八泊九日の石家荘・平遥・太原(7)2023.09.29


【六日目】この日は平遥から太原へ列車で移動する。発車時刻は13:43、駅までは歩いて近いので午前中は城内を散策する。歩いていて適当に見つけた食堂で朝食をとる。せっかくなのでご当地の「碗禿」と「油茶」を注文。その後は「中国(平遥)観察文化博物館」を見学。

「碗禿」は厚く切られた硬めの麺に、冷たい生姜味のスープをかけた素朴な料理。アッサリ・スッキリしているのであまり食欲がない朝にもよさそうだ。百度百科によると麺は小麦粉と蕎麦粉を混ぜたもの。清・光緒期に城内の料理人・董宣さんが発明し、1900年に西太后が西安へ逃げる途中に平遥でこれを食べて絶賛、厚い褒美を与えたという。ただ一見単純な麺料理なのでもっと昔からあってもおかしくないと思った。「油茶」は煎った小麦粉に塩や油、すりつぶしたゴマ、クルミ、ピーナッツ等を混ぜ合わせ再度煎り、それをお湯で溶かした飲物。トロッと濃厚で栄養豊富、朝から元気が出そうだ。


中国(平遥)監察文化博物館  「監察」とは行政の官吏に不正がないかを監視する役割で、明清時代その最高機関は「都察院」、平遥の「察院」はその地方機関。監察官は当然に清廉潔白、品行方正で公正さが厳しく求められる。現地の説明によると、建物は明代中期の建立、現存する古代察院としては最も完全な状態で保存されているという。
ところで正門横の両壁面に麒麟に似た動物が彫られているが、それは「獬豸」(かいち)という伝説上の神獣で「正義」、「公明正大」のシンボルだ。腐敗官吏を見つけては角で突き倒して腹を食べてしまうという。館内には「豸補」、つまり獬豸がデザインされた清代の都御史(都察院の長官)の「補子」(官服の胸と背に貼る四角形の刺繍飾り)も展示されており、興味深く拝見した。


【総集編】平遥ご当地グルメ
平遥滞在中は旅館の隣にある食堂「農家小吃」で地元料理を何度か食事した。下の画像は店にある写真メニュー、それをマジマジと眺めながら料理を選んだ。参考に今回食べた料理を赤丸で囲んだ。その他の料理も含めここでまとめて紹介する。ちなみに一番のお気に入りは「平遥過油肉」、おいしくて太原のホテルでも食べた。

☘二日目の昼食:平遥牛肉、平遥碗禿、白酒
昼食と言っても昼は大型連休の客で大変混雑していたので3時過ぎまで待った。「平遥牛肉」とは牛肉の醤油漬のこと。初日に古城手前のスーパーで袋に小さい真空パックが30個くらい入っている品を買って食べたがあまり自分の好みではなかった。しかしここで食べてみると、真空物とは味も食感も違い断然おいしい。薄くスライスされた牛肉はやや硬い歯ごたえで、酢につけて食べる。珍味であり焼酎にとても合う。焼酎は「古城特産・三碗不過崗」というラベルが貼られた容器の酒を飲んだ。味は悪くなかった。その後ハルビンに戻ってからネットで調べてみたが、今一つ正体不明の酒だ。一体自分は何を飲んだのか??まぁこうやって元気に生きているので心配はしていないが・・・。

☘二日目の夕食:水餃子
この日、酒を飲み過ぎてあまり記憶がないが、後で画像を見ると夜8時過ぎに水餃子を食べたようだ。それを見て少しは記憶がよみがえってきたが・・・。味はおいしくパクパク全部食べたという微かな記憶がある。

☘三日目朝食:油茶、牛肉水煎包
ここで食べた「牛肉水煎包」は下の画像の通り、いくつもの小さな肉まんを円形に寄せ集めて焼いた料理だ。口に入れるとモゴモゴ、パサパサし、また取り分けて食べるのも少し面倒、あまり自分の好みではない。紀念にはなったが普通の大きな肉まんの方がいいと思った。

☘三日目の夕食:肉沫栲栳栳、平遥醤梅肉
「肉沫栲栳栳」は「莜麦」(ゆうばく。燕麦の一種)の粉で作った筒状の「莜麺」(ゆうめん)に肉と野菜のスープをかけたもの。莜麺を食べたのも初めてだと思うが、独特な風味ともっちりした食感がある。おいしい肉野菜スープを絡めるとスルッと食べることができる。
「平遥醤梅肉」は豚のバラ肉を甘辛く煮込んだもので、ここでは蒸しパンに挟んで食べた。これはまぁ普通においしい。

☘四日目の昼食:【オススメ】平遥過油肉 😊
太原に移動する日、最後に食べた料理だ。簡単に言えば、豚肉と野菜の炒め物で、甘辛い味付けだ。まぁ自分でも作れそうな感じの料理だが、先にも述べた通り、この店で食べた料理の中で結果的にこの料理が一番自分の好みで、ご飯と一緒にパクパク頬張った。野菜もたっぷりで健康にも良いだろう。印象が良かったので太原のホテルでもルームサービスで注文して食べた。そこでも期待を裏切られずおいしくてよかった・・・。次回の山西旅行では過油肉で決まり!😊


平遥との別れ  楽しい平遥での滞在もこれで終わり、昼過ぎの列車で太原に移動する。出発前、旅館の主人と記念撮影、変な酔っ払い日本人にもよく付き合ってくれ感謝している。城門を出てしばらく歩いてから振り返ると、普通の街の景色の奥に立派な古城壁が見える。年齢を考えると恐らくここに来ることはもうないだろう。
お元気で、さようなら!


太原に到着  太原駅には午後3時過ぎに着いた。これから三日間滞在する。先ずは市バスでホテル「新紀元大酒店」に向かう。ホテルは古びたひと昔前の建物、室内も古さを感じるが、小ぎれいに清掃されているので快適に過ごせそうだ。高層階で眺めも良い。さてこの後、できれば近場の観光スポットに行きたいと思ったが、やめた。部屋でゆっくり翌日の計画を立てることにした。


そうしているうちに日が暮れ、お腹も空いてきた。疲れた体で外出は面倒なので、最近の旅行では夕食にルームサービスを利用することが多い。少し割高だが、好きな酒を飲み、TVドラマを見ながら気楽に食事できるのが良い。ホテルのレストランでメニューを撮影、部屋で料理を選ぶ。この夜は、「白灼菜心」(サイシンのアッサリ炒め)と「肉炒麺」(肉入り焼きうどん)を注文、酒は平遥で買った焼酎、ドラマは「創業年代」。時折り窓から街の夜景を眺める。
ハァ~、癒されるひと時。やはり旅行は最高だな~!

さてさて、太原の夜も更けてきた。翌日は観光で少し忙しなりそうだ。酒で気分も良くなったので早目に寝ることにしよう。
それでは、おやすみなさい😴・・・

八泊九日の石家荘・平遥・太原(6)2023.09.29


【五日目】平遥の三日目。この日も城内の古い屋敷や廟を見学、その後は城壁下の道を内と外から観察しながら歩いた。見学場所とその順番は以下の通り。中国鏢局博物館は一つ前の篇で紹介した「同興公鏢局博物館」と重複する部分が多い。また「城隍廟」では写真がきれいに撮影できなかった。そのような訳でその二か所の紹介は割愛する。つまり★印のある場所についてだけ記事とした。
 1.日昇昌記・中国票号博物館(両替商「日昇昌」旧跡)★
 2.中国鏢局博物館(旧時の運送会社跡地に開設された博物館)
 3.文廟(孔子を祭った廟。孔廟)★
 4.城隍廟(城隍〈鎮守神〉を祭った廟)
 5.二郎廟(二郎神を祭った廟)★
日昇昌記に清・光緒8年(1882)の平遥県城図が展示されていたので転載・加筆した。赤星は古城のシンボル「市楼(金井楼)」。赤丸はこの日訪れた場所、青丸は今回利用した旅館のおおよその位置だ。この古地図を見ると、例えば関帝廟、火神廟、井神廟など様々な廟が多く存在していたことが分かる。この日訪れた二郎廟も別にもう一つ城隍廟の近くにあるのを見つけた。当時の人々はそれだけ信仰に熱心だったということだろう。


日昇昌記・中国票号博物館  清代の両替商「日昇昌記票号」の屋敷跡。屋号は「日昇昌」。先日見学した「百川通票号」と同じ両替商。他の屋敷と同様に地下金庫がある。その他、当時の木印や手紙など両替商に関連する事物が展示されている。この場所は観光客に大変人気があるようで、前日訪れた時は入口に群衆が殺到し動けない状態だったので見学を諦めた。そしてこの日は早目の朝8時半に来たので普通に入ることができてホッとした。  


この屋敷で感心したのは、建物の装飾が細微で美しく、屋根のシルエットが青空に映えてとても綺麗だったことだ。床の敷石も時代を感じる。また一角に当時は富貴の象徴であった「轎車」(かご型の二輪馬車)も展示されている。やはり古城にはこのような馬車がお似合いだ。馬に引かれ道をコトコトゆっくり移動している姿を想像すると、現代人の慌ただしくストレスフルな生活が本当に嫌になる。文明が進み生活が便利になった反面、何かを犠牲にしているのかも知れない・・・。


文廟  文廟(孔子廟)は、孔子の故郷・曲阜を筆頭に中国各地に存在している。そして廟内の中心的建物が「大成殿」。平遥の大成殿は金・大定3年(1163)の修築で、現存する大成殿の中では全国で最も古い建物だという。ちなみに百度百科によると、現在曲阜にある大成殿は清・雍正帝2年(1724)に修築したものとのこと。

☘文天祥の「魁」 大成殿の北側の壁に巨大な字で「魁」と書かれている。最初見た時は何だと思ったが、現地の説明によると清・乾隆年間に廟の学生が文天祥(1236-1282、南宋末の政治家)の筆跡である「魁」の字を壁に投映・臨模したのだという。「正氣歌」を残した文天祥は愛国の英雄、また科挙の状元(首席合格者)でもあり、いつの時代でも人々から非常に尊敬され続けてきたのである。

☘轎車  日昇昌記でも展示されていた当時の贅沢品・轎車(かご型二輪馬車)。乗り心地はどうなのか一回乗ってみたい気がする。  


二郎廟  道教の神・二郎神を祭る廟。百度百科によると、二郎神は灌江口(現在の四川省都江堰市)の出身、治水等で民衆を苦難から救済する神として大いに信仰を集めたという。さて平遥の二郎廟は清代の創建で、中国内の二郎廟の中でも最も古代建築群が完備されているとして評価されている。


城内の散策  適当に歩きながら古い建物を撮影した。少し気になったのが「天主堂」。百度百科によると、清宣統2年(1910)の創建で、現在の建物は1984年に修築されたものだという。私が訪れてた時は改修工事中だったようで、中国の旅行口コミサイト「馬蜂窩」に掲載されている2018年8月撮影の画像には見られる十字架の尖塔が、この時は無い状態であった。

「馬蜂窩」に紹介されている天主堂(2018年8月撮影)


城壁内外の散策  城内を散策した後、雄大で迫力のある明代の城壁を内と外の道を歩きながら鑑賞した。高くそびえ隙間のない強固な城壁、当時は戦いで城を攻め落す場合は大変な労力が必要だったであろう。やはり調略で内から城門を開けさせる方法が最も効率が良かっただろうと感じた。


さてさて、この日もよく歩いた。翌日は列車で太原に移動する。平遥滞在中は地元料理を多少は味わったが、それに関しては次の篇でまとめて紹介する予定だ。先日の夜は白酒を飲み過ぎて奇行に走り反省、この夜は部屋で静かにチビチビ飲みながら翌日の計画を立てた。このようにしてこの日も終わる。下の画像はこの日に見た刀削麵ロボット。おいしいのだろうか・・・。