四泊五日の湯陰・安陽・邯鄲(5)


6月9日、旅4日目。河南省の安陽駅から朝8時半の列車に乗り、河北省の邯鄲駅へ移動。所要時間は約30分。移動時間が短いと体力的に楽で助かる。邯鄲での主要訪問地は、「永年広府古城」と「叢台公園」。この日は郊外にある古城を優先して見学。叢台公園はホテルからも近いので翌日訪問する。

安陽駅を出発


邯鄲駅に到着  先ずは予約してあるホテルへ市バスに乗って向かう。部屋に荷物を下ろし、少し休憩。そして外出しコンビニで飲み物を買ってから邯鄲駅に戻り、駅前始発の永年古城行き直通バスに乗る。


古城行き直通バス  邯鄲駅から古城までの正確な所要時間は忘れたが、たしか1時間ほどだったか。市街地を出ると風景はほぼ農作地。作物の路上販売している人たちもいる。やがて古城南門付近の大きな城壁と堀が現れる。バス終点の東門までは車窓から城壁を見ながら進む。古城の様子は事前にネットで調べていたが、実際に見ると想像していた以上に立派。古い城壁・城門・堀が四方ほぼそっくり残っているというから確かに貴重だ。期待感が更に高まる・・・。


古城観光スタート  堀に架かる橋を渡り、巨大な瓮城(城門前を囲む半円形の城郭)を通り東門から入城する。 古城の東西には当時の瓮城が残っているが、南北では撤去された。人民中国になり国内多数の瓮城が消えたという。昔は城防御の役割があったが、時代が変わり現代の市民生活では交通の障害になるのだろう。さて城内に入り、先ずは近くの観光センターで5か所見学できる共通券を購入、主要観光地点を巡る。古城の概要は百度百科より引用する。

【注意】チケット記載の5か所の観光地点のうち、広平府署(役所)も訪れたが、見ると最近建設されたらしいピカピカ施設。全く魅力を感じられず即座に退場した。永年古城に対する期待感が急低下する。来てみて分かったが、平遥古城等に比べると永年古城には城壁以外に古い建物は少ないようだ。表面は倣古建築だが、一般住民は新しい住宅、新しい学校、新しい商店を利用して暮らしている。歴史好きには残念だが、まぁ人々の生活の利便性を考えるとそれも仕方ないことか・・・。ただ一点、高層ビルは見えなかったので古い雰囲気は保たれている。たぶん何らかの建築制限があると思われる。


武禹襄故居  武氏太極拳の創始者・武禹襄(1812-1880)の旧居。敷地内には日本の太極拳団体から贈られた桜が植えられている。この記事を書いているのは2025年12月7日。近頃は高市首相による例の国会答弁以来、日中関係がザワついている。ただ民間の地道な草の根交流は大切にしたいものだ。ところで永年古城は、武禹襄の他に、楊氏太極拳の創始者・楊露禅の出身地でもあることから「太極之郷」と称されている。


古城壁  東門から城壁に上がり、南門まで約1km、のんびり30分位かけて歩く。この日は平日のためか古城内に観光客は少なく、城壁の上も私以外、人の姿は見えなかった。


楊露禅故居  楊氏太極拳の創始者・楊露禅(1799-1872)の旧居。武禹襄故居は城内にあったが、ここは南門外の近くにある。建物自体は近年復原したもの。建物正面には立派な楊露禅の銅像がある。  


弘済橋  古城東門から東に直線2.5kmの位置にある。現在、橋の周囲は農地が広がり交通量も少なく寂しい雰囲気だが、昔は交通の要所だったという。古城見学の最期にこの古橋が見学できて非常に良かった。姉妹橋として石家荘に「趙州橋(安済橋)」があるが、石家荘に行ったとき旅行ルートから遠く外れるため見学できず残念な思いをした。今回その代わりに弘済橋をゆっくり眺めることができたので充分満足。もちろんいつか機会があれば趙州橋にも行ってみたいと思う。弘済橋の概要は百度百科より引用する。


これで永年古城の見学も終了。来た時と同じ路線のバスに乗り邯鄲市内へ戻る。駅到着後は一度ホテルに戻り休憩。その後外出し、ホテル近くの「邯鄲道歴史文化街区」を散策する。それらの記事は次編で述べる。

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