昨晩のカップ焼きそばに続き、二日目の朝は「白象」という会社のカップ麺「辣牛肉湯麵」を食べた。インスタントを食べ続けるのは不健康なので今日はこれで最後にしたい。普段は栄養にも多少気を付けインスタント物はほとんど食べないが、一泊二日旅行での二食くらいは体も許してくれるだろう。
廃墟の住宅地 一日目に少しだけ見た廃墟エリアを二日目に再度訪れ、比較的広範囲に見学した。ホテルをチェックアウトし、病院前を通り過ぎる。すると数台の真っ赤な三輪タクシーが路上を颯爽と駆けていく姿が見える。その後ある建物の入口がバッテンに封をされているのを発見。建物が暗い色なので白い紙が遠くからよく目立っていた。近づいて文字を確認すると地元の裁判所による執行処分のようだ。「封鎖!立入禁止!」という強い意志が露骨に表現されているようで面白い。私がパチパチ写真を撮っていると他の通行人も気になったのか少し離れた所から眺めていた。
住宅地の廃墟に到着、人や動物の気配は全く感じられない。ただ鳥が電線に止まっているが見えただけだ。ただ数は少ないが車やバイクが横付けされている建物もあったので、もしかしたら現在も住んでいるのか倉庫として使われているのかもしれない。誰もいない静かな住宅地跡をひとり歩いていると、時が止まったような、撮影用セットの中にいるような、何か不思議な感じがした。廃墟エリアの周囲には多くの高層マンションが建っているが、元住民は現在そちらで暮らしているのであろう。
松花江で流水飲み 廃墟を離れ松花江に向かった。到着したのはちょうど昼の12時、その辺りは護岸工事がされ公園も整備されているが、哈爾浜と比べると地方の小さな町ということなのか人出が少なく感じられた。さて、流水飲みをはじめよう。適当な場所に座りおもむろに缶ビールを飲む。4月中旬だが吹く風も川の水も冷たい。スマホで気温を確認すると3℃、なるほど寒いわけだ。そしてぼんやりと風景を眺めながら少し考える。松花江の岸で船から降ろされた徽宗は当時どのような気持ちで川の景色を見ていたのだろうかと・・・。
流水飲みを終えて周辺を散策していると、「依蘭人民抗洪記念塔」の近くに「徽欽ニ帝登岸處」と書かれた石碑を発見した。自分が今まさに見ている川岸で徽宗と欽宗は下船し五国頭城へと連れて行かれたということだ。この石碑のことは事前には知らず、普段利用している百度地図にも表示がなかった。やはり旅は自分の足でのんびり自由にあちこちを歩き回れば、何か偶然に面白い発見をすることもあっていいものだ。
五国城遺跡 川岸を離れて少し遅めの昼食をとる場所を探していると、これまた偶然に「五国城遺跡」と書かれた石碑を発見。そこでは柵で囲まれて保護されている五国頭城の城壁を見ることができた。かなり破壊が進んだのか簡単に越えられる低い土盛りという印象である。
食堂で昼食 列車の時刻まで余裕があったので、バス停近くの食堂「小南韓」で昼食をとることにした。壁のメニューにあった「地三鮮」(ナス・ジャガイモ・ピーマンの炒め物)と、メニューにはない「番茄炒鸡蛋」(卵とトマトの炒め物)、それにご飯一碗を注文した。ご飯の画像を見ると白米に黄色い小さな粒がたくさん混ざっているのが見えるが、以前聞いた話ではこれは「粟(あわ)」だという。中国では米が「大米 da mi」と呼ばれるのに対して脱穀した粟は「小米 xiao mi」と呼ばれている。私自身は粟を日本で食べた記憶はないが、中国では一般的な穀物のようで、学食でもお粥や白ご飯に混ざった状態で頻繁に提供されている。
食事を終え、バスに乗って鉄道駅へ、駅からは「動車」と呼ばれる高速列車でハルビンへ無事戻る。今回は一泊二日の小旅行だったが、予想していた以上に充実した内容で満足した。たしかに一泊だけでは少しせわしない気もしたが、まぁ近場であればたまにはいいだろう。さて次はどこに行こうかと早速考える自分であった・・・。