四泊五日の牡丹江・東京城(1)2023.04.29


今回は労働節の連休を利用した。旅程は以下の通り。都市間の移動はすべて鉄道を利用。
 哈爾浜 ➔ 牡丹江×1泊 ➔ 東京城鎮×2泊 ➔ 牡丹江×1泊 ➔ 哈爾浜
牡丹江市内と東京城鎮にそれぞれ二泊した。ネットで調べたが牡丹江市内には私が行きたい観光スポットが少なかったので、川の公園でのんびり過ごし、公園から近い博物館を見学した程度だ。一方、東京城では渤海国関連の遺跡や寺、博物館の見学、更にホテルから少し遠方にある鏡泊湖も観光するなど旅程は若干ハードであった。


牡丹江に到着  列車は午前8時過ぎに牡丹江駅に到着、荷物を預けるためこの日泊まるホテルに向かう。8時40分頃ホテルに到着。フロントで予約してある旨を話すと、チェックイン手続きが始まりルームキーを渡してくれた。元々このホテルの規定ではチェックイン時間は15時以降である。ただ経験から言うと中国では部屋が空いてさえいれば早い時間に来ても入れてくれる場合が多い。中国人のこのような客対応は大らかであり融通も利いていて旅行者としては大変ありがたい。一方、日本のホテルは時間に厳しい場合が多く、またそうする理由も理解はできる。やはり日本と中国の習慣や国民性に大きな違いがあるということなのだろうか。


食堂で昼食 11時頃までホテルで休息し、その後は川の公園へ行ってのんびりする予定だ。ただお腹も空いたので途中の適当な食堂で食事した。入ったのは「壜肉・砂鍋」の店、メニューを見るとどれもおいしそうなので少し迷ったが、結局「小壜肉(豚の角煮の小盛り)」と「牛肉柿子砂鍋(牛肉とトマトの土鍋スープ)」、それとご飯を注文。この日は曇で気温も低かったので、熱々のトマトスープは特においしく感じた。


食後、牡丹江の公園へ向かう。途中、商店と集合住宅で雑然としたエリアや比較的清潔感のある歩行者天国、そして清真寺(イスラム寺院)の前を通り、川に近いスーパーでビールやおつまみ、即席めん等を買ってから公園へ入った。


川辺や中洲には公園が整備されていてのんびり過ごすことができる。この日は連休の土曜日、駅は旅行客や帰省客で比較的混雑していたが、なぜか公園の人出はとても少なく、数えることができるくらいだった。天気が曇だったのが原因したのだろうか。牡丹江の北岸から中洲の公園へ橋を使って渡る。しばらく散策してから適当な場所に座り、おもむろにビールを取り出し流水飲みを始める。ちなみに前回は依蘭の松花江だった。
その後中州を反時計回り一周するかたちで巡る。この時期、梅をはじめ色とりどりの花がきれいに咲いている。時に立ち止まってじっと眺めたり、花に顔を近づけて香を確かめたりする。心休まるひと時だ・・・。


中洲から北岸に戻る。ここの広場では凧揚げをしている人が数人いた。凧は驚くほど空高い位置にあり点のように見える。また近くには「八女投江」の石像がある。これは1938年10月、八名の抗日女性戦士が激戦の末に投降を拒否し牡丹江市林口県の烏渾河に入水殉国した事件を記念したものだ。


八女の石像前では日本車を含め各メーカーの自動車の展示発売会が行われていた。日本ではあまり馴染みのない中国車だが、今回は「中国一汽」のブランド「紅旗」を紹介する。ネットによると「紅旗」の字体は、毛沢東が1958年に党の刊行物『紅旗』のために揮毫したもので、その後中国一汽が借用したということだ。以前日本でも販売が始まったというニュースを聞いたことがあるが、実際に日本で見たことはない。中国であっても販売台数が少ないのか原因は不明だが、哈爾浜でも時々見るくらいである。


ホテルへの帰り道、突然雨が降り出し、人々は慌てて駆け出し軒下で雨宿りをしていた。歩いているとレトロ調のビルを発見、少し気になりしばらく眺めていた。その後ホテル近くの店で油っぽい大麻花(ツイスト揚げパン)を二本購入、部屋に戻ると地元の焼酎「牡丹江」を飲みながらげパンをつまむ。うん、なかなか酒に合うようだ。さてさて翌日は東京城へ移動。少しTVドラマを見てから早々に寝た。

一泊二日の依蘭(下)2023.04.15


昨晩のカップ焼きそばに続き、二日目の朝は「白象」という会社のカップ麺「辣牛肉湯麵」を食べた。インスタントを食べ続けるのは不健康なので今日はこれで最後にしたい。普段は栄養にも多少気を付けインスタント物はほとんど食べないが、一泊二日旅行での二食くらいは体も許してくれるだろう。


廃墟の住宅地  一日目に少しだけ見た廃墟エリアを二日目に再度訪れ、比較的広範囲に見学した。ホテルをチェックアウトし、病院前を通り過ぎる。すると数台の真っ赤な三輪タクシーが路上を颯爽と駆けていく姿が見える。その後ある建物の入口がバッテンに封をされているのを発見。建物が暗い色なので白い紙が遠くからよく目立っていた。近づいて文字を確認すると地元の裁判所による執行処分のようだ。「封鎖!立入禁止!」という強い意志が露骨に表現されているようで面白い。私がパチパチ写真を撮っていると他の通行人も気になったのか少し離れた所から眺めていた。


住宅地の廃墟に到着、人や動物の気配は全く感じられない。ただ鳥が電線に止まっているが見えただけだ。ただ数は少ないが車やバイクが横付けされている建物もあったので、もしかしたら現在も住んでいるのか倉庫として使われているのかもしれない。誰もいない静かな住宅地跡をひとり歩いていると、時が止まったような、撮影用セットの中にいるような、何か不思議な感じがした。廃墟エリアの周囲には多くの高層マンションが建っているが、元住民は現在そちらで暮らしているのであろう。


松花江で流水飲み  廃墟を離れ松花江に向かった。到着したのはちょうど昼の12時、その辺りは護岸工事がされ公園も整備されているが、哈爾浜と比べると地方の小さな町ということなのか人出が少なく感じられた。さて、流水飲みをはじめよう。適当な場所に座りおもむろに缶ビールを飲む。4月中旬だが吹く風も川の水も冷たい。スマホで気温を確認すると3℃、なるほど寒いわけだ。そしてぼんやりと風景を眺めながら少し考える。松花江の岸で船から降ろされた徽宗は当時どのような気持ちで川の景色を見ていたのだろうかと・・・。


流水飲みを終えて周辺を散策していると、「依蘭人民抗洪記念塔」の近くに「徽欽ニ帝登岸處」と書かれた石碑を発見した。自分が今まさに見ている川岸で徽宗と欽宗は下船し五国頭城へと連れて行かれたということだ。この石碑のことは事前には知らず、普段利用している百度地図にも表示がなかった。やはり旅は自分の足でのんびり自由にあちこちを歩き回れば、何か偶然に面白い発見をすることもあっていいものだ。


五国城遺跡  川岸を離れて少し遅めの昼食をとる場所を探していると、これまた偶然に「五国城遺跡」と書かれた石碑を発見。そこでは柵で囲まれて保護されている五国頭城の城壁を見ることができた。かなり破壊が進んだのか簡単に越えられる低い土盛りという印象である。


食堂で昼食 列車の時刻まで余裕があったので、バス停近くの食堂「小南韓」で昼食をとることにした。壁のメニューにあった「地三鮮」(ナス・ジャガイモ・ピーマンの炒め物)と、メニューにはない「番茄炒鸡蛋」(卵とトマトの炒め物)、それにご飯一碗を注文した。ご飯の画像を見ると白米に黄色い小さな粒がたくさん混ざっているのが見えるが、以前聞いた話ではこれは「粟(あわ)」だという。中国では米が「大米 da mi」と呼ばれるのに対して脱穀した粟は「小米 xiao mi」と呼ばれている。私自身は粟を日本で食べた記憶はないが、中国では一般的な穀物のようで、学食でもお粥や白ご飯に混ざった状態で頻繁に提供されている。


食事を終え、バスに乗って鉄道駅へ、駅からは「動車」と呼ばれる高速列車でハルビンへ無事戻る。今回は一泊二日の小旅行だったが、予想していた以上に充実した内容で満足した。たしかに一泊だけでは少しせわしない気もしたが、まぁ近場であればたまにはいいだろう。さて次はどこに行こうかと早速考える自分であった・・・。