天王寺ほろ酔い巡り(2023.08.16)


出国予定の前日、当ブログに何度か登場している笠原さんと久しぶりに会いJR天王寺駅近くの居酒屋で飲んだ。その日は駅近くのホテルに宿泊、翌日は関空から哈爾浜に戻るという計画だった。しかし不運にも台風の直撃で欠航、4日後の便へ変更になった。自宅に戻ろうとしてもJRも運休、仕方ないので天王寺のホテルにもう1泊して高島へ戻ることにした。せっかくの機会なので帰る日の午前中は少しだけ駅周辺を観光。コースは以下の通り。この日は猛暑、無理はせず適時水分を補給しながらのんびり散策した。
 ホテル➔茶臼山➔安居神社➔四天王寺➔裏天王寺の食堂➔あべの横丁の居酒屋➔帰宅


茶臼山  天王寺公園内にある古墳とも言われている山で、大坂冬の陣では徳川家康が本陣を置き、夏の陣では真田幸村が本陣を置いたという。山頂には歴史に関する説明パネルがいくつか展示されていて色々と勉強になる。例えば錦絵の説明で、徳川家康が山頂で戦勝を祝ったことから江戸時代には禁足地だったという部分を読み、なるほどなぁと感じた。ネットで調べると日本国内には禁足地になっている場所が各地に存在するそうだが、禁足地に指定される理由、経緯も様々だということだ。


安居神社  この場所で真田幸村が戦死した。境内には幸村の銅像があり、その姿を見ると親しみを感じる。というのも私の故郷・長野市の南東部の町「松代」、それに私の誕生地の「上田」にはかつて真田氏の居城があったので、これまで幸村を含め真田氏に関する話題や史跡に接することが多かったのである。帰省した時には決まって散歩する善光寺の境内にも真田家の供養塔があり石に刻まれた六文銭がはっきり確認できる。


四天王寺  お盆ということもあり猛暑にも関わらず多くの人たちがお参りに来ていた。自分も来たまではよかったが、軽い熱中症になったのか頭がフラフラしてきた。そこで五重塔の下まで行ってからは長居せずに引き返し、裏天王寺の飲食店で休息と栄養補給をすることにした。そんなわけで四天王寺で印象に残ったのは立派な「石鳥居(西門)」とその近くにある「引導石」くらいだ。次回機会があれば境内をゆっくり見て回りたい。


裏天王寺の食堂  「阪和商店街」のエリアは「裏天王寺」とも呼ばれ、狭い路地に多くの飲食店が軒を連ね昭和の雰囲気が漂っている。ただ行ったのが昼頃だったためか、ほとんどの店が営業時間外、通行人も少なくひっそりしていた。歩いていると営業中の食堂「信濃」を見つけそこに入る。年月を経た味のある店内には小さいテーブルが10台ほどか。先ずは生ビールを注文。グビッとひとくち、う~ん元気が急速に回復する。次に天ざるそばと冷酒を注文。天ざるは見た目に派手さはなく、味も素朴で家庭的だ。やがてほろ酔い気分で楽しくなり、少し大げさだが今を生きている幸福感さえ沸き起こってきた。そして店を出て駅方面に向かう。


あべの横丁  信濃を出てからそのまま電車に乗り高島へ帰っても良かったのだが、酒飲みの勘というか何か地下の方が気になり階段を下りて行った。するとそこにあったのは「あべの横丁」という飲食店街、居酒屋もあり昼飲み客でそこそこにぎわっている。先ほどの裏天王寺の静けさとは対照的だ。どんな店があるのか確認して回り、落ち着いて飲めそうな「しもたや」に入る。カウンターに座り先ずは純米吟醸「土佐菊水」の冷酒を注文。飲みながらメニューを眺め、「あん肝ポン酢」と「どて焼き」を注文。ほろ酔い気分はまだまだ続く。

しばらくしてからもう一杯同じ冷酒を注文、気分は最高潮を迎える。ただ深酒は禁物、遅くなる前に帰ることにしよう。
では幸村さん、また来る日までさらばじゃ・・・

二泊三日の金沢市・福井市(下)2023.08.04


JR金沢駅➔福井駅  朝はホテルの朝食をしっかり取る。特に一時帰国中ということもあり中国では食べない「納豆温泉卵ごはん」に手でちぎった味付け海苔をかけて頬張る。う~ん、これぞ日本の味だ・・・。またこの日も当然デザートのミニカレーを忘れず腹に入れる。ちなみにカレーはハルビンでもよく作って食べている。スーパーには各種ルーが販売されているが、自分はハウス「百夢(バーモント)」を使うことが多い。さて金沢駅を出発、帰宅するまで少し余裕があったので福井駅で途中下車し、日が暮れるまで5時間ほど観光した。ご当地の「越前そば」もおいしいと評判なので、旅の記念に食べてみた。  


北庄城址・柴田神社  柴田神社は北庄城址に建てられた柴田勝家とお市の方を祀る神社。ここでは北庄城の遺構の一部を見学できる。また神社に隣接する「北の庄城址資料館」では、城址と福井市の歴史を現物や展示パネル、ビデオ映像などで紹介している。館員さんも常駐しているの歴史だけでなく福井の観光についても気軽に質問できる。自身も足羽山について聞きアドバイスをいただいた。


九十九橋(つくもばし)  資料館で特に面白いと感じたのは、明治初期までは半石半木だった「九十九橋」。北半分が木造、南半分が石造だったという。ちなみに現在の九十九橋は鉄筋コンクリート製だ。資料館前には当時の橋の一部分が復元されていて、見ると確かに珍しく不思議な感じがする。さて橋を半木半石にした理由について、資料館の説明パネルには何も記載がなかった。そこで後日ネットで調べたところ、福井県河川課のサイト「まちなか足羽川会議」に説明があったので引用する。

なるほど納得できる説明だ。そう言えば現代の日本にも洪水対策として橋の一部をわざと壊れやすい構造にしてあるという話を聞いたことがある。ただこのような橋は珍しいので人々の話題になるのであろう。


柴田神社➔足羽山  神社を出て少し歩くと足羽川。そこにかかる幸橋を渡り山裾に向かう。橋を渡った川の北側エリアには史跡がいくつかあった。①由利公正宅跡、②橋本左内の墓、③洞哉宅跡など。詳細については説明パネルの画像をご覧いただきたい。


足羽山の山頂古墳・自然史博物館  ふもとから山頂へは先ず直線の急な階段「百坂」を上り、その後も坂道を歩き続ける。この日も猛暑、大きな荷物は駅のコインロッカーに預けたのでよかったが、それでも体力はかなり消耗、汗も大量に吹き出し、無理をすると熱中症になる危険性があった。なんとか山頂に着くと先ずは古墳跡にある継体天皇像を確認する。石造りの立派な像だ。説明パネルには「継体天皇の父は彦主人王(ひこうしのおう)」とあるが、彦主人王の陵墓は高島の自宅から近い場所にある。以前夏に陵墓近くを訪れた時、自分以外は誰もおらず、辺りは静寂に包まれ厳かな雰囲気を感じたのを覚えている。 


その他近くには「天魔池(てんまがいけ)」があり、羽柴秀吉が北庄城を攻める際に陣を置いた場所と言われている。それはともかく当時は暑さと疲れで体はフラフラ、限界に近づいていた。そんな窮地から救ってくれたのは自然史博物館、この存在は大変ありがたかった。館内はひんやり冷房が効いていて火照った体をクールダウン、洗面所では水で顔や手の汗を洗い流し、服も整えることもできた。さらにジュースの自動販売機もあるので、キリッと冷えたスポーツドリンクをガブガブ飲んで水分補給と体内冷却をした。ここまでくると体は概ね回復し精気がみなぎってくる。博物館にはたいへんお世話になった。この場を借りて心より感謝申し上げる。足羽山の自然史博物館さま、ありがとう!! その後は建物の屋上に出て福井市街を一望する。かなり遠くまで広い範囲が展望でき、北の方角には日本海の東尋坊にある建設物も小さく見えるが何とか目視できる。以上のことから自然史博物館は大いにオススメできる観光スポットと言えるのである。


越前そば  山から下り駅近くのそば屋さん「福蕎麦」に入る。この日頑張ったご褒美に、先ずは地酒の純米大吟醸「梵」の冷酒と、肴に福井名物の揚げをカリッと焼いた「焼き油揚げ」を注文する。揚げにたっぷりおろしがのせられているのを見てうれしくなる。その後、店の名物「お市そば」を注文、おろし・明太子・納豆・とろろ・小えび天の5つの味が楽しめる最高のメニューである。う~ん、これぞ日本の味だ・・・。そしてそば焼酎「越前おろしそば職人」をロックで注文、キリッとして旨味のある良質の酒だ。兎にも角にもこのお店の味や雰囲気には大変満足、メニューには今回注文しなかった魅力的な料理もあるので是非また訪れたいと思っている。 


何気なく立ち寄った福井市、一時は暑さでフラフラしたが、短時間にも関わらず総じて想像以上にすばらしい体験ができた。ここで一泊しようとも考えたが、まぁまた次回来ることにした。金沢市・福井市の旅はこれで終了、おつかれさまでした・・・。