五泊六日の香港・澳門・珠海(3)


【三日目】香港➔澳門  この日は澳門へ移動し二泊する。午前、宿のある尖沙咀から地下鉄で香港島まで移動、港からジェットフェリーで澳門へ向かう。チケット購入後、出発まで時間があったので、現地で有名なロースト肉専門店「太興(タイヒン)」で食事する。この店は香港でチェーン店を多数展開していとのこと。写真付きのランチメニューを見ると全ておいしそうなので選ぶのに困ったが、今回は「焼鵝飯」(ガチョウのローストご飯)を注文。運ばれてきたローストに甘めのソースをかけて食べると、うーん、確かにおいしい~! 次回機会があれば太興でまた別の料理を食べたいと思った。食後は香港出境手続きを済まし、フェリーに乗り澳門へ向かう・・・。


澳門到着  マカオと言われる場所は、大陸に接続する「マカオ半島」とその南の「タイパ島・コロアン島」からなる。タイパとコロアンの間は埋め立てられ現在は一つの島になっている。今回はマカオ半島だけを観光した。
マカオ半島の港に到着後、港湾設内で澳門の通貨「パタカ」に両替、そして無料のホテルバスで市中心部まで移動。その後、自身の予約してある安宿へ徒歩で向かう。道中、大型カジノホテルの前をいくつか通り過ぎ、やがて著名な観光スポット「セドナ広場」に至る。周囲を古い西洋建築に囲まれ独特な雰囲気が漂っている。


嘉明別墅(PENSÃO CARMEN)に到着  セドナ広場から狭い路地に入り、しばらく歩いてようやく二泊お世話になる宿「カルメン(嘉明)」にたどり着く。貧乏人の旅行、澳門でも安宿を選んだ。建物外観は怪しげだ。階段で二階に上がり狭いフロントでチェックイン。案内された部屋は小ぎれいで、香港・尖沙咀の部屋より広く窓もあるのでまぁ快適に過ごせそうだ。ただ窓からの眺望はう~ん、生活臭漂う建物と路地が見えるだけだ。宿泊料をケチるとこういう結果になるが、まぁこれも異文化体験、何でも楽しむ精神が大切である・・・。少し休んでから外出、有名な聖ポール大聖堂跡へ向かう。


聖ポール天主堂跡  「セント・ポール教会跡」とも表現される遺跡、17世紀初めに建立、1835年の火災で焼け落ちて正面の壁だけが残っている。澳門と言えばこの壁が必ず紹介される代表的な観光スポットだ。その近くにはポルトガル人が作った古い城壁も存在している。聖堂の壁は様々な装飾が目を引き、その由来や思想は不明だが聖者や悪魔、人骨などのモチーフを見ていると色々想像できて面白い。その場所は高台にあるのでマカオ到着後に通り過ぎたカジノホテル「グランド・リスボア・マカオ」の大きく派手な建物が見える。


澳門の夜を散策  天主堂跡の見学後、そのまま街を散策、気が付けば日も暮れていた。途中スーパーでは宿に帰って飲むビールやワインを購入。その後も歩いていると香港では見ることができなかった派手なネオン看板群が突如眼前に現れ感動した。当時のネイザンロードもこのように華やかであったのだろうと想像する。それに負けずカジノホテルの電飾も実に派手である。やがてセドナ広場まで来ると、そのエリアも全面的に綺麗にライトアップされていて、昼間とは違う姿を楽しむことができた。


康公夜市  宿の付近まで来ると、何やら通りの奥の方でキラキラ明るい雰囲気を感じた。気になったのでその方向へ向かってみた。すると人々でにぎわう夜市が存在していたのだ。道路沿いの店舗や屋台が様々な食べ物を販売している。この夜市の存在に関しては事前に把握していなかったので偶然の出会いである。まぁそれが旅の楽しみとも言えよう。歩を進めると広場では人々が集まり子供たちによる舞踊などの発表会を鑑賞していた。この広場の横には「康公廟(康真君廟)」がある。その後ネットで調べると北宋の英雄軍人「康保裔」を祀る廟ということが分かった。康保裔については百度百科から引用する。さて、その後自分はロースト肉専門店「石記焼味」で「鴨焼+叉焼ご飯」をテイクアウトして部屋に戻った。


部屋で晩酌  スーパーで買ったビールとワイン、それにテイクアウトした鴨焼+叉焼ご飯を晩餐とする。昼間に太記で食べたガチョウ・ローストご飯もよかったが、石記の肉も大変おいしい。元々この晩はマカオ料理でも食べようと考えていたが、まぁおいしいければ庶民の現地料理も悪くないだろう。ところで、この時の赤ラベルの青島ビールは自身は初めて飲んだもので、アルコール度数8.9%のストロング。こんな青島ビールもあったのかと面白く感じた。ワインはポルトガル産、やはり澳門の夜はポルトガルの赤ワインがピッタリであろう・・・。

さてさて、ストロング・チンタオにポルトガル赤ワイン、そして美味な鴨焼+叉焼ご飯。もう何も言うことはない。澳門の夜、気分は最高潮に達する。うーん、旅はいいものだな・・・。異国のエキゾチックな雰囲気を楽しみつつ、夜は更けてゆくのである・・・。

三泊四日の山海関(4)最終回


山海関の二日目、老龍頭から古城に戻り、西門・迎恩楼と南門・望洋楼などを見学後、「王家大院」に向かう。到着時刻は午後3時半、この日観光する最後の場所である。

王家大院(山海関民俗博物館)  現地の説明によると、建物は明末清初の創建、咸豊年間に繁栄し光緒年間には「万里長城第一家」と称されるほどの豪商になっていたという。邸内を見て回ると現在は全体的に劣化が進みホコリっぽくすすけている。また別名が民族博物館なので本来王家とは関係のない文物が収蔵されているかもしれない。ただ建物の装飾を見ると確かに当時は隆盛を極めていたのだろうと充分想像できる。なおガイドさんによれば、王家の皆さんは現在海外に暮らしているという。清代の富豪も中華民国、中華人民共和国と社会が大きく変わる中で大変苦労したのだろう。

☘謎!林則徐の書  ある部屋でガイドさんが「これは林則徐の書です」と説明してくれた。それを見ると縦40㎝、横20㎝くらいの額装で、落款は「丙子(1816年)秋暮 少穆・則徐」と読める。またガイドさんは林則徐がこの邸宅に来たこともあると言っていたが、現地に詳しい解説文はなかった。後日、詩文の内容や林則徐と山海関の関係についてネットで少し調べたが何も分からず謎は深まるばかりだ。まぁまた時間がある時に調べ直してみよう・・・。

☘陳圓圓の部屋  敷地内に呉三桂の側室・陳圓圓の建物がある。一時期ここで呉三桂と住んでいたという。そして陳さんが使用していたという家具や雑貨も展示されている。
部屋の入口には「慟哭六軍倶縞素、衝冠一怒為紅顔」の文章が対で掛けてある。これは呉偉業の詩『圓圓曲』の一部。一般的な解釈は、李自成によって北京が陥落し崇禎帝も自殺したと聞いた呉三桂は「慟哭して全軍を喪服にさせたが、それは陳圓圓の為に激怒したからだ」というのもの。この詩に呉三桂を責める意が含まれているのかどうか、またこの話の史実的な真偽も不明だ。つまり呉三桂と陳圓圓に関する事柄については謎が多いのだ・・・。


王家の観光も終了、後はホテルへ戻って食事をするだけだ。帰り道、この日もまたきれいな夕日を見ることができた。鐘鼓楼から西に伸びる西大街のちょうど直線上に夕日が落ちていく。日の輝きと空のグラデーション、鐘鼓楼と街並のシルエットが美しい。明清当時の人たちも同じような景色を眺めていたのであろう。古い街並の保全には色々不便も伴うだろうが、この美しい夕日を見るとそれも悪いことではないと感じる。


山海関古城で最後の夕食。この日もルームサービスを利用した。前日は三品注文したが多すぎたので、この日は「黄魚料理」を一品だけ注文した。酒は老龍頭からの帰りにスーパーで買った古越龍山の紹興酒(八年陳)。黄魚は中国ではお馴染みの魚で、スーパーでも普通に販売している。自身も何度か食べたことがあるおいしい白身魚だ。今回も実際に食べてみるとフカフカ・トロトロして美味だ。
さて後日、その時渡されたレシートを見てみると料理名は「鶏汁拉菲大黄魚」(黄魚のチキンソース煮)とある。おや「拉菲大黄魚」?! 何か普通に売っている黄魚と違う種類の魚のようだ。ネットで調べてみると「ブラジル黄魚」の俗称で南米海域で水揚げされ、生息環境が南シナ海と似ているため味も南シナ海産黄魚に近いという。ただ疑問点として黄魚はこの時季も町の海鮮市場やスーパーで普通に売っているのに、なぜわざわざ拉菲黄魚を使用したのか。可能性として一つ目は、旅行閑散期のため鮮魚の仕入を少なくし、突然の注文には便利な冷凍黄魚で対応するという理由。二つ目は、「拉菲大黄魚」とあるが実は普通の黄魚で、ただネーミングに特別感を付加させたいという理由。真実は不明である・・・。まぁ次回何か注文する際はスタッフによく確認したり、場合によってはレストランの厨房へ行って現物を確認することにしよう。


【四日目】最終日、哈爾賓に帰る日だ。最後は鐘鼓楼の下を通り東門の前を右折して両者に別れのあいさつをする。その後は駅に向かって南下。途中古い建物があったので撮影した。しばらく歩くと四つの大きなアーチがある城門が現れ、そこから古城を出る。城門前の広い「蓮花湖公園」を通り抜けるとそこは駅だ。発車時刻まで時間があったので公園の水辺で少し休む。滞在期間は短かったが、山や海、歴史遺産と色々楽しむことができて非常に満足した。また別の季節にも来てみたいと思う。

山海関駅から高速鉄道G1261に乗り5時間、哈爾濵に到着。辺りはすでに暗く駅舎のライトアップがきれいだ。徒歩で帰宅する途中、人々でにぎわうソフィア大聖堂の前を通る。ここまで来るとホッとして気が楽になる。家まであともう少し、旅の余韻を感じながら歩いて行こう・・・。