2019松江旧市街巡り❷程十髪藝術館

「牧牛少女」 1979年

程十髪藝術館は、中山中路と松江人民北路の交差点北西、清真寺からは徒歩5分ほどの位置にある。程十髪(ていじゅっぱつ)について以前私はあまり知らなかった。ただ現代中国の水墨画家で人物画が多く、どこかの博物館や美術館、図録等でその作品を何度か見たという程度の知識である。去年と今年、彼の故郷である松江に来る機会を得たが、これもまぁ何かの縁であろう。

程十髪の自刻印 「松江人」

百度百科と人民網の二つの程十髪の「年表」を参照すると、本籍は「上海市金山区楓涇鎮」、生誕地は「松江県城西門外岳廟鎮莫家弄」、三歳に「松江馬路橋西富家弄」に転居した。「楓涇鎮」は去年私が西塘へ行くとき(参照「一泊二日の西塘(上)」)に乗車した「松江駅」と下車した「嘉善駅」のだいたい中間地点で、松江駅からは約32㎞(車で約40分)に位置している。生誕地と三歳以降の住所は現在の地図では特定できなかったが、地名から推測すると藝術館から近い範囲内であると考えられる。今後機会があれば詳しく調べようと思う。その他の情報に関しては百度百科から引用する。

程十发(1921年4月10日-2007年7月18日),籍贯上海市金山区枫泾镇人。名潼,斋名曾用“步鲸楼”、“不教一日闲过斋”,后称“三釜书屋”、“修竹远山楼”。幼年即接触中国字画,但给他印象之深莫过民间艺术。1941年毕业于上海美术专科学校中国画系。1942年在上海大新公司举办个人画展,1949年后从事美术普及工作,1952年入上海人民美术出版社(华东人民美术出版社)创作员,1956年参加上海画院的筹备工作,并任画师。长期任上海画院院长,此后,艺术视野不断拓展,“取古今中外法而化之”,在人物、花鸟方面独树一帜。在连环画、年画、插画、插图等方面均有一定造诣。工书法,得力于秦汉木简。他的画早年受陈老莲影响,晚年,画家多作花鸟画。

 日本語の説明が「日本美術保全協会」 のウェブサイト(http://www.nihon-bijyutu.com/)の「中国の画家」一覧にあったので、そこから引用する。

程十髪(ていじゅっぱつ) 1921年~2007年 中国上海市出身 中国の画家・書家 1941年 上海美術専門学校中国画科を卒業する。 1942年 上海大新会社で個展を開催する。 1949年 美術の復興活動に従事する。 1952年 上海人民美術出版社に入社する。 1956年 上海宮廷に絵画を納入する。 1961年 中国画院に参加する。 1980年 日本で展覧会を行う。 1984年 中国画院の院長をつとめる。 2007年 86歳で死去。 本名は程潼。 人物、山水、花鳥画に優れた才能を見せ、伝統技法を守りながらも近代的な技巧を取り入れた表現は高く評価されており、国内だけではなく海外でも高い評価を受けている。 学校に入学するまでは特別誰かから教わった事はなく、学校で絵を学び始めた時には既に絵画の基礎ができていたという。 また、この時、上海美術学校の教師に「十髪」という風変わりな号をつけてもらい、絵画制作を行うようになった。 画風は細筆を巧みに用いた趣のある画風で人物、竹石などを手掛ける一方、写実的な古典人物、仕女、鹿、鳩などを手掛けるなど独自の工夫を凝らし独特の画風を確立していき、上海中国画院にて画師として活躍するようになった。

「晩 帰」 1958年
「少女與幼鹿」 年代未詳
「山水画」 1992年

びっくり!中華風味の富士山

4月下旬、小雨が降るどんよりした曇日。気温は高くないので不快感はあまりない。京都駅から歩いて京都国立博物館へ向かう。目的は池大雅の展覧会である。以前も京都文化博物館の池大雅展へ行ったことがあり、久々にご対面の作品もある。

チケットを見せて敷地に入り、少し歩くと左手にロダンの「考える人」がある。妙な好奇心がムクムク沸き起こり、像をモデルに見立て、様々な角度から何枚も写真をパチパチ撮った。どの位置から撮影しても見栄えがし、さすが立派な彫像作品であると感じた。

池大雅 倣董太史富岳図
(京都国立博物館「特別展-池大雅」図録より)
董其昌 林和靖詩意図
倪瓒 容膝斎図

いよいよ館内に入り鑑賞を始めた。色々感じるところはあったが、特に印象的だったのは「倣董太史富岳図」である。彼は中国絵画から強い影響を受けた結果、倪瓉(元代)とその影響を受けた董其昌(明代)風の景色に、日本の象徴である富士山がペタッと貼り付けたのである。いわば「中華風味の富士山図」で、個人的には何か違和感があり、不気味に感じた。まぁ当時のパロディ画と考えれば面白いとも言える。

ところで董其昌といえば、今私が滞在している「松江」は彼の出身地だ。実際に旧市街を散策していると、彼に関する文物を時折見かける。先日訪れた「酔白池」の地では、当時彼は幾つか建物を建てたという。そして現在、園内には彼の石像が設置されている。