五泊六日の黒河(2)2023.06.21


【二日目午後】新興鄂倫春族郷  璦琿を出発し、次は「新興鄂倫春族郷」へ向かう。「鄂倫春族」とは「オロチョン族」のこと。一度黒河市街に戻り、広州から来た男性客一名を乗せる。市街から目的地までは車で約2時間。途中は丘陵地帯で、多くは農地や放牧地として利用しているようだ。風光明媚な景色が続き、空気もきれいで気持ちがよい。途中、白樺の群生地に立ち寄り写真を撮る。故郷・信州の山にも白樺が多く見られるので親しみを感じる。やはり時には街の塵埃から離れ、自然に触れることも大切であろう。心身ともにリフレッシュできて活力が湧いてくるような気がする・・・


中国には全人口の9割を占める漢族と55の少数民族がいて、「オロチョン族」もその一つ。詳細を百度百科で調べたところ人口は約9,000人。人口が最も少ない民族の一つだ。主に内モンゴル自治区と黒竜江省に住んでいる。そして今回訪れた「新興鄂倫春族郷」の人口は約1400人、うちオロチョン族は約180人だという。最初はその地名から人口の大半がオロチョン族だと思ったが、意外にそうではなかった。ここには小規模ではあるが役場や診療所、郵便局、学校、住宅地等が整備されており、住民は比較的便利に生活しているようである。


民族風情旅游区  ここではオロチョン族の独特な生活や文化が見学、体験できる。歩いていて特に目を引いたのは白樺を利用して組み立てられたテント家屋。現地では「撮羅子」或いは「斜仁柱」と呼ぶ。白い樹皮で覆われているので薄暗い森林の中で光って見える。信州の山にも白樺はたくさんあるが、このような利用方法は見た記憶がないので興味深かった。その他、オロチョン族は狩猟を行うことから弓矢体験ができる射的場がある。また川辺のロッジでは宿泊やBBQをして森林生活を楽しめる。さらに野生動物の料理を提供する店(ジビエ料理店)もある。ただ今回食事等はせず、エリア内をひと回り歩いて帰ってきた。


街に戻る途中、道路脇に「石名坂」と彫られた石碑がポツンとある。李さんによると今走っているこの道路は戦時中に日本人が整備したもので、この石碑も当時の日本人と関係があるらしいという。日本にも「石名坂(いしなざか)」という地名はある。しかしそれ以上のことは不明である。


俄羅斯商品街  オロチョン郷から市街地に戻ると、李さんの弟さんが経営しているロシア商品店「仁平俄商品総匯」で買い物をする。自身はガイド兼運転手で弟は土産店経営、上手くできた組み合わせだ。店のある通りは「俄羅斯(ロシア)商品街」といい、ロシア産の食品や雑貨の販売店が軒を連ねている。仁平店は見たところ30平米ほどの規模だが、様々な商品がぎっしり陳列されており、見ているだけでも楽しくなる。ここでは黒河滞在中に飲むウォッカと赤ワイン、それに粉コーヒーを購入。特にウォッカの種類が多いのには少し驚いた。それぞれ味や原材料、熟成度、アルコール度数などが異なるということか。ただロシア語が理解できず、どれがいいのか皆目分からない。そこで店主に比較手安価なものを選んでもらった。赤ワインは「スターリン」を選んだ。ラベルの厳めしい独裁者的風貌が目立っているが、さて味はどうだろうか・・・。


大健康商務酒店  旅行二日目はこのホテルでお世話になる。通された部屋は広く、窓からの街の眺めも悪くない。最初の印象は良い。しかしシャワーの排水が悪く、洗面室全体の床が濡れて乾かず非衛生的だ。またこの時期の黒河は夜でも室内は少し暑く感じるが、空調は少し運転すると急にプツンと停止、その繰り返しで困る。そこで窓を開けると、街の騒音と串焼き屋のにおいが入り込んできて不快である。やれやれ、ホテル名は「大健康」だが実際は不健康きわまりなかった。まぁただ翌日から二泊は李さんに紹介してもらったリバービューのホテルへ移動、荷物を広げた後での部屋移動も面倒なので今回は我慢、夜はウォッカをグビッと飲んで寝てしまおう・・・


西洋料理「徳洛克」 朝と昼の食事は簡単に済ませるが、せめて夕食くらいは現地のおいしい料理が食べたい。そこでホテルから徒歩15分の「徳洛克」へ行く。ロシア料理が中心なので普段は口にしない味が楽しめそうだ。室内は広く少し薄暗い照明、重厚感ののある内装に大きめのテーブルと座り心地のよいイス、雰囲気がよく落ち着いて食事ができる。さて飲み物は「俄羅斯鮮醸黄啤(ロシアビール)」、料理は「挪威三文魚沙拉 (ノルウェー産サーモンのサラダ)」、「俄式罐燜牛肉(ロシア式牛肉壺煮込み)」、「羊排大串(厚切り羊肉の串焼)」を注文。どれもおいしかったが、オススメはロシアビール。ドイツの伝統製法で造られ、香りも良く、味もまるでバナナのようにフルーティーでクリーミー、ほどよい苦みもあり、今まで経験したことのない大変すばらしいビールだ。滞在中に再度来店しもう一度飲んでみたいと感じた。ちなみに合計金額は130元(現在レート2,600日本円)、味も良く量も充分で大満足だ。

ホテルの部屋に戻ると、ウォッカを飲みながら翌日の計画を立てる。味は北京の焼酎「二鍋頭」を少し甘くしたような感じだ。さてさて、この日は朝列車を降りてから夜のレストランまで様々な場所を訪れ少し慌ただしかったが、とても充実した一日であった。特に郊外のきれいな風景は印象的であった。まぁ忙しくした分、次の日は黒竜江の川岸でただのんびり過ごすのもいいかもしれない・・・

五泊六日の黒河(1)2023.06.21


一時帰国前の話題に戻る。今回の旅は端午節の休みを利用。五泊六日といっても二泊は「哈爾浜-黒河」間の列車内で過ごした。行きの列車はK7035(20:19哈爾浜発)、所要時間は約11時間、夜寝て朝起きたら目的地に着いているので便利だ。ただ利用した二等寝台車(硬臥)は以前の印象とは違い狭くて息苦しく、初老男子には辛く感じた。次回は多少高額だがソフトで快適な一等寝台車(軟臥)にしよう。
ちなみに中国の寝台車は久しぶりで、前回は2012年7月の甘粛旅行の時、上海➔嘉峪関(一等・軟臥)と、武威➔蘭州(二等・硬卧)で利用した。

私が利用した寝台。三段ベッドの真ん中(中鋪)

しばらくは通路側のイスに座り窓の外をぼんやり眺めていた。発車当時はまだ景色も見えたが、やがて闇に包まれ、時々通り過ぎる小さな駅や町の明かりが見える程度になった。22時頃床につき、少しすると車内は消灯。狭いスペースのうえ一晩中バンバンと何かが当たる大きな異音が響き続け、まともに睡眠ができなかった。それでも眼を閉じて横になっていると、やがてカーテン越しに外が明るくなっているのが分かった。時刻は朝4時。枕元側にある窓のカーテンを少し開けて外を見ると、そこは広大な農作地帯、ときどき白樺林が現れるのも印象的である。黒河駅到着は7時、着く直前までベッドでゴロンと横たわり体を休めていた。


【二日目】 黒河駅に到着、青い空が広がっていた。前回の牡丹江の時と違い天候に恵まれホッとする。改札を出て駅舎を撮影しようと思ったがそれらしき建物が見当たらない。確認すると駅舎は建設中のようで臨時のプレハブ待合室が設置されていた。次に駅前の公園にある銅像を撮影していると中国人の中高年男性が声をかけてきた。名は李さん、地元の観光局を退職後、独自に現地の旅行ガイド兼運転手の仕事をしているという。値段交渉が成立すると李さんの車で宿泊予定ホテルへ行って荷物を預け、さっそく観光が始まった。


大黒河島の河川公園  最初に案内されたのは黒竜江に浮かぶ大黒河島。黒竜江(アムール川)の対岸はロシアのブラゴベシチェンスク(布拉戈維申斯克〈海蘭泡〉、Благовещенск、Blagoveshchensk)。大きなロシア国旗が見える。ただこの日は半旗。ガイドの李さんによると有名な将軍の死を追悼しているのだという。私は視力が少し弱いが、対岸をじっと眺めていると点が移動するように人々や車の動きが見える。民族も言語も文化も違う国と国が河一本で隔てられ、簡単に行けそうで簡単に行けない状況。島国の日本ではこのような体験はなく何か不思議な感じがする。日本人に緊張感がなく平和ボケするのも理解できるような気がする・・・。

向かって河の右手(北岸)はロシア、左手(南岸)は中国。近すぎて何か不思議な感じ・・・

黒竜江大橋の展望台(観光塔)  次に案内されたのは黒竜江に架けられた中露をつなぐ黒竜江大橋(正式には「中俄黑河-布拉戈維申斯克界河公路大橋」)。全長19.9km、開通が2022年6月10日というから、ちょうど一年前にできた新しい橋だ。展望台からは橋の全体をよく観察できる。よく見ると橋の中間を起点として塗装色が塗り分けられているのが分かる。李さんによると濃い赤の部分は中国、薄い赤の部分はロシアが管轄権を有しているとのこと。このとき交通量はとても少なく、時折トラックが一台だけ渡っているのが見えるという程度だった。


璦琿(あいぐん)観光  次は向かうのは黒河市街地から南へ約30kmの「璦琿鎮」。清朝の頃はここに城が築かれ役所が置かれていた。今来てみると華やかさはなく、ただ農地が広がるさびしい場所という雰囲気だ。当地の主要観光スポットは、璦琿歴史陳列館と璦琿海税関旧跡。ただ残念ながらこのとき歴史陳列館は現地政府の命令で外国人は参観禁止となっていた。ガイドの李さんも少し驚いていたが、確かに先日ロシア人観光客が入館を断られているのを見たという。しかしその時は全ての外国人が禁止対象だとは知らなかったらしい。まぁ次回来た時の楽しみにとっておこうと思うが、この件に関しては多少意見がある。この地域では1900年、ロシア軍による中国人大量虐殺事件「アムール川の流血」(中国語「庚子俄難」。7月16日の「海蘭泡惨案」と7月17日の「江東六十四屯事件」)が発生した。ガイドブックによると当陳列館は「愛国教育施設」で、この事件についても大きく展示しているという。今はウクライナ問題が進行中である非常時、ロシア人との摩擦は防ぎたいという考えなのであろう。その事情は理解できる。しかし歴史から目を背けていては両国の真の友好信頼関係の構築と相互協力による地域社会発展は期待できない。負の歴史を認め乗り越えてこそ真の平和が生まれるのだ。たとえそれが中露関係であっても日本人の私は憂慮する。それは中露の不和が周辺地域や国際情勢にも悪い影響を与えかねないからだ。世界の安定と平和のため早急に外国人の参観禁止措置が解除されることを望む。


陳列館は仕方ないので諦め、この地区に残る清代の住宅を見学することになった。敷地内には入れず離れた場所からの見学。どの建物もかなり劣化が進んでいる。まぁそれはそれで歴史を感じることができてよかった。


次に向かったのは黒竜江の川岸。そのとき観光客は少なく、二組の家族だけが川辺で遊んでいた。対岸のロシア領に建物は見えず森林が延々と続いている。街の姿とは違った自然のよい雰囲気が味わえる。このエリアには「璦琿海関旧跡」がある。堂々として趣のある外観、とても魅力的な建物だ。ここには陳列館があったようだが現在は閉館中。コロナの影響がまだ続いているのか、或いは慢性的な観光客不足なのだろうか、それは不明である・・・。

さてさて午前11時前に税関署跡を離れ、ホテルのある黒河市街地に戻った。午後は広州から来た男性観光客一名が合流、李さんを含めた三名で「新興鄂倫春族郷」を観光する。この記事は次編に掲載しよう。