ふたたび驚愕、ガンマGTP!〈寺田屋観光付き〉(2016.08)

先日、健康診断の結果を見て大きな衝撃を受けた。なんとガンマGTPの数値が「115」となり、基準値84以下を31も超えてしまったのだ。つまり肝機能がひどく悪化したのである。3年前=53、2年前=94、1年前=85、そして今回の「115」である。当然に医療機関からは精密検査を勧められた。

実は3年前にも検査結果にかなり不安を感じたものだ。(参照:驚愕、ガンマGTP!、白酒のたたりか!〈2013.09〉) しかし今回は笑い話ではすまない状況である。そして早速禁酒を始め、今日が3日目である。

また今日は、血液検査の目的で献血をしてきた。場所は酒蔵の多い伏見大手筋の日赤献血ルームであったが、もちろん旨い酒は飲まないで帰ってきた。ただ、坂本龍馬ゆかりの寺田屋も観光できたので、まぁ、良い一日であった。(注:幕末当時の寺田屋は、鳥羽伏見の戦いで焼失したと言われている。) 1か月後位に再度血液検査を受けて様子をみる予定である。ガンマ数値が低下していることを、心底より願っている。そして献血ポイントもたまり、記念品がもらえるのも楽しみだ。

さて、タイミングが悪いが、先ほど家に酒が届いた。検査結果を知る直前に、芋焼酎「黒霧島・20度」1800㎖×12本をネット注文していたのだ。最近は自分の飲酒態度が気になっていたので、通常飲んでいる25度のものを20度に替えて注文したのだが、こういう状況なので当分の間はおあずけだ。まぁ、しょうがない。これは神様の命令と思って、しばらくはおとなしく禁酒しよう。晴れて数値が正常化したときには、酒蔵へ直行して旨酒を飲みたいと思う。

【経典】酒と私(2012.11)

僕の飲酒が習慣化したのは18歳である。 当時アメリカの高校を卒業して帰国し、実家で暮していた。 家にはワインが何本もあったので、毎晩それを飲んでいた。 酒を飲むと気分が高揚し、なんとも心地がよくなる。 さらに酔いがむと、些細なことにも感動して、泣き出すこともあるが、それは稀である。

その後、大学進学で上京した。その頃は主に日本酒を飲んでいた。 今でもそうであるが、ビールは最初の1本くらいでやめ、その後は他の度数の高い酒に換える。 ビールばかりでは、すぐに満腹になってしまい、またなかなか酔えないからだ。 その後、今に至る約25年間には、芋焼酎やバーボン、黒ビール、ワイン、中国酒など、 さまざまなマイブームがあった。

中国酒について。 はじめて中国に来たのは、90年8月(当時21歳)に、 某市の青年友好訪中団の一員としてである。 宴会では初めて中国の白酒(バイチュウ)を飲んだ。 その時、白酒は溶剤のような臭いがし、この上なくまずいと思った。 ただ不思議なもので、年月の経過とともに次第に慣れ、 今では自分で買って飲んでいるくらいである。 ただし酒の飲みすぎは危険である。 2年前中国で、夜中飲みすぎて銀行のATMで寝てしまったことがある。 起きたら朝になっていて、なんでこんなところで寝ているのかと、大変びっくりした。

健康のため、休肝日が必要なのは分かっているが、なかなか実行できないでいる。 酒を飲みすぎて二日酔いになった日に、 飲みすぎを後悔しながら休肝日をとるくらいである。 ただし最近は、飲みたくても量を飲めなくなってしまった。多量に飲む前に眠くなってしまうのだ。 これは老化が原因なのか。 神様が僕に「そろそろ酒の量を減らせよ」と言っているのかも知れない。