五泊六日の香港・澳門・珠海(2)2024.01.26


【二日目】実は香港で行っていみたい場所はそれほど多くないので、街を適当に散策する。ただご当地グルメは大きな楽しみで、前の晩は熱々の煲仔飯(釜飯)を初めて食べた。この日は朝昼晩三食を食べる店は事前にある程度決めてある。朝は飲茶(ヤムチャ)に挑戦だ。飲茶は2010年に広州で食べたが、その時は数人の中国人の知人と一緒だったので、自分は何も考えずただ出てき物を食べるだけだった。しかし今回は初の単独飲茶、マナーを守りきちんと食事できるか少し緊張する。

宿の最寄り駅「尖沙咀」から三駅目の「旺角(モンコック)」で下車、徒歩で飲茶が人気の「倫敦大酒店(ロンドンレストラン)」へ向かう。エレベーターで食事フロアに上がるとかなり広いスペースに多くの人たちがにぎやかに食事を楽しんでいる。その時は完全に空いたテーブルはなかったので相席した。

先ずお茶は晋洱(プーアル茶)を注文。テーブルには既にお湯が入った急須があったので、それで食器を洗う。一般的には一杯目の茶を使うが、まぁ問題ないだろう。そして適度な頻度でテーブルの横を点心を載せたワゴンが通るので、中身を見て食べたい物があれば注文する。今回は春巻、ウズラ卵をのせた焼売、鼓汁鳳爪(鶏脚の豆鼓ソース蒸し)、そして定番の鮮蝦餃(エビ蒸し餃子)を選んだ。特に豆鼓の旨味がしみ込んだコラーゲンたっぷりの鶏の脚、そしてプリプリ新鮮なエビ餃子が実においしかった。もっと他の種類の点心も食べたい気持ちはあったが、一人では以上の四品で満腹、ゲームオーバー。さてさて香港での初の単独飲茶は大成功であった!


油麻地の紅磚屋  飲茶の後、尖沙咀の方向へ歩いて行く。油麻地駅辺りから上海街に入ると良く目立つ赤レンガの古い建物が現れた。それは「紅磚屋」と呼ばれ、現地の説明によると1895年の建立、元々上海街揚水所の事務所だったという。周囲ではあまり見ない個性的な外観、何か魅力を感じる。


油麻地の天后廟  赤レンガの建物の近くには前の晩に釜飯を食べた店がある。そこを通り過ぎると天后廟が現れる。天后(ティンハウ)は海を司る道教の女神。訪れた日も熱心な人々が祈りに来ていた。日本人観光客も多いのだろう案内文には日本語もあるので、これ以上の説明は省略する。


九龍公園(カオルーン・パーク) 天后廟を出て「男人街(廟街)」と言われる集合住宅や商店が密集するゴチャゴチャ・エリアを通り過ぎると、急に視界が広がり空が大きく見える。そこは「九龍公園」、敷地はかなり広大だ。園内を少し散策し適当なベンチで休憩する。大きな榕樹(ガジュマル)に目が行った。気根をいくつも垂らし幹のように太くなっているのが印象的である。そういえば街路樹としても榕樹がよく植えられているが、それを見ると香港は南国なんだと再認識する。


「池記」で昼食  公園を出て近くにある「池記(チーゲイ)尖沙咀店」で食事する。おすすめメニューの「鮮蝦雲吞竹昇麺(海老ワンタン竹昇麺)」を注文。ワンタンはプリプリのエビがたっぷり入っていて食べ応えがある。スープも大変おいしい。「竹昇麺」とは竹で打った細麺で、コシ・弾力が非常に強い。そう言えば35年程前のことだが、イギリス・ロンドンの中華レストランで初めて竹昇麺を食べた時、変な表現だがまるで輪ゴムを食べているかのような食感で、世の中にこんな麺があるのかとビックリした思い出がある。


時計塔  海老ワンタン麺を食べた後、尖沙咀のベイエリアまで移動した。ここは前日、香港島からスター・フェリーに乗って到着した埠頭がある場所だ。そこにノッポの時計台がある。現地の説明によると、九広鉄路・九龍駅の付属施設として1915年に建立、高さ44m。1975年に駅が紅磡(ホンハム)に移転し、78年に駅舎は解体されたが、この時計塔は残されたという。なかなかオシャレで雰囲気のあるタワーだ。


ビクトリア監獄(域多利亜監獄)  フェリー乗り場が非常に込み合っていたので、仕方なく地下鉄で香港島まで移動した。目的地もなくただ歩いていると、突如立派な建築群が現れ、歴史的にも重要な雰囲気を感じた。その後そこは当時の監獄であることが分かった。現在は人気の観光スポットなのか、比較的多く人たちでにぎわっていた。
現地の解説文と百度百科によると、1841年に香港で最初の監獄として建設された。その後、形態や名称を変えながら建物も次第に増築、規模も拡大された。そして最終的には2006年3月12日に閉鎖されるまで使用されてきたという。今では館内にカフェがあるなど和らいだ雰囲気を感じる。
さて囚人の部屋がとても狭かったという他に、特に印象に残っているのは、高い壁、セキュリティゲートとレッドサークル、そして生々しさが残る検死室。自分はこのような施設にお世話になった経験がないので、立ち入り人数を制限する赤い円、レッドサークルの存在はなるほどなと感じた。

★プリズン・ヤード/監獄の庭★

★高い壁★

★セキュリティゲートとレッドサークル★

★検死室★


「鶏記(尖沙咀店)」で夕食  ここは宿の近くにある人気の潮州麺料理店「鶏記(ガイゲイ)」。ネットマップを見ると香港で数店舗展開しているようだ。自身は看板メニューの「炸紫菜墨魚丸黒豉油王撈麺(イカすり身団子フライをのせた汁なし麺、スープ付き)」を注文。熱々の団子フライは確かにおいしい。豆鼓油を絡めたコシのある平麺もイイ感じだ。ただ自分の場合は「池記」で食べたような湯麵のほうが好みである。
ところで香港の飲食店には「○○記」という名称が目立つ。ネットで調べたところ、店舗の創業者、経営者等の名前の後に「記」を付けて屋号とするのがこの地方の習慣という。ただし飲食店のみが「記」を使うわけではないらしいとのことだ。そう言えば去年9月に旅行した平遥古城には「日昇昌記」という清代両替商の屋敷跡があった。屋号には「記」以外の例として「○○泰」「○○堂」「○○行」等と表現する場合もある。


第2弾ナイトビュー観賞  前日に続きこの日もすばらしい香港夜景を鑑賞するためベイエリアまで来た。キラキラ輝くビル群、いつ見ても感動的だ。近くにブルースリーの彫像がある。今にも動き出しそうな精巧なつくりで迫力を感じる。ここはまさに香港、多くの人たちを魅惑してきた街。今ここに自分が立ち時代の移り変わりを感じながら夜の華やかな景色をじっと眺めている・・・。


一日の終わり  夜景を見た後は宿へ帰る。途中、自分の宿が入っているビル「美麗都大廈」の隣のビル「重慶大廈(チョンキンマンション)」の前を通る。インド人がたむろし怪しげな雰囲気が漂うビルだ。この中にも多くの激安ホテルが存在し、一階フロアにはレートが良いとされる両替ショップも多く存在する。自身も一度だけ人民元を香港ドルに両替した。まぁ少ない金額なのでどこでもよいと言えばそれまでだが・・・。
美麗都大廈に帰りエレベータにのり部屋のある階で降りると、共有通路に洗濯物が派手に干されていた。当地の人口密度の高さを象徴しているようで面白い。
部屋に戻りシャワーを浴びてサッパリし、缶ビールを飲む。うーん、この日も一日長時間よく歩いた。おいしい物も食べた。満足満足だ。ただ次の瞬間、あの男の鋭い視線が目に浮かんできた。そう、ビクトリア監獄に収監された男たちの画像の中の一人、カメラを見つめる瞳は、何を表しているのだろう・・・。怒り、悲しみ、不安・・・。まあいい、もう疲れた。明日は澳門へ移動する。そろそろ眠ることにしよう・・・。

三泊四日の山海関(1)2023.12.01


山海関は私が大いにオススメする観光地だ。比較的狭い範囲内に海あり山あり歴史遺産ありと盛りだくさんで、短期間で色々体験できるのだ。ところで今回は三泊とは言っても行きの寝台車で一泊した。いつもは料金の安い硬臥(ドア無しコンパートに三段ベッドが二つ)を利用するが、久々に軟卧(ドア付きコンパートに二段ベッドが二つ)を選んだ。硬臥に比べて静かで空間も広いので快適に睡眠でき、廊下でも落ち着いて車窓からの景色を楽しむことができる。
さて列車が山海関に近づくと平地にニョキッと隆起した山が見えてくる。その形が非常に魅力的なのでずっと眺めていた。山の名は「角山」、山海関の城内からも眺めることができ、借景として古城に良い雰囲気を添えている。また角山には万里の長城もあるので、見てよし行ってよしの山だ。

上は食堂車内の写真。以前に食堂車を利用した時、料理が高くてまずいという残念な印象だったので、それ以降は利用したことがなかった。今回も利用したわけではないが、気になったのでメニューを見せてもらった。高いことは変わりないが品数が多少増えたように感じた。もし味が良ければ一度利用してもいいかなと思っている。


山海関に到着  駅を出ると正面の道の奥には車窓から眺めていた角山が見える。その道をまっすぐ5分ほど進むと山海関古城の城壁に至る。高く堅固な城壁だ。城壁に沿って西に少し行くと南の城門「望洋楼」が現れ、そこから城内に入ると「南大街」という道が鐘鼓楼まで続いている。お腹が空いていたのでホテルに行く前に食堂「四条包子」で朝食をとることにした。


四条包子で朝食  望洋楼から南大街を北へ徒歩約7分の位置にあり、古城の中心にある鐘鼓楼からは徒歩5分ほど。1958年開業で人気店とのこと。行ったのが冬で平日の9時半だったからか、店内は二、三組のお客さんだけで空いていた。自分は包子(パオズ、肉まんのこと)を4個と卵スープを注文。味もおいしく値段も安いのでオススメだ。


食事後にホテルへ向かう途中で、鐘鼓楼、そして西の城門「迎恩楼」の前を通る。鐘鼓楼については後で述べる。迎恩楼の近くに乾隆帝の銅像があった。説明によると清朝歴代の皇帝は祖廟のある盛京(後に奉天、今の瀋陽)や長白山へ祭祀に向かう途中で山海関の宮殿で宿泊したという。

上:中央奥は鐘鼓楼、下:迎恩楼。


「山海假日酒店」に到着  このホテル、南側に立派な正門があるのだが、最初それに気付かず通り過ぎ、東側の駐車場口から入った。築年数がかなり経っているのか建物や室内も古びているが、清潔感はある。そして宿泊した部屋の窓からは角山がきれいに見えるのでとても満足した。

上は駐車場口、下は正門。


観光スタート!  到着初日の主要目的地は「鐘鼓楼」、「山海関東門」、「角山長城」。ホテルでも感じたことだが通り歩いていても観光客が少なかった。後でホテルのフロントスタッフに聞いたところ、繁忙期は海水浴ができる夏で、この時期は閑散期だという。ただ自分にとっては暑くもなく混雑もなく観光しやすいこの時期はとても都合が良い。
鐘鼓楼の近くにカゴを担ぐ父親と小さい子の手を引く母親の銅像があり気になった。説明を見ると「闖関東」(関東に突き進む)という題名。山海関は関内(中原側)と関外(関東、東北側)の境界で、19世紀中期以降、中原の労働者が禁令を犯し山海関を通って東北へ進入するようになったという。その原因を百度百科で調べると、清朝同治年間(1862-1874)から民国期の間に黄河下流域では人口増加で飽和状態となり、更に自然災害が多発したので、多くの人々が生活のために故郷を離れ、比較的人口が少なく土地に余裕のある東北地方を選んで移住したということだ。
鐘鼓楼の近くには日本でお馴染みのコンビニ・ローソン(羅森)もある。今住んでいる哈爾濵では日本のコンビニを見たことがないので懐かしくなり入ってみた。店内は清潔で陳列も整然とし安心感があり、ビールのロング缶を2本買った。建物の外観が古城の街並み合わせた「中華風ローソン」で面白い。


鐘鼓楼  現地の説明によると明初の創建、当初は城内北部にあったが、明・万暦14年(1586)に現在の城内中心部に移設された。明清以降、文人墨客が訪れ楼上からの景色を鑑賞するようになったという。現在でも高いビルがないので確かに見晴らしがとても良い。またその名の通り楼上には鐘と鼓があり、自身は記念に鐘を五回鳴らした。ゴ~ン、ゴ~ンと、透き通った美しい音色が城内に響きわたった。  

上:北方、角山がきれいに見える。下:南方、南大街の先に望洋楼が見える。

上:東方、「天下第一関」の扁額で有名な東門が見える。下:西方、迎恩楼が見える。


東門  東西南北の四つの城門の中でも観光客に最も人気がある。天下第一関、実に威風堂々として堅固な城門だ。そう言えば10月に訪れた石家荘・正定古城の南城門も大変立派だったことを思い出す。現存する城門はどちらも明代のものだが、山海関は関内と関東の境界。地政学的に見れば当時は群を抜いて重要性が高い城門だったのである。

上:東門楼上から西方を望む。東門に来る前に登った鐘鼓楼が見える。

東門の観光はこれで終了。この後は角山の長城へ向かう。その記事は次篇で・・・。