八泊九日の石家荘・平遥・太原(1)2023.09.29

TVドラマ『新三国』第36話の一場面


中秋節・国慶節の連休を利用して河北省の石家荘、山西省の平遥、太原を旅行した。多くの旅行者が移動するこの時期、ホテルや航空券の値段は高騰する。しかしそれはいつものことで嘆いても仕方ない。それより健康寿命は有限なので、動けるうちにしたい事はしておけば後悔は少ないだろう。具体的な旅程は以下の通り。
  【哈爾濱】飛行機➔【石家荘・2泊】列車➔【平遥・3泊】列車➔
  【太原・3泊】飛行機➔【哈爾浜】

朝家を出て徒歩で哈爾浜駅まで行き、駅前から空港直通リムジンバスに乗る。空港到着後は早速チェックインを済ませ、出発時間まで余裕があるので食堂で何か食べることにした。石家荘到着後はすぐに観光地に向かう予定だったので確実に食事できる時にしっかり腹を満たしておく。選んだのは炒飯、麻婆豆腐、具だくさんスープの三点。空港内なので金額は高めだが味は良い。
ところで以前は空港に行く途中や着いてから酒を飲んでほろ酔い道中を楽しんでいたが、最近はあまり飲まない。飲んでもいいが体がそれほど欲しないのだ。これも年をとったからであろう。やがて飛行機は予定通りに離陸し「石家荘正定空港」に到着した。


空港から最初の目的地「正定古城」まで市バスで向かう。乗るとき運賃は現金で支払ったが、最近はどの地域でもQRコード決済をする人が多い。ただWeChatを使った各都市の市バス運賃決済アプリの登録方法を知らなかったので近くの青年に聞いてみた。すると親切に教えてくれた。今後は事前に旅行先のアプリを登録しておけば到着後すぐに使えて大変便利だ。ただ無理な場合もある。ハルビンの市バスアプリは登録の際に身分証番号の入力が必要だが、パスポートでは登録できず、仕方なく今でも交通局のICカードを使っている。
その後バスは午後2時過ぎに正定城内に到着。日暮れまで時間も多くないので、この日は「陽和楼」「臨済寺」「広恵寺」「南城門」を見学した。


陽和楼  創建は金末元初、「元曲」の発祥地の一つでもあるという。残念なことに旧来の楼は文化大革命で破壊された。現在の建物は2018年に復原されたものだ。この楼に登ると城内全体が展望できる。その後に訪れた南城門や各寺の塔もいくつか見えた。城内は建築制限があるのか高層ビルは見えず、百年前の町の姿を見ているようで面白い。


臨済寺  創建は東魏興和2年(540年)、「澄霊塔」の建立は唐咸通8年(867年)。塔はその後の戦乱にも耐え抜き、各時代の修復を経て現在に至っているという。微細な装飾を施された細長の優美な姿は実にすばらしく、しばらくその周囲をゆっくり回りなが眺めていた。


広恵寺  建は貞観年間(785—805)。「華塔」は内部で発見された北宋・太平興国4年(929年)の題記から、それ以前の建立と証明された。塔身はパゴダ塔のような寸胴型。表面には様々な装飾がなされ、特に4層目には彩色された力士・獣首・獅子・象・佛・菩薩等の塑像が交互に配置され見ていて面白い。


南城門  正定古城の歴史は古く、東晋代には築城が始まり、現存の城壁は明代の遺物だという。城門の楼閣は2001年に再建されたが、2010年2月18日の火災で全焼。今回私が訪れた楼はその後に再建されたものである。参考に火災時の画像を百度百科より転載する。炎上する規模が大きくて、まるで歴史映画のワンシーンのようだ。


この日の観光はここまで、遅くなる前に市街地のホテルへ移動する。ホテルまでバスで1時間以上はかかり、翌日も正定に来ることを考えると正定城内のホテルに宿泊した方が当然効率は良かった。ただ残念ながら旅行前にネットで探したが適当な部屋が見つからなかったのだ。

石家荘金圓大厦  部屋に入ったのが18時、窓からはきれいな夕日の景色が見えた。台の上にはスタッフからの手紙と贈り物の月餅、果物等の飲食物が置かれていた。中秋節の心温まるおもてなし、食べ物は翌日の観光に持っていき小腹が空いた時に食べることにした。
ところでこのホテルは「ルームサービス(送餐)」がある。最近は疲れやすく長時間観光した後の外食は面倒で、部屋で食事することが多くなった。一人旅ということもあり、部屋で好きな酒を飲み、TVドラマを見ながら食事するほうが気楽なのだ。この日は「京東肉餅」(北方風味の肉包みの薄焼き。京東とは北京以東の地域のこと)を注文。皮はパリッと、餡は甘辛くジューシーでおいしい。この日に飲む河北省の焼酎「衡水老白干」(62度)にもよく合う。


さてTVドラマだが、石家荘といえば三国蜀の将軍・趙雲の出身地で、明日は正定城内の「趙雲廟」を訪れる予定だ。それを記念してこの晩は「趙雲が長坂坡(ちょうはんは)の戦いで曹操の大軍を単身突破する」という名場面を収録した『新三国』第36話を見ることにした。趙雲が敵将に名を名乗れと言われ、
「吾乃常山趙子龍!」と叫ぶシーンも迫力満点、烈性酒の影響もあり気分は大いに高揚する。うーん、石家荘は最高だ~。
初日の夜はこのようにして終わった・・・。

二泊三日の金沢市・福井市(上)2023.08.04


長野から高島の自宅へ戻る途中で金沢と福井に寄った。金沢で二泊、福井は半日観光して夕方に高島へ帰る。金沢も相変わらずの猛暑、体感温度は40℃を超えている。この街では外国人観光客をよく見かけるが、暑さで皆ヘトヘトの様子だ。金沢は見所が多いが、無理せずゆっくり観光しよう。

朝9時前、長野駅から北陸新幹線・かがやき号に乗り金沢へ直行する。所要時間は約1時間。元々のんびり各駅停車に乗り途中下車、観光しながら金沢へ向かうつもりだった。しかしこの暑さ、熱中症が心配なので止めた。やはり健康第一である。指定席に座ると、さっそく母が準備してくれた朝食おにぎりセットを食べる。飲み物は信州の純米酒「オバステ正宗」。プハ~、朝から飲む酒は効く~。残りの人生で、母の手作りおにぎりを食べることも多くはないだろう。感謝しながら味わう。やがて富山湾が見えてきた。海を隔て遠くにうっすら広がる陸地は能登半島。もうしばらくすれば金沢駅に到着する。


金沢駅到着  先ずは予約してある駅東口の「ガーデンホテル金沢」へ荷物を預けに行く。築年数がだいぶ経っているのか館内や部屋内は旧式感あふれている。ただ設備は一通り揃っていて不便はなく、部屋からの眺めも良い。さらに観光には駅前発のバス・電車を利用するので立地的には大変便利だ。では観光スタート、先ずは尾山神社・・・。


尾山神社  明治初期に金沢城の「金谷出丸」跡地に建立。和洋折衷式の神門が有名で、当時は海上の船のために灯台の役割もしていたというから少し驚いた。金谷出丸と「鼠多門」は大きな「鼠多門橋」でつながっている。橋の下に当時あった水堀は現在は道路が舗装されている。その他、境内に置かれている江戸時代の「石製の導水管」、力比べのための「さし石」などが面白い。更なる詳細は説明パネルの画像をご覧いただきたい。

新設の鼠多門と鼠多門橋 当時あった水堀は舗装されて道路になっている。


野村家屋敷跡  尾山神社を出て西に徒歩10分ほど所にある。この辺りは「長町武家屋敷跡界隈」と呼れ、当時加賀藩の中級武士の住居があった。そのうち野村家屋敷跡だけが一般公開されている。廃藩以降は敷地も分割、縮小したというが、確かに内部はそれほど広くないという印象だ。規模は小さいが樹木が多い庭園は緑が映えて美しかった。その他、展示されていた朝倉義景、明智光秀からの書状、 檜山義慎『本朝国郡建置沿革図説 』などを興味深く拝見した。古地図を見るといつも感じることだが、地名表記が現在と異なるのが面白い。例えば、信濃/科野、近江/淡海、山城/山背、播磨/針間、淡路/淡道、阿波/粟。字が変わればイメージも変わるものだ。一点、「サヌキ」が「讃吉」(注意:地図上の実際の文字は「つちよし」だが、Wordpressでは表示不可のようなので、便宜上「さむらいよし」で表記した)とあるが、なぜ「岐」ではなく「吉」とするのは疑問である。

明智光秀から野村伝兵衛への書状


武家屋敷の観光後はバスに乗り金沢の街をひと回りして金沢駅前まで行き、ホテルの部屋で少し休息する。気付けに地元のカップ酒を飲む。さて夕食までは時間があるので再度外出し周辺を散策する。するとある場所で「枯木橋」という橋を見つけた。説明によるとかなり古くから存在する橋で、掲載した画像にある溝は金沢城の最も外側に設置された堀であるということだ。やはり旅は徒歩でのんびり移動すると面白い発見があっていい。


漁師飯居酒屋 GOEN(ゴエン)  この日は朝から新幹線で移動、到着後も炎天下を一日中バスと徒歩で観光したので体力をかなり消耗し、食欲もあまりなかった。最近の日本の暑さは異常かつ危険、夜になっても気温が下がる気配はない。やはり真夏の観光は避けるべきだろう。結局店では地酒を2合、肴はカワハギの刺身、白エビの唐揚げ、ニギスの酒蒸しの三品だけ注文、それでも充分満腹になった。ただ一点、注文タブレットは便利だが電子機器を多用すると機械的で冷たい感じがする。やはり客と店員との直接的ふれあいを重視すべきであろう。
【参考】GOENのHP


店を出て金沢駅前まで歩いて来ると、闇の中にライトアップされた太鼓門が赤く鮮やかに輝いていた。なかなか見栄えがいい。さてさて明日も炎天下での観光が続く。部屋に戻ったら芋焼酎のロックをゴクッと何杯か飲んで早々に寝よう・・・。