四泊五日の銀川・阿拉善左旗(3)🐪


【三日目】この日は銀川から阿拉善左旗へ移動。朝はホテルで朝食。あまり食欲がなかったのでミニ牛肉麺、プチトマト、キュウリだけを食べる。その後は阿拉善行きのバスに乗るため長距離バスターミナル「銀川汽車站」へ行く。ターミナル内では見た目がおいしそうなパンと煎餅果子(クレープ包み)が売っていたので購入した。朝食の牛肉麺は完全に消化され腹が空いていたのである。待合室で座り、その二つをマジマジ見ると、一つで充分だと感じレープだけを食べた。味はまあまあ。クレープに白い魚肉ソーセージが一本入っているのを見つけて「あぁ、お前か・・・」と感じた。そしてバスは定刻通りに出発した。


バスの車窓風景  見所は何と言っても賀蘭山。「銀川-阿拉善」間のバスは「賀蘭山脈(阿拉善山脈)」を越えていく。そのギザギザ切り立った山並みを様々な地点から間近で眺めることができて最高である。途中、明代に築かれた長城も見ることができる。ただこの日の天候は曇り、暑くなくていいが景色は若干ぼやけて見える。山岳地帯を越えると目的地までは荒涼とした平原が続く。時々、馬やラクダの姿が見える。この地域特有の雰囲気が味わえて面白い・・・🐪🐪🐪


市街地区に到着  この日宿泊するホテルまでは少し距離があったのでバスに乗ろうとしたが便が非常に少なく、また空車タクシーも無かったので50分歩いた。まぁ今となっては途中の街並や周囲の風景をゆっくり観察でき歩いてよかったと感じる。旅は歩くことで発見できるものも多いのだ。そしてホテル到着、チェックインをする。部屋は小ぎれいだが狭く、また一階の駐車場に面しいるので当然眺めは悪い。一泊だけなのでいいが、まぁ安宿を選ぶとこういう結果になるのだ・・・。


巴彦浩特城市生態公園  ホテルの部屋でしばらく休憩した後、「定遠営」へ観光に出かける。途中、水の広がる生態公園の中を通る。広々していて散歩するのにとても適した場所だ。


定遠営古城  百度百科によると、古くは漢の名将・班超が西域に出征する際、この土地に駐留し、後に班超が「定遠侯」に封ぜられたことからこの地も「定遠営」と呼ばれるようになったという。時代は移り変わり清朝・雍正年間、戦いで功績のあったモンゴル族の扎薩克和碩親王・阿宝を賞して築城が始まった。その後も親王の地位は世襲され、最後の第十代・达理札雅(1903~1968)まで続いた。後に見学した親王府は彼らの邸宅である。


阿拉善和碩特親王府  当時の建物は戦乱や文革でほとんど破壊されてしまったのか、邸内を見て回ると比較的新しい時代の倣古建築のようである。親王府にしては敷地も建物も小規模で重厚さがなく何か殺風景で残念。まぁここで印象に残ったのは最後の親王・達理札雅とその夫人が王位継承式典後に撮った写真くらいである。その時の年齢は18歳、実に若々しい。ただ12年後の揚得志将軍との写真では彼も正真正銘の‟オッサン”になっていように見える。阿拉善のような乾燥地帯では特に老けやすいのだろうか・・・。 


延福寺  創建は清朝・雍正9年(1731年)。後の時代に何度か修築されたとのことだが、先ほどの親王府に比べると時代の古さが感じられる。


寺を出てから近くの城門楼に上がってみた。眺めはよい。その後は定遠営を出て、隣接する「営盤山景観公園」に向かう。


営盤山景観公園  ホテルへ戻る途中、公園の高台まで登って市街地全体を眺めた。近くには来るときに通った生態公園や先ほど見学した定遠営、遠くには少しくすんでいるが賀蘭山脈も見える。
さて高台に至る階段の途中に「和睦四端」というモチーフの金色の彫像が建っている。現地の説明によると元々古代インドの仏教説話に由来するという。同じ森に暮らす象・サル・ウサギ・鳥の四つの動物が登場し、ある時に互いの年齢を確認した。そして年齢が低い動物が年長者を背負うことになり、一番年齢の若い象が一番下で、一番年齢の高い鳥が先端に位置した。まぁ体の大きさから考えても妥当な判断であろう。そして大樹に実った果実を採り、仲良く分け合って食べたという。う~ん、なかなかイイ話しである。
その後この説話をネットで調べると、「始まりは元々何もない荒れ地に鳥が木の種を運んできて土の上に落とし、ウサギが土の中に埋め、サルが周囲の雑草を駆除し、像が潅水を続けた結果、木は大樹に成長し、やがて森が形成され多くの動物が幸せに暮らすようになった」という話も紹介されている。違う者同士が仲良く共生するのは大切だと分かってはいるが、時に反発し合い戦争にまで発展するのが現実の世界だ。人類は今一度「和睦四端」を学び直す必要があるのではないだろうか・・・。


公園の高台から下り、生態公園を通ってホテルに戻った。途中、スーパーで夜に食べる「餡餅」(あんもち。小麦粉の生地で肉や野菜の餡を包み平たくして焼いた食べ物)を3個買った。外食や羊肉料理のテイクアウトもいいが、この日は部屋でゆっくり簡単な食事をしたいという気分だった。もちろん地酒の焼酎「阿拉善」は準備してある。高い酒ではないが味はなかなか良い。

さてさて翌日は砂漠を訪れる。路線バスはないのでタクシーをチャーターした。料金は8:00~11:00の3時間(実際は4時間利用)で200元、まぁ妥当な金額だろう。部屋では砂漠の様子をあれこれ想像して期待に胸を膨らませつつ、白酒「阿拉善」を飲み、餡餅をかじる。う~ん、幸せなひと時だ・・・。ただまぁ体調管理も大切、深酒せず早目に寝ることにしよう・・・😴

四泊五日の銀川・阿拉善左旗(1)2024.05.01


今回は労働節(メーデー)の連休を利用して銀川(寧夏回族自治区)と阿拉善左旗(内蒙古自治区)を旅行した。主な訪問先は、銀川では西夏王陵、黄河風景区。阿拉善左旗では騰格里(テンゲル)沙漠、定遠営古城。その他、銀川ではご当地の羊肉料理も味わった。五日間の旅程は以下の通り。
  哈爾濱➔(飛行機)➔銀川《2泊》➔(バス)➔阿拉善左旗《1泊》
  ➔(バス)➔銀川《1泊》➔(飛行機)➔哈爾濱

銀川行き飛行機は朝の出発、食欲がないので自宅では朝食は取らず、チェックインを済ませ搭乗口付近の食堂で牛肉麺を食べた。もちろん空港内の物価は高いが、まぁせめて楽しい旅行の時くらいは散財することも楽しむくらいの気持ちが必要だろう。ちなみに麺の味は良く肉の塊もしっかり入っていた。


哈爾濱➔鄂爾多斯  飛行機は定刻通りに離陸。機内ではペットボトル水とツナサンドが提供された。しばらくすると窓から黄河が見えた。中国で2番目に長い母なる大河、その黄色い流れを見ると上空でも気分が高まる。黄河の流れは甘粛省・蘭州辺りから北上を始め、内蒙古・巴彦淖爾(バヤンノール)辺りで東に転じ、内蒙古・包頭を過ぎた辺りで南下を始める。ちょうど「几」の字のように急に流れの向きを大きく変えるのだ。下の画像は包頭市の鉄道「古城湾駅」近くを流れる黄河で、百度地図で確認した。それにしても黄河は蛇のようにクネクネと何度も湾曲を繰り返しながら流れていくのだなぁと上空から感慨深く眺めていた。その後、飛行機は経由地の鄂爾多斯(オルドス)に着陸する。


鄂爾多斯➔銀川  空港で一時間ほどトランジット待ちをし、再度搭乗して銀川へ向かう。銀川河東国際空港に近くなると、上空からまた黄河が見える。この旅の最終日に黄河沿いの風景区「黄沙古渡・原生態旅游区」へ行き大きな砂丘にも登ったが、この地帯は非常に荒涼としていて茶色い砂地が広がっている。しばらくすると多数の山が隆起した茶色い丘陵地帯が見えた。ここは銀川市の鉄道「霊武駅」付近であることを百度地図でも確認した。このように銀川は厳しい自然環境に囲まれた都市で、人工的に植樹しないと何も育たない場所なのである。


空港➔市内中心  空港に到着。外に出ると哈爾濱とは様子が違い、日光のギラギラした強さを感じる。皮膚には良くなさそうだ・・・。バスで市内まで移動。途中、上空からも見えた黄河をバスは橋を使ってスルッと簡単に渡って行く。市内中心部の「南門広場」近くで下車。とりあえず昼食をとるため「鼓楼」近くの料理店を目指して歩く。途中、ミニ天安門のような「南門楼」、重厚感のある「玉皇閣」の前を通り過ぎる。


老毛手抓で昼食  銀川と言えば羊肉料理、なかでも「手抓羊肉」が名物だという。そこで私も鼓楼近くの老舗料理店「老毛手抓」で食べることにした。さっそく名物の「手抓精品肋条」(厳選羊スペアリブ〈肉付きあばら骨〉茹で)と、野菜の栄養も大切なので「茄子焼豆角」(ナスとインゲンの炒め物)を注文。酒は予めスーパーで買っておいた「西夏ビール」と焼酎「老銀川」を飲む。さて羊肉はスパイスや酢などつけて食べるが、プリプリして軟らかく美味。脂の甘みもおいしい。羊肉特有の臭みは少ない。ただ多少脂っぽく口中がベトベトするので、適時白酒を飲んで脂を洗い流す。そしてまた羊肉を一切れ頬張る。う~ん、これが銀川の味か。お世辞なく本当に満足した・・・。


昼食後は料理店近くの鼓楼を見学する。説明では清朝・道光元年(1821)の創建で、その後も幾度か増築があったという。その独特な外観が目を引く。以下では鼓楼上から撮影した街の画像を北・東・南・西の順に掲載した。


昼食後は市バスに乗ってホテル「銀川温特兹飯店(金鳳万達店)」に向かう。なおホテル外観の画像は翌日朝に撮影したものだ。滞在する部屋の窓からは正面に大きな蓮花型の「寧夏人民劇院」が見える。それが夕方からライトアップが始まり、外壁が白色と金色の変化を繰り返す。なかなか見応えがあり夜は酒を飲みながら眺めていた。さてさて移動と手抓羊肉を食べただけの旅行一日目は、このようにして終わる・・・。