八泊九日の石家荘・平遥・太原(8)2023.09.29


【七日目】太原の二日目。この日は「晋祠」だけを観光。一日一か所だけ!? と思うかも知れないが、晋祠を含む風景区は敷地も広く歴史的に貴重な遺産も多い。また宿泊したホテルからも遠くバスで片道約1.5時間以上かかる。自身は元々あちこち色々と見て回りたいという欲深い性格だが、現在は年も取り体力にも自信が無いので今回は一か所をゆっくり楽しむことにした。朝は先ず太原駅まで行き、晋祠まで直通の市バスに乗る。バスは途中「汾河」に架かる橋を渡る。この汾河は翌日にその畔を散策することになる。


晋祠に到着  晋祠とは春秋時代に晋を建国した唐叔虞とその母を祀った道教寺院。今回は特に貴重な歴史遺産が残るエリアを中心に見学した。掲載画像の説明も面倒なので、ここでは現地の説明パネルから基本的な情報だけを抜粋。詳細情報はパネル画像を参照のこと。


☘会仙橋 明代の石橋。橋の名称はここで明代の学者・羅洪先と仙人が出会ったという伝説が由来する。

☘金人台 古称は「蓮花台」、俗称「鉄漢橋」。四隅に鉄人が立っているが、東北隅の鉄人(民国の鋳造)以外の三体は北宋・紹聖4年(1097)の作。

☘対越坊 明代の建立。「対越」は『詩経・周頌』から取った言葉で、ここでは「聖母の功徳を宣揚する」という意味。

☘献殿【晋祠三大国宝建築之一】 金・大定8年(1168)の建立。「献殿」は祭祀のお供え物を陳列する建物。現存する建立年が明確な献殿としては中国で最古のものという。

☘魚沼飛梁【晋祠三大国宝建築之一】 献殿と次に述べる聖母殿の間にある十字型の石橋。創建時期は不明だが現存するものは北宋の建立。

☘聖母殿【晋祠三大国宝建築之一】 晋祠の主殿。北宋・太平興国9年(984)の建立。「聖母」とは周の武王の王后・邑姜のことで、晋を建国した唐叔虞を生んだ。正面にある龍の巻き付いた柱が目を引く。

☘唐碑「晋祠之銘並序」 唐・貞観20年(646)、第二代皇帝の太宗・李世民が東征の帰りに晋祠に立ち寄って自ら撰文揮毫して建てた石碑。単に「晋祠銘」と呼ばれることが多い。中国で現存する最古の行書碑とのこと。


上記以外にも興味深い場所はいくつかあったが、説明はここまでとする。 連日の観光で疲れを感じたので暗くなる前にバスで市街に戻ることにした。バスを降りてから理髪店へ行きボサボサ髪をカットしてもらった。スッキリ気分でホテルに戻る。


ホテルに戻り休息、やがて日も暮れた。お楽しみの夕食タイム、この夜もルームサービスを利用し「老伝統過油肉(小)」と「剔尖麺」を注文。過油肉は平遥で初めて食べて大変おいしかったので太原で再注文。「剔尖麺」とは麺生地を細長い棒で切って飛ばし釜茹でしたもの。麺にかけるソースは「卵入りトマトソース」と「挽肉入り甘辛ソース」の二つが運ばれてきた。この夜はちょうど中国杭州での第19回アジア大会の女子バスケットボール・日本VS中国の決勝戦がテレビでライブ放映されていたので、それを観戦しながらの夕食となった。試合結果は「日本 72-74 中国」、日本は残念ながら僅差での敗北となったが、まぁ本当にハラハラドキドキの良い試合だった。

おいしい料理と白熱した試合、おかげで充実した夜を過ごすことができた。さてさて、翌日も太原での観光が続く・・・。

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