五泊六日の黒河(1)2023.06.21


一時帰国前の話題に戻る。今回の旅は端午節の休みを利用。五泊六日といっても二泊は「哈爾浜-黒河」間の列車内で過ごした。行きの列車はK7035(20:19哈爾浜発)、所要時間は約11時間、夜寝て朝起きたら目的地に着いているので便利だ。ただ利用した二等寝台車(硬臥)は以前の印象とは違い狭くて息苦しく、初老男子には辛く感じた。次回は多少高額だがソフトで快適な一等寝台車(軟臥)にしよう。
ちなみに中国の寝台車は久しぶりで、前回は2012年7月の甘粛旅行の時、上海➔嘉峪関(一等・軟臥)と、武威➔蘭州(二等・硬卧)で利用した。

私が利用した寝台。三段ベッドの真ん中(中鋪)

しばらくは通路側のイスに座り窓の外をぼんやり眺めていた。発車当時はまだ景色も見えたが、やがて闇に包まれ、時々通り過ぎる小さな駅や町の明かりが見える程度になった。22時頃床につき、少しすると車内は消灯。狭いスペースのうえ一晩中バンバンと何かが当たる大きな異音が響き続け、まともに睡眠ができなかった。それでも眼を閉じて横になっていると、やがてカーテン越しに外が明るくなっているのが分かった。時刻は朝4時。枕元側にある窓のカーテンを少し開けて外を見ると、そこは広大な農作地帯、ときどき白樺林が現れるのも印象的である。黒河駅到着は7時、着く直前までベッドでゴロンと横たわり体を休めていた。


【二日目】 黒河駅に到着、青い空が広がっていた。前回の牡丹江の時と違い天候に恵まれホッとする。改札を出て駅舎を撮影しようと思ったがそれらしき建物が見当たらない。確認すると駅舎は建設中のようで臨時のプレハブ待合室が設置されていた。次に駅前の公園にある銅像を撮影していると中国人の中高年男性が声をかけてきた。名は李さん、地元の観光局を退職後、独自に現地の旅行ガイド兼運転手の仕事をしているという。値段交渉が成立すると李さんの車で宿泊予定ホテルへ行って荷物を預け、さっそく観光が始まった。


大黒河島の河川公園  最初に案内されたのは黒竜江に浮かぶ大黒河島。黒竜江(アムール川)の対岸はロシアのブラゴベシチェンスク(布拉戈維申斯克〈海蘭泡〉、Благовещенск、Blagoveshchensk)。大きなロシア国旗が見える。ただこの日は半旗。ガイドの李さんによると有名な将軍の死を追悼しているのだという。私は視力が少し弱いが、対岸をじっと眺めていると点が移動するように人々や車の動きが見える。民族も言語も文化も違う国と国が河一本で隔てられ、簡単に行けそうで簡単に行けない状況。島国の日本ではこのような体験はなく何か不思議な感じがする。日本人に緊張感がなく平和ボケするのも理解できるような気がする・・・。

向かって河の右手(北岸)はロシア、左手(南岸)は中国。近すぎて何か不思議な感じ・・・

黒竜江大橋の展望台(観光塔)  次に案内されたのは黒竜江に架けられた中露をつなぐ黒竜江大橋(正式には「中俄黑河-布拉戈維申斯克界河公路大橋」)。全長19.9km、開通が2022年6月10日というから、ちょうど一年前にできた新しい橋だ。展望台からは橋の全体をよく観察できる。よく見ると橋の中間を起点として塗装色が塗り分けられているのが分かる。李さんによると濃い赤の部分は中国、薄い赤の部分はロシアが管轄権を有しているとのこと。このとき交通量はとても少なく、時折トラックが一台だけ渡っているのが見えるという程度だった。


璦琿(あいぐん)観光  次は向かうのは黒河市街地から南へ約30kmの「璦琿鎮」。清朝の頃はここに城が築かれ役所が置かれていた。今来てみると華やかさはなく、ただ農地が広がるさびしい場所という雰囲気だ。当地の主要観光スポットは、璦琿歴史陳列館と璦琿海税関旧跡。ただ残念ながらこのとき歴史陳列館は現地政府の命令で外国人は参観禁止となっていた。ガイドの李さんも少し驚いていたが、確かに先日ロシア人観光客が入館を断られているのを見たという。しかしその時は全ての外国人が禁止対象だとは知らなかったらしい。まぁ次回来た時の楽しみにとっておこうと思うが、この件に関しては多少意見がある。この地域では1900年、ロシア軍による中国人大量虐殺事件「アムール川の流血」(中国語「庚子俄難」。7月16日の「海蘭泡惨案」と7月17日の「江東六十四屯事件」)が発生した。ガイドブックによると当陳列館は「愛国教育施設」で、この事件についても大きく展示しているという。今はウクライナ問題が進行中である非常時、ロシア人との摩擦は防ぎたいという考えなのであろう。その事情は理解できる。しかし歴史から目を背けていては両国の真の友好信頼関係の構築と相互協力による地域社会発展は期待できない。負の歴史を認め乗り越えてこそ真の平和が生まれるのだ。たとえそれが中露関係であっても日本人の私は憂慮する。それは中露の不和が周辺地域や国際情勢にも悪い影響を与えかねないからだ。世界の安定と平和のため早急に外国人の参観禁止措置が解除されることを望む。


陳列館は仕方ないので諦め、この地区に残る清代の住宅を見学することになった。敷地内には入れず離れた場所からの見学。どの建物もかなり劣化が進んでいる。まぁそれはそれで歴史を感じることができてよかった。


次に向かったのは黒竜江の川岸。そのとき観光客は少なく、二組の家族だけが川辺で遊んでいた。対岸のロシア領に建物は見えず森林が延々と続いている。街の姿とは違った自然のよい雰囲気が味わえる。このエリアには「璦琿海関旧跡」がある。堂々として趣のある外観、とても魅力的な建物だ。ここには陳列館があったようだが現在は閉館中。コロナの影響がまだ続いているのか、或いは慢性的な観光客不足なのだろうか、それは不明である・・・。

さてさて午前11時前に税関署跡を離れ、ホテルのある黒河市街地に戻った。午後は広州から来た男性観光客一名が合流、李さんを含めた三名で「新興鄂倫春族郷」を観光する。この記事は次編に掲載しよう。

四泊五日の牡丹江・東京城(6)やっと最終回


さてさて、ようやく最終回、正直ホッとする。最近は何をするにもスマホで写真をパチパチ大量に撮影するので、ちょっとした小旅行でもブログ記事の編集作業に時間がかかり負担を感じている。えらいこっちゃ・・・。この状況はどうにか改善しなければならない。とは言えすぐに答えが出ないのが辛いところだ。

【五日目】哈爾浜へ帰る日。列車出発は午後2時過ぎ、そこで午前中に牡丹江市博物館へ行き前日見られなかった展示部分を見学した。前回は徒歩で移動したが、この時少し疲労を感じていたのでバスを利用した。考えてみればこの4月は瀋陽、依蘭、牡丹江と精力的に旅行してきたので疲れるのも無理ないだろう。
さて展示物はで古代から現代の物まで数多いが、特に興味を持った物の画像を紹介する。例えば陶器や渤海国時代の出土品、清代の馬車、関文超さんの革命軍人證明書などである。陶磁器は中国の博物館で多数展示されているが、毎回その造形や色彩の美しさには魅了される。また清代の馬車は細部に至るまで丁寧に装飾加工されていて見ごたえがあった。当時貴人が利用していたものであろうか。


渤海国時代の展示  今回の牡丹江・東京城の旅は「渤海国の旅」とも言えるだろう。旅を通して渤海国の遺跡や遺物に多く触れ、この博物館も例外ではなかった。前回までの記事では掲載しなかったが、今回は文字が押印された瓦「文字瓦」の画像も紹介する。


その他の展示物  渤海国時代以降の物を紹介する。オススメは清代の馬車。


博物館を出た後は前日と同様に牡丹江の川岸公園へ行く。この日も天候に恵まれ暑さを感じるほどだ。川岸は多くの人でにぎわい、ボート漕ぎで遊ぶ人たちも見える。休息後はバスで駅に向かい、時間通り高速列車に乗る。これで牡丹江ともお別れだ。


哈爾浜駅に到着。下の画像は駅の北広場、中央には緑色玉ネギ屋根の「聖・伊維爾教堂(エベル教会)」が小さく見える。自宅までは歩ける距離だが確かバスに乗って帰った。今月は旅の連続で少し疲れた。しばらくは変化の少ない静かな生活をしたいと思う・・・