1ヵ月間の中国西部(8)吐魯番 ❺ 2024.07.20


【6日目】トルファン3日目の続き。今回はベゼクリク千仏洞の見学後に訪れた「火焔山」と「交河故城」の様子を紹介する。先ずは火炎山について百度百科から引用する。

火焔山の見学と言っても、入場券を買って「火焰山風景区」に入ることはしなかった。ベゼクリク千仏洞も火焔山の中腹にあり、また車の移動中にも色々な地点から火焔山をずっと眺めてきたからだ。風景区の駐車場からも迫力のある火焔山を見ることができ充分満足だ。


交河故城  この日最後の訪問地。市街地の西に位置し、ベゼクリク千仏洞から車で約1時間の距離だ。概要については、トルファン博物館で無料配布されていた交河故城の紹介小冊子を複写・掲載する。それによると、故城は柳葉形の台地に築かれ、長さ約1750m、幅約300m、面積は約38万㎡。東京ドームが約4.7万㎡なので、その約8倍の広さである。石器時代から人類の活動が始まり、その後は各王朝の支配下にあったが、元末に戦火で廃墟となったという。土で建設された都市としては世界で保存状態が最も良く、歴史的にも最古で、規模も最大だという。ただ実際に見学すると破壊や風化が激しく、完全な建築物は一切なかった。廃墟が四方に広がり、ただ虚しいという印象を強く感じた・・・。

いよいよここから城内の見学が始まる。以下では現地の説明文画像を掲載するので、私からは特に説明は加えない。

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この日最後の交河故城の見学も終了。各地点を色々見学して回り、長い一日であった。翌日はトルファンの最終日。特に計画もなく、ただのんびりする。その内容は次編で述べる。

1ヵ月間の中国西部(7)吐魯番 ❹ 2024.07.20


【6日目】トルファン3日目の続き。今回は先ず、アスターナ古墓群から高昌故城、高昌古城から昼食場所へ行くまでの車内から見えた風景、次に昼食をとった食堂の様子、最後にベゼクリク千仏洞とその周囲の様子を紹介する。


アスターナ古墓群~高昌故城  運転手さんの話によると、私が宿泊しているホテルがある市街地は近年新たに開発された場所で、それ以前はアスターナ古墓群や高昌古城周辺の集落に多くの人々が生活していたという。運転手さんの実家もこの地域にあり、現在も親戚が暮らしているとのこと。車内から見た限りでは高いビルはなく、通気の良さそうなレンガ屋根の独特な建物が多く確認できた。路上でナンや瓜を販売する様子を見ると、時間の流れがゆったりとしているようなイイ雰囲気を感じる。


高昌古城~食堂「火焰山著名黄面烤肉」  基本的には上で紹介した集落の様子と変わりないが、途中に立派なイスラム建築物があったので見学した。入口建物の奥には広い墓地が広がり、礼拝所らしき平たい建物も見える。敷地内は樹木が少なく、墓や通路、建物も含め辺り一面が乾燥した土色であるのが印象的だ。 


「火焰山著名黄面烤肉」で昼食  高昌故城の見学後、ベゼクリク千仏洞へ行く前に昼食をとる。運転手さんに紹介された食堂は観光客だけでなく地元の人にも人気の店だという。見ると様々なご当地料理が並んでいる。羊肉串を焼いている匂いが食欲をそそる。魚の串焼きも見えるが、元々この地域では魚は獲れず、また魚を食べる習慣もなかった。近年、他の地域から養殖魚が流入されるようになり、今では定番メニューになったとのことだ。
さて私が注文したのは看板メニューの「黄麺」「羊肉串焼き」「焼きナン」の三つ。特に黄麺は初めて食べた。平麺と細麺の両方が入っていて、少し酸味のある冷たいスープがかけられている。ツルッと喉越しが良く、暑いこの時期には最適の一品だ。羊肉串焼きも焼きナンもお世辞抜きにとてもおいしかった。


ベゼクリク千仏洞  概アスターナ古墓群や食堂からは車で北に約20分の距離。概要については、トルファン博物館で無料配布されていた千仏洞の紹介小冊子を複写・掲載する。それによると、場所は火炎山中腹にある木頭溝河岸の崖に築かれた。麴氏高昌国時代(498‐640)から13世紀末までは造営・管理されていた。14世紀以後、トルファンにイスラム教が伝播し、15世紀以後には廃棄された。20世紀初頭、ドイツ、日本、イギリス等の探検隊によって壁画や仏像、文書等が持ち去られた。現在、83の洞窟が現存、40ほどの洞窟に壁画が残っているという。

この日に公開されていたのは第16、17、22、27、31、33、39号の計7窟。それらを実際に見学すると、塑像は全くなく、壁画も完全なものは一つもなかった。つまり破壊の程度が非常に激しかったということだ。歴史的に支配者が次々と変わるような不安定な地域では、遺産の保護が困難なのは理解できる。またその一部分が世界各地の博物館に所蔵されているは分かっているが、現地ではとても虚しく残念な気がした・・・。

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ベゼクリク千仏洞の見学後、「火焔山」「交河故城」の順に見学を続ける。それらの記事は紙面の都合により次編で述べる。