二泊三日の金沢市・福井市(中)2023.08.04


二日目、この日は主に「内灘海岸」、「近江町市場」、「浅野川大橋付近の茶屋街」を観光する。海岸と言っても海水浴はせず、ただ浜辺に座って海を眺めながら酒を飲む「浜飲み(はまのみ)」が目的だ。機会があると「園林飲み」や「流水飲み」を行うのが趣味だが、考えたら以前に「浜飲み」をした記憶がない。もしかすると今回が人生初めての「浜飲み」かも知らない。ちなみに前回の流水飲みは中国黒龍江省・黒河市で、黒龍江の流れと対岸のロシアの街・ブラゴベシチェンスクを眺めながらビールを飲んだ。

内灘海岸  朝はホテルでしっかりと食事をとる。金沢でも猛暑日が続いており、暑さに負けないようデザートのミニカレーも忘れずに食べる。食事後は部屋に戻り準備をしてから出かける。JR金沢駅の地下に隣接する北陸鉄道・浅野川線の「北鉄金沢駅」から乗り「内灘駅」で下車。所要時間は約20分。内灘駅から海岸まではバスもあるが、本数が少ないので徒歩で向かう。途中「鉄板道路」の表示が見えた。何かと思い近くにあった説明を読んだ。朝鮮戦争当時、米軍が戦車や砲弾を運ぶトラックの運送のために道路に鉄板を敷設したとのこと。この日は行かなかったが海岸には米軍試射場跡もあるという。

内灘海岸に到着。砂浜は想像以上に広く、サラサラして不安定な砂の上を歩いて波打ち際まで行くのに苦労した。後でネットで調べると、この砂浜は日本三大砂丘の一つ「内灘砂丘」にもつながっているというから広いのもなるほど納得だ。海水浴客は多かったと思うが、砂浜が広大なので皆それぞれが散らばって広く距離をとりながら寝そべったり遊んだりしていた。この日は風もあり波も高いので豪快に遊ぶには適していたが、反面溺れないように注意が必要だという気もした。

裸足になり波打ち際で波が足に当たる感触をしばらく楽しんだ。その後砂浜に座りカバンからおもむろにカップ酒「加賀鳶 極寒純米 辛口200mL」を取り出し「浜飲み」を始める。打ち寄せる波はそのたびに姿を変えるので、ずっと見ていても飽きることがない。ときおり海鳥が目の前の空を通り過ぎていくのもいい感じだ。ただこの日は猛暑、カップ酒がぬる燗になる前に飲み干し砂浜を離れる。やはり浜飲みは春や秋にしたほうがいいとつくづく実感する。


近江町市場で昼食  海岸から一度ホテルに戻り少し休息。その後「近江町市場」へ向かう。市場内をしばらく見て回ってから「市場寿し」というお店に入った。先ずは地酒「地福正宗 純米辛口 生詰 180mL」の冷酒を注文。飲みながら壁に掲示されている「本日のおすすめ」メニューを眺める。そして刺身は甘海老、生トロサバ、あかいか、さざえ、フグの五種を選び、寿司は生のど黒、炙りのど黒、白エビ軍艦巻きを注文。特に生のノドグロを食べたのは人生初めてで、金沢での良い記念になった。


浅野川大橋付近の茶屋街  浅野川大橋の西には「主計(かずえ)町茶屋街」、東には「ひがし茶屋街」がある。先に訪れたのは主計町茶屋街。ちょうど日が暮れ初め、家々の明かりも点々と灯り、近くにある浅野川大橋と中の橋のライトアップも始まった。今回は食事や美術館見学等はせず、ただ辺りを散策した。どちらの茶屋街も昔から続いてきたであろう独特な風情がそこかしこで感じられた。ひがし茶屋街を見終えた頃には日は完全に落ち、大通り以外の路地は暗く人通りもまばらで、初めて訪れた場所ということもあり少し心細く感じた。

さて翌日は金沢を離れ、途中で福井駅周辺を少し観光し、それから高島へ帰る。金沢は短い滞在だったが色々楽しむことができた。次は別の季節に訪れ、また違った街の姿に出会えたらと思っている。

二泊三日の金沢市・福井市(上)2023.08.04


長野から高島の自宅へ戻る途中で金沢と福井に寄った。金沢で二泊、福井は半日観光して夕方に高島へ帰る。金沢も相変わらずの猛暑、体感温度は40℃を超えている。この街では外国人観光客をよく見かけるが、暑さで皆ヘトヘトの様子だ。金沢は見所が多いが、無理せずゆっくり観光しよう。

朝9時前、長野駅から北陸新幹線・かがやき号に乗り金沢へ直行する。所要時間は約1時間。元々のんびり各駅停車に乗り途中下車、観光しながら金沢へ向かうつもりだった。しかしこの暑さ、熱中症が心配なので止めた。やはり健康第一である。指定席に座ると、さっそく母が準備してくれた朝食おにぎりセットを食べる。飲み物は信州の純米酒「オバステ正宗」。プハ~、朝から飲む酒は効く~。残りの人生で、母の手作りおにぎりを食べることも多くはないだろう。感謝しながら味わう。やがて富山湾が見えてきた。海を隔て遠くにうっすら広がる陸地は能登半島。もうしばらくすれば金沢駅に到着する。


金沢駅到着  先ずは予約してある駅東口の「ガーデンホテル金沢」へ荷物を預けに行く。築年数がだいぶ経っているのか館内や部屋内は旧式感あふれている。ただ設備は一通り揃っていて不便はなく、部屋からの眺めも良い。さらに観光には駅前発のバス・電車を利用するので立地的には大変便利だ。では観光スタート、先ずは尾山神社・・・。


尾山神社  明治初期に金沢城の「金谷出丸」跡地に建立。和洋折衷式の神門が有名で、当時は海上の船のために灯台の役割もしていたというから少し驚いた。金谷出丸と「鼠多門」は大きな「鼠多門橋」でつながっている。橋の下に当時あった水堀は現在は道路が舗装されている。その他、境内に置かれている江戸時代の「石製の導水管」、力比べのための「さし石」などが面白い。更なる詳細は説明パネルの画像をご覧いただきたい。

新設の鼠多門と鼠多門橋 当時あった水堀は舗装されて道路になっている。


野村家屋敷跡  尾山神社を出て西に徒歩10分ほど所にある。この辺りは「長町武家屋敷跡界隈」と呼れ、当時加賀藩の中級武士の住居があった。そのうち野村家屋敷跡だけが一般公開されている。廃藩以降は敷地も分割、縮小したというが、確かに内部はそれほど広くないという印象だ。規模は小さいが樹木が多い庭園は緑が映えて美しかった。その他、展示されていた朝倉義景、明智光秀からの書状、 檜山義慎『本朝国郡建置沿革図説 』などを興味深く拝見した。古地図を見るといつも感じることだが、地名表記が現在と異なるのが面白い。例えば、信濃/科野、近江/淡海、山城/山背、播磨/針間、淡路/淡道、阿波/粟。字が変わればイメージも変わるものだ。一点、「サヌキ」が「讃吉」(注意:地図上の実際の文字は「つちよし」だが、Wordpressでは表示不可のようなので、便宜上「さむらいよし」で表記した)とあるが、なぜ「岐」ではなく「吉」とするのは疑問である。

明智光秀から野村伝兵衛への書状


武家屋敷の観光後はバスに乗り金沢の街をひと回りして金沢駅前まで行き、ホテルの部屋で少し休息する。気付けに地元のカップ酒を飲む。さて夕食までは時間があるので再度外出し周辺を散策する。するとある場所で「枯木橋」という橋を見つけた。説明によるとかなり古くから存在する橋で、掲載した画像にある溝は金沢城の最も外側に設置された堀であるということだ。やはり旅は徒歩でのんびり移動すると面白い発見があっていい。


漁師飯居酒屋 GOEN(ゴエン)  この日は朝から新幹線で移動、到着後も炎天下を一日中バスと徒歩で観光したので体力をかなり消耗し、食欲もあまりなかった。最近の日本の暑さは異常かつ危険、夜になっても気温が下がる気配はない。やはり真夏の観光は避けるべきだろう。結局店では地酒を2合、肴はカワハギの刺身、白エビの唐揚げ、ニギスの酒蒸しの三品だけ注文、それでも充分満腹になった。ただ一点、注文タブレットは便利だが電子機器を多用すると機械的で冷たい感じがする。やはり客と店員との直接的ふれあいを重視すべきであろう。
【参考】GOENのHP


店を出て金沢駅前まで歩いて来ると、闇の中にライトアップされた太鼓門が赤く鮮やかに輝いていた。なかなか見栄えがいい。さてさて明日も炎天下での観光が続く。部屋に戻ったら芋焼酎のロックをゴクッと何杯か飲んで早々に寝よう・・・。