三泊四日の山海関(3)2023.12.01


山海関の二日目、この日は海岸にある「老龍頭」風景区、そして古城内のまだ訪れていない場所を観光する。浜辺に来るのはこの年8月の金沢市の内灘海岸、りんくう公園のマーブルビーチ以来だ。今回は冬だが久々に潮風に吹かれながら眺める海の景色を楽しみにしていた。ちなみにマーブルビーチは人工的に白玉石を敷き詰めたジャリジャリ硬い場所で、確かに見映えはいいが、自分は天然のサラサラした砂浜のほうが好みである。
タクシーに乗り約15分で風景区に到着、観光客の数は前日の角山長城と同様に多くなかった。敷地面積は割と広く観光ポイントも所々にあるが、先ずは人気No.1の「入海石城」に向かう。

上の画像は「澄海楼」、その前を通り「入海石城」に向かって少し下ると「天開海岳」の石碑がある。現地にはこの石碑の説明がなかったので帰ってからネットで調べた。それによると伝説では唐代の碑で「薛礼碑」と呼ばれている。それは高句麗遠征で功を挙げた薛仁貴(薛礼.614-683)が建てたことに由来する。そう言えば二か月前の10月に太原の「晋祠」を訪ねたが、そこに太宗・李世民が第一次高句麗遠征の帰りに寄り建立した石碑「晋祠之銘並序」〈貞観20年(646)〉があることを思い出した。歴史のつながりが分かると面白いものだ。
《参照:八泊九日の石家荘・平遥・太原(8)


入海石城  その名の通り渤海の海中まで続く城壁で、ここが万里の長城の東端である。現地の説明では1987年に海側へ拡張工事が行われたとのこと。確かに何百年も経つと地盤の隆起や堆積により海岸線が沖に後退すること(海退)もあるだろう。そうなると正真正銘の「入海石城」とは言えなくなり、また見映えも悪いので改善工事が必要になったのかも知れない。
さて思い返せば2012年7月、明代長城の西端「第一墩」(甘粛省・嘉峪関の西)を訪れた《参照:【回顧録】16日間の甘粛(上)嘉峪関》。その後十年以上を経てようやく東端にも来ることができて感無量である。その間の人生、楽しかったことや苦しかったことなど様々だが、今このブログを見て振り返ると、失敗も多いが概ね充実した人生だったと感じる。家族を含め関わったすべての人たちに心から感謝したい・・・。

上:石城先端から北方を望む。下:南方を望む。中央の建物は海神廟。


浜飲み@老龍頭  石城の南にある砂浜を歩いて海神廟へ向かう。この建物も海上まで伸びているので浜辺とは少し違った景色を楽しむことができる。早速「浜飲み」に適した場所を見つけて座り、カバンから缶ビールを取り出して飲む。プハッ~、気分爽快!海で飲むビールは最高だ・・・。その時の景色を20秒ほど動画撮影したので紹介する。実は当ブログで動画を掲載するのは今回が初めて、記念すべき第一号作品である。


東門「迎恩楼」  海から古城に戻り観光を続ける。迎恩楼はホテルから近いので何度も見たことはあるが、城門上の楼閣に登るのは今回が初めてである。眺めは大変良く、東には鐘鼓楼、北には角山がきれいに見える。


双文井  迎恩楼を下り城内を歩いていると鐘鼓楼の近くに「双文井」という二つの井戸を見つけた。現地の説明を読むと、明・嘉靖『山海関志』に記述があり、城内の他の井戸水は鹹鹵(かんろ、塩気がある)であるが、双文井の水は甘滑(かんかつ、甘く滑らかでおいしい)とある。また古くからの言い伝えとして、この水を飲むと進士に及第できるとして、外国使節も水を持ち帰り贈答品にするなど国内外問わず人気があったという。残念ながら今はこの井戸水を飲めないようだ・・・。

下:『山海関志』「山川一之三」の「双文井」に関する記述部分の画像。
国立公文書館デジタルアーカイブ所載データの画像に赤い傍線を加筆・転載した。


南門「望洋楼」  南門は古城に到着した初日に通った門で、その時は城門上の楼閣には登らなかった。今回初めて登ってみると、やはり眺めがとても良い。北に鐘鼓楼とその奥の角山、そして少し東側には「天下第一関」の扁額で有名な東門も見える。

望洋楼を下りたのは午後三時半頃。この後は「王家大院(山海関民俗博物館)」に向かう。
続きは次篇にて・・・。

三泊四日の山海関(1)2023.12.01


山海関は私が大いにオススメする観光地だ。比較的狭い範囲内に海あり山あり歴史遺産ありと盛りだくさんで、短期間で色々体験できるのだ。ところで今回は三泊とは言っても行きの寝台車で一泊した。いつもは料金の安い硬臥(ドア無しコンパートに三段ベッドが二つ)を利用するが、久々に軟卧(ドア付きコンパートに二段ベッドが二つ)を選んだ。硬臥に比べて静かで空間も広いので快適に睡眠でき、廊下でも落ち着いて車窓からの景色を楽しむことができる。
さて列車が山海関に近づくと平地にニョキッと隆起した山が見えてくる。その形が非常に魅力的なのでずっと眺めていた。山の名は「角山」、山海関の城内からも眺めることができ、借景として古城に良い雰囲気を添えている。また角山には万里の長城もあるので、見てよし行ってよしの山だ。

上は食堂車内の写真。以前に食堂車を利用した時、料理が高くてまずいという残念な印象だったので、それ以降は利用したことがなかった。今回も利用したわけではないが、気になったのでメニューを見せてもらった。高いことは変わりないが品数が多少増えたように感じた。もし味が良ければ一度利用してもいいかなと思っている。


山海関に到着  駅を出ると正面の道の奥には車窓から眺めていた角山が見える。その道をまっすぐ5分ほど進むと山海関古城の城壁に至る。高く堅固な城壁だ。城壁に沿って西に少し行くと南の城門「望洋楼」が現れ、そこから城内に入ると「南大街」という道が鐘鼓楼まで続いている。お腹が空いていたのでホテルに行く前に食堂「四条包子」で朝食をとることにした。


四条包子で朝食  望洋楼から南大街を北へ徒歩約7分の位置にあり、古城の中心にある鐘鼓楼からは徒歩5分ほど。1958年開業で人気店とのこと。行ったのが冬で平日の9時半だったからか、店内は二、三組のお客さんだけで空いていた。自分は包子(パオズ、肉まんのこと)を4個と卵スープを注文。味もおいしく値段も安いのでオススメだ。


食事後にホテルへ向かう途中で、鐘鼓楼、そして西の城門「迎恩楼」の前を通る。鐘鼓楼については後で述べる。迎恩楼の近くに乾隆帝の銅像があった。説明によると清朝歴代の皇帝は祖廟のある盛京(後に奉天、今の瀋陽)や長白山へ祭祀に向かう途中で山海関の宮殿で宿泊したという。

上:中央奥は鐘鼓楼、下:迎恩楼。


「山海假日酒店」に到着  このホテル、南側に立派な正門があるのだが、最初それに気付かず通り過ぎ、東側の駐車場口から入った。築年数がかなり経っているのか建物や室内も古びているが、清潔感はある。そして宿泊した部屋の窓からは角山がきれいに見えるのでとても満足した。

上は駐車場口、下は正門。


観光スタート!  到着初日の主要目的地は「鐘鼓楼」、「山海関東門」、「角山長城」。ホテルでも感じたことだが通り歩いていても観光客が少なかった。後でホテルのフロントスタッフに聞いたところ、繁忙期は海水浴ができる夏で、この時期は閑散期だという。ただ自分にとっては暑くもなく混雑もなく観光しやすいこの時期はとても都合が良い。
鐘鼓楼の近くにカゴを担ぐ父親と小さい子の手を引く母親の銅像があり気になった。説明を見ると「闖関東」(関東に突き進む)という題名。山海関は関内(中原側)と関外(関東、東北側)の境界で、19世紀中期以降、中原の労働者が禁令を犯し山海関を通って東北へ進入するようになったという。その原因を百度百科で調べると、清朝同治年間(1862-1874)から民国期の間に黄河下流域では人口増加で飽和状態となり、更に自然災害が多発したので、多くの人々が生活のために故郷を離れ、比較的人口が少なく土地に余裕のある東北地方を選んで移住したということだ。
鐘鼓楼の近くには日本でお馴染みのコンビニ・ローソン(羅森)もある。今住んでいる哈爾濵では日本のコンビニを見たことがないので懐かしくなり入ってみた。店内は清潔で陳列も整然とし安心感があり、ビールのロング缶を2本買った。建物の外観が古城の街並み合わせた「中華風ローソン」で面白い。


鐘鼓楼  現地の説明によると明初の創建、当初は城内北部にあったが、明・万暦14年(1586)に現在の城内中心部に移設された。明清以降、文人墨客が訪れ楼上からの景色を鑑賞するようになったという。現在でも高いビルがないので確かに見晴らしがとても良い。またその名の通り楼上には鐘と鼓があり、自身は記念に鐘を五回鳴らした。ゴ~ン、ゴ~ンと、透き通った美しい音色が城内に響きわたった。  

上:北方、角山がきれいに見える。下:南方、南大街の先に望洋楼が見える。

上:東方、「天下第一関」の扁額で有名な東門が見える。下:西方、迎恩楼が見える。


東門  東西南北の四つの城門の中でも観光客に最も人気がある。天下第一関、実に威風堂々として堅固な城門だ。そう言えば10月に訪れた石家荘・正定古城の南城門も大変立派だったことを思い出す。現存する城門はどちらも明代のものだが、山海関は関内と関東の境界。地政学的に見れば当時は群を抜いて重要性が高い城門だったのである。

上:東門楼上から西方を望む。東門に来る前に登った鐘鼓楼が見える。

東門の観光はこれで終了。この後は角山の長城へ向かう。その記事は次篇で・・・。