八泊九日の石家荘・平遥・太原(2)2023.09.29


【二日目】朝は部屋でゆっくりお茶を飲み簡単に食事してからバスで正定古城へ向かう。この日の見学先は、「趙雲廟」「隆興寺」「天寧寺」「開元寺」「北門遺跡」「南城門」。なお紙面の都合で「開元寺」以降の記事は次篇で記す。


趙雲廟  創建時期は記述が無く不明。搜狗百科によると、現在の廟は清朝道光年間(1821-1850)には存在していた古い廟を1996年に地元政府が壊し修築したもので、1997年に一般公開を始めたという。境内には清朝同治元年(1862)の石碑「漢順平侯趙雲故里」が保存されている。このように立派な廟が造られ維持されているところを見ると、地元の人々が趙雲を慕い誇りに思う気持ちが強いのであろう。展示物で面白かったのは再現された趙雲の槍。鉄製で重さ80斤(40㎏)。自分も試しに持ってみたがズシリと重い。ガチャガチャ動かしていたら女性の係員に「動かすな!」と注意された。それはともかく40㎏の槍を自由自在に振り回して敵と戦うとなると想像を絶する剛力で、関羽の青龍偃月刀が82斤だったというからいい勝負だ。

TVドラマ『新三国』第36話の一場面:長坂坡で曹操軍と対峙する趙雲 


隆興寺  隋代の創建。寺名は当初「龍蔵寺」、唐代に「龍興寺」、清朝康熙代に「隆興寺」に変更された。この寺には自分が想像していた以上に多くの貴重な歴史遺産が存在していたので正直驚いた。特に中国でも最も重要な遺産が六つあり「隆興寺六最」と呼ばれている。
  1.摩尼殿(北宋)
  2.五彩懸山と観音像(北宋)
  3.轉輪藏(宋)
  4.隆藏寺碑(隋)
  5.千手千眼観音菩薩像(北宋)
  6.銅鋳造毘盧佛像(明)


1.摩尼殿  宋代の建築様式を今に残す隆興寺で最も貴重な建物。ただ当時私は内部にある観音像や壁画に気を取られ、建物自体はしっかり見なかったので残念だが印象が薄い。

2.五彩懸山と観音像  作品自体の大きさにも圧倒されるが、普陀洛珈山の全体が精巧に彫刻され、彩色も美しく実に見事である。特に中央に座す観音菩薩像は最たるもので、魯迅が「東方美神」と表現した。

3.転輪蔵  宋代(960-1279)に造られた中国で現存する最古の転輪蔵。これを見て思い出したのは信州・善光寺の経蔵(宝暦九年〈1759〉、重要文化財)にある転輪蔵。今回はそれよりもかなり大先輩の輪蔵と出会えて光栄である。

4.龍藏寺碑  隋開皇六年(586)の建立。この碑は書道史でも有名で、随朝第一の楷書と評され、現存する最古の楷書碑刻と言われている。撰文は「張公礼」だが、文字を書いた人物は記されていない。詳しい説明は百度百科から引用、中国国家図書館蔵の清初拓本(全体1枚、部分2枚)は漢程網から転載する。

5.千手千眼観音菩薩像  宋の初代皇帝・趙匡胤の命で造られた観音像で、古代の銅鋳造仏像では最大かつ最古であるという。確かにその大きさ高さには圧倒される。見上げると薄暗い天井付近に観音の大きな目がギョロッと浮かび、筒状の長い体からは何本もの細長い腕がタカアシガニ張りにニョキニョキ伸びていて少し怖さを感じる。

6.銅鋳造毘盧佛像  明の万暦帝御賜の仏像。自身はじめて見るような珍しい造形物で、表面には大小多数の仏像が隙間なく配置されている。四方をあまねく照らし衆生を救済するという宗教的世界観を表しているようだ。中段に位置する四体の大きな毘盧遮那佛はやさしく微笑んでいるようで親しみを感じる。


天寧寺  唐代創建で、寺のシンボルは八角の「凌霄塔」。現地の説明によると、塔は唐代に建てられたがその後何度も修築され、現在は宋・金の特徴を有しているという。

この後、開元寺へ向かう。(続きは次篇)

八泊九日の石家荘・平遥・太原(1)2023.09.29

TVドラマ『新三国』第36話の一場面


中秋節・国慶節の連休を利用して河北省の石家荘、山西省の平遥、太原を旅行した。多くの旅行者が移動するこの時期、ホテルや航空券の値段は高騰する。しかしそれはいつものことで嘆いても仕方ない。それより健康寿命は有限なので、動けるうちにしたい事はしておけば後悔は少ないだろう。具体的な旅程は以下の通り。
  【哈爾濱】飛行機➔【石家荘・2泊】列車➔【平遥・3泊】列車➔
  【太原・3泊】飛行機➔【哈爾浜】

朝家を出て徒歩で哈爾浜駅まで行き、駅前から空港直通リムジンバスに乗る。空港到着後は早速チェックインを済ませ、出発時間まで余裕があるので食堂で何か食べることにした。石家荘到着後はすぐに観光地に向かう予定だったので確実に食事できる時にしっかり腹を満たしておく。選んだのは炒飯、麻婆豆腐、具だくさんスープの三点。空港内なので金額は高めだが味は良い。
ところで以前は空港に行く途中や着いてから酒を飲んでほろ酔い道中を楽しんでいたが、最近はあまり飲まない。飲んでもいいが体がそれほど欲しないのだ。これも年をとったからであろう。やがて飛行機は予定通りに離陸し「石家荘正定空港」に到着した。


空港から最初の目的地「正定古城」まで市バスで向かう。乗るとき運賃は現金で支払ったが、最近はどの地域でもQRコード決済をする人が多い。ただWeChatを使った各都市の市バス運賃決済アプリの登録方法を知らなかったので近くの青年に聞いてみた。すると親切に教えてくれた。今後は事前に旅行先のアプリを登録しておけば到着後すぐに使えて大変便利だ。ただ無理な場合もある。ハルビンの市バスアプリは登録の際に身分証番号の入力が必要だが、パスポートでは登録できず、仕方なく今でも交通局のICカードを使っている。
その後バスは午後2時過ぎに正定城内に到着。日暮れまで時間も多くないので、この日は「陽和楼」「臨済寺」「広恵寺」「南城門」を見学した。


陽和楼  創建は金末元初、「元曲」の発祥地の一つでもあるという。残念なことに旧来の楼は文化大革命で破壊された。現在の建物は2018年に復原されたものだ。この楼に登ると城内全体が展望できる。その後に訪れた南城門や各寺の塔もいくつか見えた。城内は建築制限があるのか高層ビルは見えず、百年前の町の姿を見ているようで面白い。


臨済寺  創建は東魏興和2年(540年)、「澄霊塔」の建立は唐咸通8年(867年)。塔はその後の戦乱にも耐え抜き、各時代の修復を経て現在に至っているという。微細な装飾を施された細長の優美な姿は実にすばらしく、しばらくその周囲をゆっくり回りなが眺めていた。


広恵寺  建は貞観年間(785—805)。「華塔」は内部で発見された北宋・太平興国4年(929年)の題記から、それ以前の建立と証明された。塔身はパゴダ塔のような寸胴型。表面には様々な装飾がなされ、特に4層目には彩色された力士・獣首・獅子・象・佛・菩薩等の塑像が交互に配置され見ていて面白い。


南城門  正定古城の歴史は古く、東晋代には築城が始まり、現存の城壁は明代の遺物だという。城門の楼閣は2001年に再建されたが、2010年2月18日の火災で全焼。今回私が訪れた楼はその後に再建されたものである。参考に火災時の画像を百度百科より転載する。炎上する規模が大きくて、まるで歴史映画のワンシーンのようだ。


この日の観光はここまで、遅くなる前に市街地のホテルへ移動する。ホテルまでバスで1時間以上はかかり、翌日も正定に来ることを考えると正定城内のホテルに宿泊した方が当然効率は良かった。ただ残念ながら旅行前にネットで探したが適当な部屋が見つからなかったのだ。

石家荘金圓大厦  部屋に入ったのが18時、窓からはきれいな夕日の景色が見えた。台の上にはスタッフからの手紙と贈り物の月餅、果物等の飲食物が置かれていた。中秋節の心温まるおもてなし、食べ物は翌日の観光に持っていき小腹が空いた時に食べることにした。
ところでこのホテルは「ルームサービス(送餐)」がある。最近は疲れやすく長時間観光した後の外食は面倒で、部屋で食事することが多くなった。一人旅ということもあり、部屋で好きな酒を飲み、TVドラマを見ながら食事するほうが気楽なのだ。この日は「京東肉餅」(北方風味の肉包みの薄焼き。京東とは北京以東の地域のこと)を注文。皮はパリッと、餡は甘辛くジューシーでおいしい。この日に飲む河北省の焼酎「衡水老白干」(62度)にもよく合う。


さてTVドラマだが、石家荘といえば三国蜀の将軍・趙雲の出身地で、明日は正定城内の「趙雲廟」を訪れる予定だ。それを記念してこの晩は「趙雲が長坂坡(ちょうはんは)の戦いで曹操の大軍を単身突破する」という名場面を収録した『新三国』第36話を見ることにした。趙雲が敵将に名を名乗れと言われ、
「吾乃常山趙子龍!」と叫ぶシーンも迫力満点、烈性酒の影響もあり気分は大いに高揚する。うーん、石家荘は最高だ~。
初日の夜はこのようにして終わった・・・。