1ヵ月間の中国西部(30)昆明老街


【29日目】8月17日の続き。石林の観光も終わった。後はバスで石林西駅へ行き、昆明行き列車に乗る。この日は昆明市街地で一泊する。バスに乗る前に近くの「アシマ旅游文化城」で軽く昼食をとる。シンプルな肉沫米線(ひき肉をのせたライスヌードル)を注文。サービスの味噌と佃煮ものせて食べる。うん、なかなかおいしい。腹も満たされたところで、バス乗り場へ向かう。その後も予定通りに移動し、午後6時前に昆明駅に到着。


雲糧大酒店に到着  ここで一晩お世話になる。さて、このホテルは元々「雲糧金泉大酒店」という名前であったが、その後「金泉」の2文字が消えた。いつどのような経緯があったのかは不明。ネットで古い写真を見て分かったが、ビル壁面のホテル名看板から「金泉」を取り外し、横にあった「雲糧」に貼り替えた。その結果、配列バランスが悪くなった。しかも「雲糧」が元あった個所の壁面色が違うので、どう見ても格好が悪い。大きなホテルが恥ずかし気もなく外観にいい加減で、ここまでくるとコメディーだ。自分もこのホテルの宿泊客としても情けなく感じる。まぁ、これも国民性の違いか、習慣の違いか、はたまた資金不足か、私には何とも言えない・・・。


ホテル建物の外観はコメディーだが、部屋からの眺望は良く、周囲の街の様子が良く見える。きれいなビルや建物も多いが、それらに隠れるようにして老朽化したアパート群も存在している。築年数は不明だが、かなり古そうだ。昆明もまだまだ開発途中ということだろうか。屋上に積まれたレンガも気になる。ただ実は私自身、倒壊の恐れがなければ老朽化した建物は嫌いではない。長い年月を多くの住民たちが喜怒哀楽を感じながら精一杯に生活してきた場所。どこか哀愁も感じられる。


観光スタート  部屋で少し休憩したら外出する。徒歩で老街方面に向かう。途中の風景は建物が密集する雑然とた街並。色々なものがゴチャゴチャ共存している感じだ。盤龍江に架かる圓通大橋を渡っている時は視野が広がり開放感がある。そしてしばらく歩くと「大徳寺双塔」に到着。


大徳寺双塔  ここは観光客にさほど人気がないのか、当時は私一人だけ。現地の説明によると、高さ21m。明・成化5年(1469)の築。清・光緒4年(1878)に西塔の頂が崩れたが、数年後に修復されたという。なかなか立派な塔だが、他の建物に囲まれ陰気で窮屈な感じだ。将来、周囲を再開発する時に広い「双塔公園」にすれば、二つの塔も断然きれいな眺めになるはずだ。市民の憩いの場所としても観光資源としても価値が上がるだろう。


昆明老街  双塔から15分ほど歩くと老街エリアに至る。ここはさすがに多くの観光客で賑わっている。古い建物がリノベーションされて多くの商店が営業している。日も次第に暮れ、ライトアップされた建物がきれいに見える。自身は何も考えず、ただのんびり歩いていただけ。それぞれの建物の名前や由来などは今でも知らないままだ。

老街エリアを離れる直前、細長い個性的な形の建物があった。記念撮影をしている人も多いので有名な建物のようだ。気になり後日ネットで調べると、この建物は1946年築の「紙片楼」。老街のランドマーク的な存在だという。事前にこのビルの存在は知らず、偶然その前を通り過ぎただけなので、見ることができたのは運が良かったからであろう・・・。


明永暦帝殉国処碑(逼死坡)  老街エリアから北に徒歩約15分、この日最後の訪問地「明永暦帝殉国処碑」を訪れる。1662年、南明の永暦帝は呉三桂によって殺害された。現在その場所に民国元年(1912)建立の碑が立っている。地名は元々「篦子坡」だったが事件以降に「逼死坡」と呼ばれるようになったという。時刻は夜8時。暗く人通りも少なく、ものさびしさを感じる・・・。その他の概要は百度百科から引用する。


夕食と酒  殉国処碑から市バスでホテル付近に移動。バス停近くで見つけた食堂で夕食をテイクアウトする。栄養バランスを考慮し、野菜入り家庭料理を2種注文した。酒はホテル1階のコンビニで購入した地元焼酎「無量山」。はじめて見る銘柄だ。


42度の烈性酒をチビチビ飲みながら、ときおり窓から街の夜景を眺める。翌日は列車で貴州省・貴陽へ移動する。そこは1か月旅行の最終訪問地。やれやれ、ようやく終わりが近づいてきた。疲労も確かに感じる。残りの日々はバタバタせずのんびり過ごそう・・・。

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