【近江紀行】彦根滞在記(10)佐和山・龍潭寺+フジテック株式会社のエレベータ研究塔

「大一大万大吉」の文字を透かして佐和山が見える(JR彦根駅)

関ヶ原合戦で敗れた石田三成。彼について詳しいことは知らないが、彦根の町を歩いていると彼の居城があった「佐和山」(標高233ⅿ)は自然に目に入ってくる。そこで今回、休日に佐和山に登ることにした。この山は古来より要衝として戦いが繰り返され、三成の一族が戦死した場所である。戦に散った多くの人たちのことを想いつつ、一歩一歩足を進めた。帰り道、麓にある「龍潭寺」にも立ち寄った。

途中、龍潭寺の墓地エリア。多くの古い墓石は散乱し雑草に覆われていた。人は死亡すると、その墓所はしばらくは管理される。しかし何十年、何百年すると、多くはこのように放置されてしまうのか・・・。それならば初めから墓は作らず自然に散骨したほうがいいだろう。自身の骨もそうしてもらいたいのだ・・・

■フジテックのエレベータ研究塔について
 フジテック株式会社(FUJITEC CO., LTD.)が有するこの研究塔はかなり目立つ建造物である。所在地は彦根市宮田町、本社を含めた「ビックウイング」と呼ばれるエリア内にある。会社HPでは次のようにある。→【 “ビッグウィング”のシンボルとなるのが、地上高さ170mの「エレベータ研究塔」です。これは、エレベータの研究施設として世界最大級の高さと規模を誇るもので、超高層用と中層用の2つのタワーから成り、13台のエレベータが設置されています。ここでは、分速1,000m級の超高速機種のテストを始め、新世代エレベータの開発など、最先端技術力の強化を目指しています。】
 実はこの塔、天気が良ければ吾人宅がある対岸の高島市からも見える。以下に高島市から撮影した画像を2枚掲載する。

 ★佐和山の話に戻ります・・・

三成敗戦後、佐和山城は徹底的に破壊されたという。わずかに当時の姿を留めているのが以下に示した「千貫井」と本丸基底部の隅にあたると考えられる「石垣」なのである。ただ素直な疑問として、なぜ敵方はこの石だけ残したのか、ということだ・・・

🍀龍潭寺 佐和山の麓にあるので、下山のついでに立ち寄った。一番印象的だったのは枯山水の「補陀落の庭」。縁側に座り、時に見る場所を換えたりしてゆっくり楽しんだ。

中央の山が補陀落山、そのうち縦に長い岩は観音様の立姿、島の右に日本僧・彗萼(えがく)の舟を表している。さて補陀落山は、現在の中国浙江省舟山市にある「普陀山」のことである。私は普陀山に近い都市・寧波に住んでいた頃、一度バスとフェリーを乗り継いで訪れたことがある。それは2009年9月、まだ海水浴ができる時期だったので童心にかえり波とジャブジャブあそんだのを覚えている。下の画像がその時のもの。着衣画像の頭部右側に写っている金色の巨大立像が彗萼と因縁のある「観音様」である。

 ★龍潭寺の話に戻ります・・・

これで佐和山ともお別れだ。また来る日までさようなら・・・

四泊五日の台北4〈故宮博物院・その他〉【新型コロナウイルス対策中】(2020.02)《最終回》

✿故宮博物院  ここ来たのは15年振りで、前回は2005年の1月と7月。当時は人気の「翠玉白菜」と「肉型石」を同時に見ることができたが、今回は「肉」だけだった。現在は嘉義に博物院の南部院区ができて、白菜は南部で展示中とのことだった。白菜との久々の再会は残念ながら叶わなかった。

院内の展示物は多数あるが、当ブログでは私が個人的に気に入った作品を選んでその画像を掲載する。詳細な説明や個人的感想は面倒なので、作品名と年代だけ記した。

哥釉膽瓶〈明〉

※「劉海戲金蟾」というモチーフについては、当ブログ「五泊六日の渭南・華山・咸陽1(2019.10)」での説明を参照してください。

沈宗敬「双松図」〈清〉
斉白石「茘枝」〈民国〉
呉昌碩「篆書三言聯」〈民国〉

✿西門町エリア  若者で大変にぎわっていた。MRT駅前の広場では路上パフォーマンスが同時に複数行われていた。近くにあるレンガ造りの「西門紅楼」は重量感・存在感があり、この町のシンボル的存在なのであろう。

✿龍山寺エリア

✿旅も終わりだ。旅行中はマスクや手洗い、消毒など最低限のコロナ対策をして無事に帰国した。その後コロナは日本を含め世界中で急速に広がり、6月下旬の今でも世界各地で猛威を振るっている。近々また台湾に行きたいと思ってはいるが、それが可能になるのはいつのことだろうか。