【回顧録】16日間の甘粛(下)武威・蘭州

敦煌➔武威
移動は列車を利用、所要時間は約11時間。寝台車を利用したかったが本数が少ないのか人気路線なのか知らないが普通座席(硬座)しか購入できなかった。あ~疲れる・・・。武威到着は夜9時過ぎだが、まぁホテルは既に予約してあるので着いたらゆっくり休もう。

雷台漢墓
後漢時代の古墳が見学できる。この墓から蘭州の甘粛省博物館で展示されている「銅奔馬」(別名「馬踏飛燕」)が発掘されたことで有名だ。

鳩摩羅什寺
寺は五胡十六国の一つ後涼の呂光が麟嘉元年(389年)に鳩摩羅什の為に建てたのが始まりという。行った時には塔が工事中でカバーされていて立派な姿が見えず残念だった。

大雲寺の鐘古楼
寺は五胡十六国の一つ前涼の張天賜(在位363-376)が建てたのが始まり。1927年に起きた地震で寺は激しく損壊したが、鐘楼だけは倒壊せずに残っていたという。訪れた当時は周囲に大きな建物も少なく、その歴史を感じさせる姿がひときわ目立っていた。有料で鐘をつけるというので試してみた。確か三回ほど間隔をおいて鳴らした。想像以上に重厚感のある素晴らしい鐘の音が響き少し感動したのを覚えている。

街並み
鐘楼見学後はその周辺を散策した。そのエリアはビルも少なく昔ながらの土壁の低い建物が比較的多く残っていた。古い時代の中国にタイムスリップしたような感じがして面白かった。ただ中国はどの都市でも急速に開発が進み、多くの古い建物は取り壊されているので、今その場所がどうなっているか分からない。

武威➔蘭州
移動は列車の二等寝台車(硬卧)を利用、所要時間は約3時間。少しでもゴロっと横になれば旅の疲れも癒される。さて蘭州と言えばラーメンが有名だ。他の都市に比べて店の数も多く、ラーメン店のすぐ近くに別のラーメン店があったりするので競争原理が働き味や品質も高いと考えられる。私も何店かで食べてみたが何故か当時の画像が残っておらず残念だ。

黄河と中山橋
見た目からも古いと分かるこの鉄橋は清朝の宣統元年(1909年)竣工、現在の新しいスタイリッシュな橋とは違って何か親しみを感じる。訪れた2012年は見ての通り車も渡っているが翌年から車両の通行が禁止になったということだ。
蘭州における黄河の流れは比較的早いと感じたが、それでも河で水泳や沐浴している人たちを見て、黄河は市民にとって大変身近な存在なんだと感じた。

甘粛省博物館
ここの目玉は何と言っても有名な「銅奔馬」である。旅の最後にすばらしい宝物を見ることができた。後は何も思い残すことなく帰途につくことができる。

16日間の旅もこれで終了、充実した内容にたいへん満足している。蘭州から杭州までは列車で約32時間、この長時間をまたもや硬い普通座席で移動、本当に気が滅入る。さて最近は年を取り気力体力ともに減退してきたのでこの地を再度訪れることはもう無いと思う。ただ貴重な思い出は心の中にはしっかりと留めておきたい。

【回顧録】16日間の甘粛(中)敦煌

嘉峪関から敦煌までは長距離バスで移動。4,5時間の行程だ。市内到着後、先ず予約していたホテルにチェックインし、その後は街中を散策。市場ではハミ瓜が売っていたので買ってホテルの部屋で食べた。味がどうだったかは残念ながら覚えていない。さて今回は莫高窟、鳴沙山、月牙泉、ヤルダン国家地質公園、漢長城、玉門関、陽関跡などを訪れた。
ところでこの地域では「黄沙」に要注意だ。室内にいても砂が入り込み、前日きれいだった窓枠を翌日指でこすると黄色い粉がしっかりと付着する。今回ノート型パソコンを持参したが、砂を吸い込んだのか急に動きが鈍り何度もフリーズ。完全に壊れる危機を感じ、慌てて街の電気屋へ行ってバックアップ用のメモリカードを買った。その後別の都市へ移動したらパソコンの動きは正常に戻り安心した。やはり土地が変われば思わぬ事態が生じる可能性も高くなるということだ。

莫高窟
雲崗の場合と違い敦煌では内部撮影禁止なので、ここでは外部の写真のみ紹介する。静かでひんやりとした石窟内で色鮮やかな壁画や緻密な彫像を眺めていると、制作者の息づかいが感じられるようで、その当時に時が戻ったかのような不思議な気分になる。

少し旅疲れしたS狂人

鳴沙山・月牙泉
砂漠に来るのは約20年前モロッコのサハラ砂漠以来なので気分が高ぶった。鳴沙山風景区へ続くきれいに舗装された道路を進むと突如巨大な砂山が現れびっくりする。また月牙泉では砂漠の中の一部分にだけ水がたたえているのを見て素直に不思議だと感じた。その後帰国して中国人学生にこの思い出を話すと、一人が「地下に送水管が埋設されている」と言うので意外に感じたが真偽は確認せず、その後はこの話を忘れていた。そして今この記事を書くにあたり気になったので百度で調べてみた。いくつかの説明をまとめると、「月牙泉は低地にあるため長年自然の地下水によって保たれてきたが、1970年代になると開墾や灌漑などが原因で枯渇危機が生じたため、以降は地元政府によって送水を含めた修復工事が行わてきた」ということだ。つまり現在は人工的に維持管理されているわけで、「地下の送水管」を想像すると何だかロマンがなくなるようで寂しい・・・。

砂山登りの恐怖😨
月牙泉の見学を終えると次は楽しい砂山登りだ。観光客が登りやすいように稜線まで縄ばしごが設置されている。さっそうと登り始めたのはいいが普段の運動不足がたたり途中で息が切れる。休みつつ何とか上に到達、ここから稜線を伝って風景区出入口方面へ移動する。私が入場した時は上で掲載した画像にある通り多くの人達が稜線を移動していたが、この時は何故か私一人である。まぁ砂漠の雰囲気を味わうには静かなほうがいいだろう。やがて風が強くなり砂嵐のような状況になった。視界も悪い。風にあおられ谷に転落しないよう注意して進む。舗装された道路側に落ちれば問題ないが、万が一砂丘が連なる側の深い砂底に落ちたら危険である。特に今は周囲に誰もいないので救助されることなく人知れず砂に埋もれて死んでしまうかもしれない・・・。想像すると背筋がヒヤッとする。恐怖だ😨・・・。やはり単独行動のデメリットはこの点にあると痛感する。その後安全な場所に到着したときはホッとした。今回はスリルも味わえたので高い入場料も十分納得である。

ヤルダン国家地質公園
風食によって作り出された大小様々な奇岩群を見ると自然の雄大さに感動する。実際に近くで見ると大きな岩の下部は小さなブロックの形で少しずつ崩壊が進んでいるのが分かる。今後何百万年もすると多くの奇岩が浸食されて平たい荒野になってしまうのだろうか・・・

漢長城
今見る長城は明代のものが多いが、ここには漢代の長城が存在する。こんなに古い長城を見るのは初めてで歴史の深さに感動する。外観はヤルダン奇岩のように風食されたかに見えるが、原形がどうであったかは不明である。

玉門関
次に述べる「陽関」とともに唐詩にも登場する有名な場所である。自身も漢詩鑑賞が好きで二つの関所については色々と想像をめぐらしていたので、実際にその場所に来ることができて感無量である。

黄河遠く上る白雲の間、一片の孤城万仭の山。羌笛何ぞ須いん楊柳を怨むを、春風度らず玉門関。

  黃河遠上白雲間、一片孤城萬仞山。
  羌笛何須怨楊柳、春風不度玉門關。
     王之渙「涼州詞・二首之一」

陽関遺跡
玉門関は現存しているが陽関は既に消滅して存在せず、跡地には石碑が残るだけだ。ただ近くには古い狼煙台が残っていて辺境の悲壮な雰囲気をかき立てている。陽関跡から西方を眺めると荒涼とした原野が延々と広がっている。当時この地に派遣された兵士はどれほど孤独を感じたことだろうか・・・

渭城の朝雨軽塵を裛し、客舎青青柳色新たなり。君に勧む更に尽くせ一杯の酒、西のかた陽関を出ずれば故人無からん。

  渭城朝雨裛輕塵、客舍靑靑柳色新。
  勸君更盡一杯酒、西出陽關無故人。
        王維「送元二使安西」