またまた上海に来ました(2015.05)

三日前に上海に着き、一年ぶりに上海外大のホテルにチェックインした。前回は13階の南向き、今回は16階の北向きの部屋である。窓からの景色は、住宅やバイパス道路、 そして電車の「赤峰路」駅と線路が見える位である。南側の「青い発光ビル」や東方明珠が直接見られないのが少し残念である。

食事は、前回同様、近くの簡易食堂「口口田」でテイクアウトして 部屋で食べることが多い。そして飲む酒は、中国に来たからには、やはり中国酒を飲む。酒はカルフール(家乐福)で買うことが多い。大き目のスーパーなので種類も豊富である。高価な酒はガラスケースに入っているが、それは眺めるだけである(涙)。

日本にいても時折紹興酒が飲みたくなるが、普通の酒屋では種類が少ない上に値段も高い。京都駅八条口のアバンティ内にある酒屋「やまや」は 紹興酒の種類が比較的多いが、中には台湾産の厳密には「紹興酒」とは言えない酒も並んでいる。それを考えると僕にとって現地スーパーの酒コーナーは 永遠のパラダイスである。

先日も白酒を買ったが、最近は健康に注意しているため、比較的度数の低い「五糧醇」(35度)を購入した。普通は50度前後の酒が多いが、「新第Ⅲ代」と銘打ったこの酒は 若者向けに度数を低くしているのであろう。まぁ、このように日本とは違う食文化体験もたまには刺激的で 面白いと感じるが、やはり健康を考えると、一か月間位がちょうどいいのかもしれない。

康さん、今までありがとう。そして、さようなら ― 日本で出会い、中国で別れる ― (2014.06)

寧波市内を流れる奉化江

 
 今思い出しても、とても残念である。後悔する気持ち、あきらめの気持ち・・・、複雑に交じり合う。しかし、すべては僕が悪かった・・・。
 はじまりは、僕が京都市北区鎮守庵町に住んでいた頃であるから、約20年前のことである。出会いの場所は、寺町の「松本松栄堂」である。初対面で、僕は康さんが好きになった。いわゆる一目惚れである。康さんはとてもきれいで、輝いていた。ただそこには呉昌碩さんも同席していて、そちらも少し気になっていた。そして数日間考えた末、康さんとのお付き合いを決めたのだ。
 歳月が流れ、僕は寧波の日本語学校で働いていた。たいへん情けないことであるが、僕は金に困り、しかたなく康さんと別れることにした。別れの場所は、鼓楼近くの「雪斎画廊」であった。康さんとは18年間くらいの長いつき合いだった。日本で出会い、中国で別れる・・・。
 一度別れたら、再会することは困難である。2年後、雪斎画廊を訪ねてみたが、やはり康さんの姿はなかった・・・。 悲しんでいても、しかたがない。今後、また新たな出会いに期待して、明るい気持ちで生きていこうと思う。さいごに、康さん、今までありがとう。そして、さようなら・・・