三泊四日の山海関(2)2023.12.01


【到着日・午後】午前は鐘鼓楼や東門を観光、午後は角山長城へ徒歩で向かう。鐘鼓楼から北上し北門から出て長城風景区入口まで約1時間。正面に角山が見える直線ルートなので道に迷う心配はない。12月で暑くなく、天気が良ければ景色を眺めながらのんびり歩くのも楽しい。途中のエリアに別の遺跡もあるがそれは後で述べる。
到着後、いよいよ万里の長城を登り始める。この長城は明・洪武14年(1381)に築かれた。角山長城の主要ルートはそれほど長い距離ではないが、途中から急な坂道が増えるので結構疲れる。一番の難所は「敵台」(見張り台)で、一人ずつ垂直の壁を上り下りする。そこからの景色は大変すばらしく、しんどいが苦労して登る価値はあるだろう。その先にも長城は続き、「栖賢寺」等の観光ポイントもあるが、自身は日没前にホテルに戻るため「後九連」という兵士詰所まで来てから下りることにした。

上:最上部が敵台。下:敵台上部から見た山海関古城方面の景色。

上:後九連から見た奥に続く長城。下:後九連から見た敵台。小さいので見づらいが、人が壁を降りているのが確認できる。


途中の遺跡  古城と角山長城の間には元々は城壁や城門があった。現在はその遺跡が部分的に残っている。かなり崩壊が進んでいて、雑草に覆われた門を見ると長い歴史の移り変わりを感じさせる。


城内に戻ったのは午後4時過ぎ。鐘鼓楼辺りでは夕日がきれいに輝いていた。赤く照らされた鐘鼓楼が印象的である。


夕食はルームサービスを利用。看板メニューの「山海招牌鱸魚」と、「五香醤牛肉」、「筒篙炒小蝦」を注文。酒は近くの売店で買った地元の白酒「求仙貢」(38%)。海がある街で海鮮を食べたいと思っていたので、おいしい魚料理を食べることができて良い記念になった。

部屋から見える街並と角山、夜暗くなると照明も少なく寂しい気がする。やれやれこの日は長時間歩き続けてかなり疲れた。翌日も観光が続くので早目に寝ることにしよう・・・。

三泊四日の山海関(1)2023.12.01


山海関は私が大いにオススメする観光地だ。比較的狭い範囲内に海あり山あり歴史遺産ありと盛りだくさんで、短期間で色々体験できるのだ。ところで今回は三泊とは言っても行きの寝台車で一泊した。いつもは料金の安い硬臥(ドア無しコンパートに三段ベッドが二つ)を利用するが、久々に軟卧(ドア付きコンパートに二段ベッドが二つ)を選んだ。硬臥に比べて静かで空間も広いので快適に睡眠でき、廊下でも落ち着いて車窓からの景色を楽しむことができる。
さて列車が山海関に近づくと平地にニョキッと隆起した山が見えてくる。その形が非常に魅力的なのでずっと眺めていた。山の名は「角山」、山海関の城内からも眺めることができ、借景として古城に良い雰囲気を添えている。また角山には万里の長城もあるので、見てよし行ってよしの山だ。

上は食堂車内の写真。以前に食堂車を利用した時、料理が高くてまずいという残念な印象だったので、それ以降は利用したことがなかった。今回も利用したわけではないが、気になったのでメニューを見せてもらった。高いことは変わりないが品数が多少増えたように感じた。もし味が良ければ一度利用してもいいかなと思っている。


山海関に到着  駅を出ると正面の道の奥には車窓から眺めていた角山が見える。その道をまっすぐ5分ほど進むと山海関古城の城壁に至る。高く堅固な城壁だ。城壁に沿って西に少し行くと南の城門「望洋楼」が現れ、そこから城内に入ると「南大街」という道が鐘鼓楼まで続いている。お腹が空いていたのでホテルに行く前に食堂「四条包子」で朝食をとることにした。


四条包子で朝食  望洋楼から南大街を北へ徒歩約7分の位置にあり、古城の中心にある鐘鼓楼からは徒歩5分ほど。1958年開業で人気店とのこと。行ったのが冬で平日の9時半だったからか、店内は二、三組のお客さんだけで空いていた。自分は包子(パオズ、肉まんのこと)を4個と卵スープを注文。味もおいしく値段も安いのでオススメだ。


食事後にホテルへ向かう途中で、鐘鼓楼、そして西の城門「迎恩楼」の前を通る。鐘鼓楼については後で述べる。迎恩楼の近くに乾隆帝の銅像があった。説明によると清朝歴代の皇帝は祖廟のある盛京(後に奉天、今の瀋陽)や長白山へ祭祀に向かう途中で山海関の宮殿で宿泊したという。

上:中央奥は鐘鼓楼、下:迎恩楼。


「山海假日酒店」に到着  このホテル、南側に立派な正門があるのだが、最初それに気付かず通り過ぎ、東側の駐車場口から入った。築年数がかなり経っているのか建物や室内も古びているが、清潔感はある。そして宿泊した部屋の窓からは角山がきれいに見えるのでとても満足した。

上は駐車場口、下は正門。


観光スタート!  到着初日の主要目的地は「鐘鼓楼」、「山海関東門」、「角山長城」。ホテルでも感じたことだが通り歩いていても観光客が少なかった。後でホテルのフロントスタッフに聞いたところ、繁忙期は海水浴ができる夏で、この時期は閑散期だという。ただ自分にとっては暑くもなく混雑もなく観光しやすいこの時期はとても都合が良い。
鐘鼓楼の近くにカゴを担ぐ父親と小さい子の手を引く母親の銅像があり気になった。説明を見ると「闖関東」(関東に突き進む)という題名。山海関は関内(中原側)と関外(関東、東北側)の境界で、19世紀中期以降、中原の労働者が禁令を犯し山海関を通って東北へ進入するようになったという。その原因を百度百科で調べると、清朝同治年間(1862-1874)から民国期の間に黄河下流域では人口増加で飽和状態となり、更に自然災害が多発したので、多くの人々が生活のために故郷を離れ、比較的人口が少なく土地に余裕のある東北地方を選んで移住したということだ。
鐘鼓楼の近くには日本でお馴染みのコンビニ・ローソン(羅森)もある。今住んでいる哈爾濵では日本のコンビニを見たことがないので懐かしくなり入ってみた。店内は清潔で陳列も整然とし安心感があり、ビールのロング缶を2本買った。建物の外観が古城の街並み合わせた「中華風ローソン」で面白い。


鐘鼓楼  現地の説明によると明初の創建、当初は城内北部にあったが、明・万暦14年(1586)に現在の城内中心部に移設された。明清以降、文人墨客が訪れ楼上からの景色を鑑賞するようになったという。現在でも高いビルがないので確かに見晴らしがとても良い。またその名の通り楼上には鐘と鼓があり、自身は記念に鐘を五回鳴らした。ゴ~ン、ゴ~ンと、透き通った美しい音色が城内に響きわたった。  

上:北方、角山がきれいに見える。下:南方、南大街の先に望洋楼が見える。

上:東方、「天下第一関」の扁額で有名な東門が見える。下:西方、迎恩楼が見える。


東門  東西南北の四つの城門の中でも観光客に最も人気がある。天下第一関、実に威風堂々として堅固な城門だ。そう言えば10月に訪れた石家荘・正定古城の南城門も大変立派だったことを思い出す。現存する城門はどちらも明代のものだが、山海関は関内と関東の境界。地政学的に見れば当時は群を抜いて重要性が高い城門だったのである。

上:東門楼上から西方を望む。東門に来る前に登った鐘鼓楼が見える。

東門の観光はこれで終了。この後は角山の長城へ向かう。その記事は次篇で・・・。