三泊四日の山海関(1)2023.12.01


山海関は私が大いにオススメする観光地だ。比較的狭い範囲内に海あり山あり歴史遺産ありと盛りだくさんで、短期間で色々体験できるのだ。ところで今回は三泊とは言っても行きの寝台車で一泊した。いつもは料金の安い硬臥(ドア無しコンパートに三段ベッドが二つ)を利用するが、久々に軟卧(ドア付きコンパートに二段ベッドが二つ)を選んだ。硬臥に比べて静かで空間も広いので快適に睡眠でき、廊下でも落ち着いて車窓からの景色を楽しむことができる。
さて列車が山海関に近づくと平地にニョキッと隆起した山が見えてくる。その形が非常に魅力的なのでずっと眺めていた。山の名は「角山」、山海関の城内からも眺めることができ、借景として古城に良い雰囲気を添えている。また角山には万里の長城もあるので、見てよし行ってよしの山だ。

上は食堂車内の写真。以前に食堂車を利用した時、料理が高くてまずいという残念な印象だったので、それ以降は利用したことがなかった。今回も利用したわけではないが、気になったのでメニューを見せてもらった。高いことは変わりないが品数が多少増えたように感じた。もし味が良ければ一度利用してもいいかなと思っている。


山海関に到着  駅を出ると正面の道の奥には車窓から眺めていた角山が見える。その道をまっすぐ5分ほど進むと山海関古城の城壁に至る。高く堅固な城壁だ。城壁に沿って西に少し行くと南の城門「望洋楼」が現れ、そこから城内に入ると「南大街」という道が鐘鼓楼まで続いている。お腹が空いていたのでホテルに行く前に食堂「四条包子」で朝食をとることにした。


四条包子で朝食  望洋楼から南大街を北へ徒歩約7分の位置にあり、古城の中心にある鐘鼓楼からは徒歩5分ほど。1958年開業で人気店とのこと。行ったのが冬で平日の9時半だったからか、店内は二、三組のお客さんだけで空いていた。自分は包子(パオズ、肉まんのこと)を4個と卵スープを注文。味もおいしく値段も安いのでオススメだ。


食事後にホテルへ向かう途中で、鐘鼓楼、そして西の城門「迎恩楼」の前を通る。鐘鼓楼については後で述べる。迎恩楼の近くに乾隆帝の銅像があった。説明によると清朝歴代の皇帝は祖廟のある盛京(後に奉天、今の瀋陽)や長白山へ祭祀に向かう途中で山海関の宮殿で宿泊したという。

上:中央奥は鐘鼓楼、下:迎恩楼。


「山海假日酒店」に到着  このホテル、南側に立派な正門があるのだが、最初それに気付かず通り過ぎ、東側の駐車場口から入った。築年数がかなり経っているのか建物や室内も古びているが、清潔感はある。そして宿泊した部屋の窓からは角山がきれいに見えるのでとても満足した。

上は駐車場口、下は正門。


観光スタート!  到着初日の主要目的地は「鐘鼓楼」、「山海関東門」、「角山長城」。ホテルでも感じたことだが通り歩いていても観光客が少なかった。後でホテルのフロントスタッフに聞いたところ、繁忙期は海水浴ができる夏で、この時期は閑散期だという。ただ自分にとっては暑くもなく混雑もなく観光しやすいこの時期はとても都合が良い。
鐘鼓楼の近くにカゴを担ぐ父親と小さい子の手を引く母親の銅像があり気になった。説明を見ると「闖関東」(関東に突き進む)という題名。山海関は関内(中原側)と関外(関東、東北側)の境界で、19世紀中期以降、中原の労働者が禁令を犯し山海関を通って東北へ進入するようになったという。その原因を百度百科で調べると、清朝同治年間(1862-1874)から民国期の間に黄河下流域では人口増加で飽和状態となり、更に自然災害が多発したので、多くの人々が生活のために故郷を離れ、比較的人口が少なく土地に余裕のある東北地方を選んで移住したということだ。
鐘鼓楼の近くには日本でお馴染みのコンビニ・ローソン(羅森)もある。今住んでいる哈爾濵では日本のコンビニを見たことがないので懐かしくなり入ってみた。店内は清潔で陳列も整然とし安心感があり、ビールのロング缶を2本買った。建物の外観が古城の街並み合わせた「中華風ローソン」で面白い。


鐘鼓楼  現地の説明によると明初の創建、当初は城内北部にあったが、明・万暦14年(1586)に現在の城内中心部に移設された。明清以降、文人墨客が訪れ楼上からの景色を鑑賞するようになったという。現在でも高いビルがないので確かに見晴らしがとても良い。またその名の通り楼上には鐘と鼓があり、自身は記念に鐘を五回鳴らした。ゴ~ン、ゴ~ンと、透き通った美しい音色が城内に響きわたった。  

上:北方、角山がきれいに見える。下:南方、南大街の先に望洋楼が見える。

上:東方、「天下第一関」の扁額で有名な東門が見える。下:西方、迎恩楼が見える。


東門  東西南北の四つの城門の中でも観光客に最も人気がある。天下第一関、実に威風堂々として堅固な城門だ。そう言えば10月に訪れた石家荘・正定古城の南城門も大変立派だったことを思い出す。現存する城門はどちらも明代のものだが、山海関は関内と関東の境界。地政学的に見れば当時は群を抜いて重要性が高い城門だったのである。

上:東門楼上から西方を望む。東門に来る前に登った鐘鼓楼が見える。

東門の観光はこれで終了。この後は角山の長城へ向かう。その記事は次篇で・・・。

八泊九日の石家荘・平遥・太原(9)最終回


【八日目】太原での三日目。この日は双塔で有名な「永祚寺」の見学と、「汾河」の川辺を散策する予定だ。先日の晋祠とは違い、永祚寺は宿泊先ホテルから比較的近く、移動時間を気にせずゆっくり観光できそうだ。

永祚寺  明代の創建、現在は広大な「双塔公園」の中に位置する。見所は何と言っても明代に建立された「宣文塔」と「文峰塔」の二つの佛塔。自分の足で実際に塔に登れるのも魅力的だ。


☘宣文塔  現地の説明パネルによると、高さ54.78m、13層、塔身は八角形、最上部の塔刹は銅鉄製の宝瓶、典型的な楼閣式の空心磚塔。内部の階段を登ることができ、上層階からは太原市内を眺望できる。各層の屋根の縁には緑色の瑠璃が施され、渋い輝きを発していて美しい。もう一方の文峰塔にはこの装飾がないので、両者を区別する際の参考になる。


☘文峰塔  高さ54.76m、13層、塔身は八角形、典型的な楼閣式の空心磚塔。宣文塔とよく似ている。訪れた当時は入口が閉ざされていて内部に入ることができなかった。まぁ宣文塔に登ってそこそこ疲れていたので、立入禁止とはっきり言われると逆に安心する。登れるとなると疲れていても必ず無理して登ってしまう性格だからだ。


見学が終わり公園内を歩いていると、所々から双塔が望める。見る場所によって構図や雰囲気も変わり面白く、もう少し見ていたい気持ちになる。太原のシンボル・双塔、お世辞抜きで実に見事であった。


汾河の散策  太原市内を流れる汾河、その川岸はきれいに舗装・緑地化され、市民の憩いの場所になっている。双塔見学後、バスで太原空港へ行き翌日利用するカウンターを確認した。その後またバスに乗り地下鉄「南中環駅」辺りで下車、南中環街を西へ川辺まで真っすぐ進み「南中環橋」の東岸に至り、その後は川岸を北上する。途中、適当な休憩場所があったので恒例の「流水飲み」を行う。水の流れを眺めながら地元の焼酎「普泉高粱白」(42度)をチビチビ飲む。前回の流水飲みは、たしか2023年6月下旬、黒河の中露国境を流れる黒龍江(アムール川)だったか。さてこの旅も明日で終了、哈爾濵へ戻る。今回は訪問各地に多くの歴史遺産があり、精力的に歩き回ったのでかなり疲れたが、それだけ思い出も多く充実感もある。そのようなことを考えながら激烈酒を口に含み、しばし景色を楽しむ。その後再度歩き始め、日も暮れてきたので適当な場所で河を離れホテルに戻った。


夕食  ルームサービスで前日と同じ「老伝統過油肉(小)」、そして主食は「葱花烙餅」(小麦粉の生地に刻みネギを練り込んだ薄焼き)を注文。この日も杭州アジア競技大会が放映されていたのでパソコンで見ながら酒と料理を楽しんだ。


【九日目】旅行最終日、哈爾濵に戻る。朝はホテルの部屋でインスタント麺「茄皇牛肉麺」を食べ、最寄りのバス停から太原武宿国際空港 へ向かう。太原から哈爾濵までは約2.5時間、離陸後すぐ窓からは前日訪れた汾河とそれに架かる独特な形状の南中環橋が見えた。しばらくして内モンゴルだろうか、地上に大きな風力発電用の白い風車が多数見えたのが印象的だ。やがて松花江が見えてくると残りわずか。空港から市内行きシャトルバスに乗り、哈爾濵駅に到着したのは午後7時半頃。そこからは徒歩で自宅に向かう。辺りはすでに暗くなっていたが、馴染みの街を見るとホッとする。
さてさて翌日は出勤、夜は早めに寝よう。お疲れ様でした~