【6日目】トルファンの3日目。この日はタクシーを1日チャーターし、市郊外に点在する「アスターナ古墓群(阿斯塔那古墓群)」「高昌故城」「ベゼクリク千仏洞(柏孜克里克千佛洞)」「火焔山」「交河故城」を観光した。
アスターナ古墓群 最初の訪問地で、市街地にあるホテルから東へ車で約40分。途中、迫力のある火炎山が進行方向の左手に現れる。現地には10時に到着。その時、見学者は私一人だけだった。現地の説明文によると、ここは高昌国時代の公共墓地で、総面積は約10キロ平方メートル。ネットで調べると東京ドーム約214個分というから、かなり広大な墓地である。西晋から唐までの時代の墓が確認されているという。まさに貴重なタイムカプセル群で、発掘されたミイラや副葬品、壁画などから当時の様子を知ることができる。ただ一般見学者に公開されているのは3つの墓地だけだったが、まぁそれで十分であろう。なおトルファン博物館にもここから出土したミイラや文物の一部が展示されている。
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見学通路を歩いていると、あちこちに発掘作業した時の穴がそのままの状態で放置されている。それもまた雰囲気があって面白い。墓の見学後は展望台に上って周囲を見渡す。墓地エリアは遠くまで土盛りがたくさん確認できるが、発掘調査はすべて完了したのだろうか。他の方向に目を移すと、壁を隔てて現代のイスラム墓地が広がっている。また広大なブドウ畑の向こうには赤土で燃えているように見える火炎山がきれいに眺められる。さて次は高昌故城だ。
高昌故城 アスターナ古墓群から南へ車で約15分。麴氏高昌国時代(498‐640)の629年、唐・長安を出発した三蔵法師・玄奘が天竺へ向かう途中で高昌国を訪れ、国王の麹文泰から手厚い保護を受けた話は有名である。時は流れ645年、玄奘が天竺から大量の仏典を持って長安へ戻る時に高昌国はすでに滅亡していた。何とも虚しい世の中である・・・。
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高昌古城の見学後、昼食をとってから「ベゼクリク千仏洞」「火焔山」「交河故城」の順に見学を続ける。それらの記事は紙面の都合により次編以降で述べる。