁のシルエットは確かに美しくまた迫力もあり一見の価値はある。楼閣から見える城内全体の風景もたいへん印象的であった。

さてさて二日間の正定古城の観光もこれで終了、翌日は列車で平遥古城へ向かう。