【七日目】偽満皇宮博物院 満州国皇帝だった溥儀の宮殿(満洲国皇宮)跡を訪れた。広大な敷地内には大小多数の建物やプール、防空壕等の各種設備、庭園、遺跡等が存在している。途中早足で過ぎた場所もあるが、私の場合すべて見終わるのに約3時間を要した。結果足が棒になって痛くなり、元々「真不同」まで歩いて行く予定だったが根負けしてバスに乗った。 さて興味深い展示物はたくさんあったが今回はその中から特に印象に残ったものを紹介する。
破壊された神社の跡 庭園に隣接した場所に当時「建国神廟」が建てられ「天照大神」が祀られていた。今はその残骸が残っている。鳥居も本体はないが丸い礎石が二つ残っている。石碑もいくつか放置されていて、それらの文字は鮮明で生々しさを感じるほどだ。敷地南東側の塀には鳥居型の門が残っている。日本人としては複雑な気持ちになる場所である。
同徳殿 部屋の数も多く内装も豪華で見ごたえのある宮殿である。設計が日本人ということが影響したのか「和室」もあった。二階の一室では同徳殿の屋根に飾られていた鬼瓦が展示されていた。その大きさにも感心したが普段見慣れないデザインが特に印象に残っている。
緝煕楼 この建物には溥儀の生活空間があり、書斎や寝室、佛堂、浴室、トイレ、理容室などが見学できる。皇帝ともなると散歩ついでに街の床屋に行ってくるというわけにはいかないのだ。理容室には立派な専用の椅子がある。彼が当時ここに座っていた様子が目に浮かぶようである。
勤民楼 この建物内には溥儀が三度目の即位式を行った部屋がある。かつて清の皇帝として即位式を行なった紫禁城の「太和殿」の規模に比べるとかなり見劣りするが、本人はどのように感じていたのだろうか。いつか紫禁城に行く機会を得て再び玉座に座れば気も晴れるだろうくらいに考えていたのか・・・。
その他、懐遠楼という建物には満州国と溥儀に関連する多くの物品が展示されていたが、特に溥儀の辮髪と眼鏡が印象に残っている。常に身に着けていたものも時代が過ぎれば大衆への展示物に変化する。ただこうなることは彼も予想していなかったであろう・・・。
真不同で夕食 ここでの食事は前日に続き二回目、その時の印象がとても良かったのだ。まず酒は先日同様「純糧老焼酎52°」を注文、空きっ腹に一口ゴクッと飲み込むと五臓六腑にしみわたり歩き疲れた体に精気が戻る。料理は「鍋包肉」(豚肉唐揚の甘酢ソースがけ)と「肉絲扒全茄」(ナス煮込みに豚肉細切り炒めをかけたもの)の二品を注文、どちらも好みの味で大満足だ。旅も残り三日、元気な状態で帰宅できるように栄養をしっかりとるのだ・・・
【八日目】農安遼塔 「直抵黄龍府、与諸君痛飲爾!」(黄龍府を直に撃破し、諸君と痛飲するのみ!)。これは宋の将軍・岳飛が金との戦いに際して部下に言った言葉である。ここにある「黄龍府」(金の都)は現在の吉林省農安県にあった。ネットで調べると現在農安には「遼代の古塔」が残っているという。画像を見ると大きく立派でシルエットも大変きれいなレンガ造りの塔である。長春からは列車で約30分と遠くないので滞在中に日帰りで塔を見に行くことにした。ただ古塔以外には特に観光スポットはなさそうだ。つまり古塔だけが目的の気楽な小旅行である。
農安駅に到着。ここから古塔までは徒歩約30分。
古塔へ行く途中、お腹が空いたのでラーメン店に入った。前回の中国滞在中は蘭州ラーメンをよく食べていたが、今回は去年10月末に中国に来て以来初である。久々においしく味わった。ちなみに値段は一杯9元であった。
道を歩いていると突如眼前に塔が現われた。想像していた通り立派な塔である。周囲を歩き回り見る位置を変えながらしばらく眺めていた。説明によると遼の第六代皇帝・聖宗の時代(983~1030)の建立で、八角十三層のレンガ造り、高さ44m。かつて塔十層目の内部に小部屋が見つかり、そこから銅製の仏像と菩薩像、木製の骨箱、磁器製の香盒、仏像が陰刻された銀牌等の貴重な文物が発見されたという。遠くから眺めても存在感のある素晴らしい塔で、もし時間的余裕があれば、この塔を見るだけも農安に来る価値はあると感じる。
古塔と別れ、農安駅から列車に乗って長春に戻る。着くころには日が暮れ、多くの建物のライトアップで街全体が明るく見える。ホテルの部屋で吉林の烈性酒「洮児河」をひとしきり飲んでこの日も終了した。