




旅6日目。泉州2日目。この日の主要訪問先は泉州古城北東郊外の「清源山風景区」。その後は市街地に戻り、先日見ることができなかった開元寺の「仁寿塔(西塔)」を見学する。
清源山風景区 ホテル最寄りのバス停から市バスに乗り風景区西門へ向かう。所要時間は約40分。入場券を購入したら早速観光を始める。ただ風景区は広大で一日で全範囲を回るのは無理。今回私が歩いた範囲は下に掲載した観光マップ画像の赤ライン部分。限られたエリアだが、充分に自然と歴史文化を楽しむことができる。なお清源山の概要は、現地説明板の画像をご覧いただきたい。




老君岩(羽仙岩) 泉州の観光ガイドを見ると必ず老君岩の写真が掲載されている。それだけ有名な存在であるが、実際に見てみると確かに大きく迫力のある石造である。




元元洞 ここを訪れると金運が良くなるという。それから半年以上過ぎたが、財産に何も変化が無いのは残念である・・・。


見龍台 龍は見えないが、泉州の高層ビル群とその奥の山並みが眺められる。当時は市内を流れる普江が龍のように美しく見えていたのであろう。


無塵台 ここに至るも自身の煩悩はメラメラと燃え続けている。いつになったら悟りを開くことができるのだろうか・・・






弘一法師舎利塔 弘一については詳しく知らなかったが、その後少し調べてみた。彼は家庭に恵まれ、二人の妻を持ち、周囲からは人生を謳歌しているように見えていたようである。ただ本人は色々苦悩があったのだろう、最終的には家族を捨て出家することになった。人生は単純ではないということだ。李叔同(弘一の本名)については百度百科より引用する。
李叔同(1880年10月23日—1942年10月13日),著名音乐家、美术教育家、书法家、戏剧活动家,是中国话剧的开拓者之一。又名李息霜、李岸、李良,谱名文涛,幼名成蹊,学名广侯,字息霜,别号漱筒。一生用了两百多个名号,常因地因时因势而变。
1880年生于天津一个经营盐业与银钱业的家庭。少时即擅长吟诗作画,写字刻印,多才多艺。1905年至1911年间,于日本东京美术学校学习西洋画,兼习音乐。1906年在日本独立编印出版了中国最早的音乐刊物《音乐小杂志》。同年又与同学曾孝谷在东京发起了中国最早的话剧团体“春柳社”,并先后在该社公演的话剧《茶花女》、《黑奴吁天录》等中扮演女主角。1911年归国后曾任《太平洋报》文艺编辑。1913年受聘为浙江两级师范学校(后改为浙江省立第一师范学校)音乐、图画教师,曾讲学于春晖中学。1915年起又兼任南京高等师范学校音乐、图画教师。1918年8月在杭州虎跑定慧寺披剃出家,法名演音,号弘一。1942年10月13日圆寂于泉州。
2023年5月5日,国家文物局公布了1911年后已故书画类作品限制出境名家名单,根据名单,李叔同作品一律不准出境。


弥陀石 現地の説明によると、石室は宋代。その手前にある寺は唐代の創建とのこと。周囲の岩には文人墨客による石刻が多数見られる。ここから見える景色 現地の説明によると、石室は宋代。その手前にある寺は唐代の創建とのこと。周囲の岩には文人墨客による石刻が多数見られる。ここから見える景色もすばらしい。






第一山石碑 現地の説明によると、この文は北宋の米芾(1051-1107)によるもので、江蘇省盱眙県の南山を訪れた時に書いたもの。その後、南宋の尚書・李邴(1085-1146)がこの字の拓を取り、清源山にも同様の石碑を建てた。時代が変わり明末の戦乱で南山の石碑が破壊された。すると乾隆時代、泉州人の郭起元が盱眙県の知県として赴任する際に第一山の拓を持ち帰った。以上、第一山の字をめぐる泉州・盱眙の絆の話。う~ん、なかなか面白い。それだけ米芾の字が魅力的だったと言えるであろう。もし駄作だったら破壊されても人々から「まぁ、いいか・・・」と放置されたであろう。



千手石 現地の説明に、この建物は閔南の伝統建築様式だとある。赤い瓦、赤い壁、反り上がる屋根・・・。そう言えば、弥陀寺の建物もに似た外観の建物であったと思い起こす。さて、これで清源山の観光も終了。市バスに乗って市街地へ戻る。




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開元寺・仁寿塔 前日に続き二度目の訪問。今回は主に「仁寿塔(西塔)」を見学する。時間に余裕があるので塔その他をゆっくり見て回る。双塔については百度百科より引用する。引用文中の「中国一の高さと規模を有する一対の石塔」、「双塔の浮彫人物像は160尊(東西各80尊)」というの部分に注目。確かに巨大な石塔。また人物像はどれも形が異なり表現に躍動感もある。その時ふとブルボンのチョコクッキー「アルフォート」が思い浮かぶ。長方形の枠に浮彫という共通点から連想したのである。
开元寺双塔,位于福建省泉州市鲤城区西街176号开元寺内。开元寺双塔东为“镇国塔”,高48.27米,始建于唐咸通六年(865年);西为“仁寿塔”,高45.06米,始建于五代梁贞明二年(916年)。东、西两塔是中国最高也是最大的一对石塔。
开元寺双塔建造于南宋时期,具有鲜明的宋式建筑特点,宋代建筑具有侧角明显、斗拱和石柱比例硕大、覆盆式柱础等特点,这在东西双塔上都得到了明显的体现。东西双塔集建筑艺术、绘画、雕刻、宗教文化于一体而闻名海内外,双塔上的浮雕雕刻精湛、内涵丰富,在中国其他古石塔上并不常见。双塔上共雕有人物浮雕160尊(东西塔各80尊),东塔须弥座有图雕54方,西塔须弥座有图雕56方。其人物雕像传承了宋代以写实见长的风格,人物性格刻画生动,形象端庄优美,不仅表现了闽南石雕工艺的精湛,更蕴含了丰富多彩的文化。
开元寺双塔是中国从木塔向砖石塔转向的开端和尝试,突破了将石头当木头用的建造过程,既保留了石头的坚固性,又承接了木头的美观、受力体系,是一次伟大的创造。







郭沫若について 境内に郭沫若の漢詩の石碑がある。石造の屋根まで作られて大切に保護されていることが分かる。さて後に哈爾濱で、勤務先の歴史教師から聞いた話がある。それは現在の中国では郭沫若の評価は悪いということだ。その理由は、郭沫若は文学者、歴史学者というより金儲け主義のビジネスマンだったからだという。このような意見を聞いたのは初めてだったので驚いた。他の中国人の意見を聞いていないので何とも言えないが、時の経過によって人物評価が変化することはそれほど珍しいことではないだろう。

閔南名物・麺線糊 開元寺の観光も終了。時刻は午後5時。ホテルへ戻る途中、小腹が空いたので麺線糊店「趙記」に入る。香腸・海蛎・蝦仁入りの線糊と油条を注文。麺は極細でスープに溶け込んでいる。コクはあるがアッサリと優しい味だ。下の引用文にあるとおり、毎日の朝食に利用されているというのも納得できる。麺線糊については百度百科より引用する。
面线糊(闽南语:mǐ-sua-gou)是福建闽南地区和台湾地区的传统风味小吃,起源于泉州府(今泉州、漳州、厦门一带)。该小吃以细面线、地瓜粉为主料,先将水煮开,放入番薯粉和调料、面线熬煮成糊状,常搭配油条、大肠、醋肉及马蹄酥等配料,口感清甜爽滑,具有闽南地方风味。民间流传乾隆下江南时赐名”龙须珍珠粥”的传说。泉州获评中国第七座“世界美食之都”,其细如发丝的面线制作技艺被列为非物质文化遗产 。
泉州永春县蓬壶镇被称作”中国面线文化之乡”,采用手工制作与机械生产结合的方式扩大规模,并通过直播电商拓宽销售渠道。2025年起泉州将实施《泉州小吃面线糊制作技艺》地方标准,规范高汤勾芡、配料搭配等工艺。台南”诚江号面线”曾将这道小吃带至成都推广,泉州水门国仔面线糊等老字号通过中央厨房标准化运作,融入闽南文化元素拓展旅游市场。安溪传承人胡丽珍改良传统工艺,创新自动晾晒设备等专利技术推动产业发展。该菜品通常作为早餐食用,亦可作为点心和夜宵。





夜食テイクアウト 麺線糊の食後、食堂「阿杜焼腊」に寄り夜食用の丼ぶりを購入。注文したのは「焼き鴨飯」に「叉焼」の追加乗せ。焼酎によく合う一品だ。これで安心してホテルへ戻り、楽しいナイトタイムが過ごせる・・・。




さてさて、この日の活動もこれで終了。清源山は蒸し暑く少し苦労したが、自然と史跡を色々と見て歩き充実感がある。山から見た街の眺めも印象的であった。
翌日も観光は続く。どのような新たな出会いが待っているのだろうか・・・。
