八泊九日の石家荘・平遥・太原(6)2023.09.29


【五日目】平遥の三日目。この日も城内の古い屋敷や廟を見学、その後は城壁下の道を内と外から観察しながら歩いた。見学場所とその順番は以下の通り。中国鏢局博物館は一つ前の篇で紹介した「同興公鏢局博物館」と重複する部分が多い。また「城隍廟」では写真がきれいに撮影できなかった。そのような訳でその二か所の紹介は割愛する。つまり★印のある場所についてだけ記事とした。
 1.日昇昌記・中国票号博物館(両替商「日昇昌」旧跡)★
 2.中国鏢局博物館(旧時の運送会社跡地に開設された博物館)
 3.文廟(孔子を祭った廟。孔廟)★
 4.城隍廟(城隍〈鎮守神〉を祭った廟)
 5.二郎廟(二郎神を祭った廟)★
日昇昌記に清・光緒8年(1882)の平遥県城図が展示されていたので転載・加筆した。赤星は古城のシンボル「市楼(金井楼)」。赤丸はこの日訪れた場所、青丸は今回利用した旅館のおおよその位置だ。この古地図を見ると、例えば関帝廟、火神廟、井神廟など様々な廟が多く存在していたことが分かる。この日訪れた二郎廟も別にもう一つ城隍廟の近くにあるのを見つけた。当時の人々はそれだけ信仰に熱心だったということだろう。


日昇昌記・中国票号博物館  清代の両替商「日昇昌記票号」の屋敷跡。屋号は「日昇昌」。先日見学した「百川通票号」と同じ両替商。他の屋敷と同様に地下金庫がある。その他、当時の木印や手紙など両替商に関連する事物が展示されている。この場所は観光客に大変人気があるようで、前日訪れた時は入口に群衆が殺到し動けない状態だったので見学を諦めた。そしてこの日は早目の朝8時半に来たので普通に入ることができてホッとした。  


この屋敷で感心したのは、建物の装飾が細微で美しく、屋根のシルエットが青空に映えてとても綺麗だったことだ。床の敷石も時代を感じる。また一角に当時は富貴の象徴であった「轎車」(かご型の二輪馬車)も展示されている。やはり古城にはこのような馬車がお似合いだ。馬に引かれ道をコトコトゆっくり移動している姿を想像すると、現代人の慌ただしくストレスフルな生活が本当に嫌になる。文明が進み生活が便利になった反面、何かを犠牲にしているのかも知れない・・・。


文廟  文廟(孔子廟)は、孔子の故郷・曲阜を筆頭に中国各地に存在している。そして廟内の中心的建物が「大成殿」。平遥の大成殿は金・大定3年(1163)の修築で、現存する大成殿の中では全国で最も古い建物だという。ちなみに百度百科によると、現在曲阜にある大成殿は清・雍正帝2年(1724)に修築したものとのこと。

☘文天祥の「魁」 大成殿の北側の壁に巨大な字で「魁」と書かれている。最初見た時は何だと思ったが、現地の説明によると清・乾隆年間に廟の学生が文天祥(1236-1282、南宋末の政治家)の筆跡である「魁」の字を壁に投映・臨模したのだという。「正氣歌」を残した文天祥は愛国の英雄、また科挙の状元(首席合格者)でもあり、いつの時代でも人々から非常に尊敬され続けてきたのである。

☘轎車  日昇昌記でも展示されていた当時の贅沢品・轎車(かご型二輪馬車)。乗り心地はどうなのか一回乗ってみたい気がする。  


二郎廟  道教の神・二郎神を祭る廟。百度百科によると、二郎神は灌江口(現在の四川省都江堰市)の出身、治水等で民衆を苦難から救済する神として大いに信仰を集めたという。さて平遥の二郎廟は清代の創建で、中国内の二郎廟の中でも最も古代建築群が完備されているとして評価されている。


城内の散策  適当に歩きながら古い建物を撮影した。少し気になったのが「天主堂」。百度百科によると、清宣統2年(1910)の創建で、現在の建物は1984年に修築されたものだという。私が訪れてた時は改修工事中だったようで、中国の旅行口コミサイト「馬蜂窩」に掲載されている2018年8月撮影の画像には見られる十字架の尖塔が、この時は無い状態であった。

「馬蜂窩」に紹介されている天主堂(2018年8月撮影)


城壁内外の散策  城内を散策した後、雄大で迫力のある明代の城壁を内と外の道を歩きながら鑑賞した。高くそびえ隙間のない強固な城壁、当時は戦いで城を攻め落す場合は大変な労力が必要だったであろう。やはり調略で内から城門を開けさせる方法が最も効率が良かっただろうと感じた。


さてさて、この日もよく歩いた。翌日は列車で太原に移動する。平遥滞在中は地元料理を多少は味わったが、それに関しては次の篇でまとめて紹介する予定だ。先日の夜は白酒を飲み過ぎて奇行に走り反省、この夜は部屋で静かにチビチビ飲みながら翌日の計画を立てた。このようにしてこの日も終わる。下の画像はこの日に見た刀削麵ロボット。おいしいのだろうか・・・。

八泊九日の石家荘・平遥・太原(5)2023.09.29


【四日目】平遥の二日目。この日は主に城内の古い屋敷を見学する。平遥は観光スポットが多く今回の滞在期間中に全てを見ることはできない。そこで旅館主人に薦められた場所を参考に選んだ。朝は先ずインスタント麺・白象「粉麺菜蛋(骨湯麻辣燙味)」を食べる。この製品の面白いところは、小麦「麺」と澱粉「粉」(ハルサメ)の二種類が入っていること。茶葉蛋(茶葉ゆで卵)が付いているのもイイ感じだ。そして出発、気に入った古い町並みや建物を撮影しながら歩いた。この日の見学場所とその順番は以下の通り。
 1.天吉祥博物館(商社「長盛蔚」旧跡)
 2.市楼(金井楼)
 3.同興公鏢局博物館(運送会社「同興公鏢局」旧跡)
 4.百川通晋商家俬博物館(両替商「百川通票号」旧跡)
 5.平遥県衙博物館(役所「平遥県衙」旧跡)


1.天吉祥博物館
清代の有名な商行(商社)「長盛蔚」の屋敷跡。HPによると屋敷は明代築。当時、中国各地およびロシアなど海外にも支店を有していたという。ここで印象に残ったのは明代の皇宮献上用の大きな酒甕、清代の木彫「九龍壁」、そして光緒26年(1900)8月建立の慈禧太后(西太后)の祈願による「平安」碑。1900年8月と言えば、八カ国連合軍が北京紫禁城に迫り、西太后が光緒帝を連れて紫禁城を離れ西安へ向けて逃亡生活を始めた時期だ。西太后は平遥にも滞在したというが、この石碑もそれと何か関係があるのだろう。


2.市楼(金井楼)
城内のほぼ中心部辺りにある平遥古城のシンボル的な楼閣。百度百科によると創建年代は不明、清・康熙27年(1688)に修築されたという。平遥の道はほとんど直線なので、その美しい高楼は比較的離れた道の端からも確認できる。楼の見える風景は古城の独特な雰囲気を更に深め、また旅人にとっては自分の居場所が即座に確認できて安心感を与えてくれる。


3.同興公鏢局博物館
運送業者「同興公」の屋敷跡。百度百科によると、創始者は全国的に有名な武術家・王正清。当時は山賊など治安の問題が存在していたので、武術を身に付け武装した鏢師(用心棒)が顧客の貨物を護送した。同興公は1900年に西太后が西安へ逃亡する際の金品輸送を担当し、任務完了後に西太后から「奉旨議叙」の額を賜った。実は翌日にも別の鏢局関連の屋敷も見学したが、当時は運送業の需要が多かったのだろう。


4.百川通晋商家俬博物館
百川通票号の屋敷跡。「票号」は両替商(旧時の銀行)のこと。百度百科によると、当時は全国でも有力な票号の一つで、全国各地に約30か所の支所を有していたという。さてここだけでなく他に見学した屋敷でも面白いなと感じたのは「地下金庫」。一階の部屋の床に地下金庫に通じる四角い穴が設置されているので、受領した金品を地下に瞬時に収納できるので確かに便利かつ安全だ。


5.平遥県衙博物館
旧時の平遥県役場跡で、裁判所の機能も有していた。城内では比較的広い敷地を有し、現在は博物館として整備され見所も多く、観光客の人気スポットである。特に印象に残っているのは、「大堂」(法廷)と「牢獄」。それらは中国の歴史ドラマを見ていると時々登場するので馴染みはあるが、古い実物を見たのは初めて。それに付随して囚人移送車や首枷、足に付ける鉄丸、また別の場所には拷問用具、処刑用具なども多数展示されている。その他、元代建築の「大仙楼」も見逃せない。


☘大仙楼  元・至正6年(1346)の創建、県衙旧跡の中で一番古い建物だ。入口の大門から見て敷地の一番奥に位置する。城内には明・清代の建物は多く見るが、元代のもの少なく貴重で、平遥古城の歴史の長さを感じさせる。


☘大堂  主に法廷として使われた。正面の海に昇る赤い太陽の絵が印象的である。ふと床を見ると材質の異なる石板が二枚はめ込まれており、表面には複数のくぼみがある。ネットで調べたところ、それらは「跪石」と言い、一つは原告、もう一つは被告が跪くとのこと。

さて大堂に向かって左に隣接する部屋の前に気になる石碑を発見、読むと当時の困った社会状況が目に浮かぶようで面白い。
向かって右の一つは、民国11年(1922年)、平遥県知事・呉潔己の建立。
 「喫煙・纏足・賭博、民生三害、非改了不可」
 (阿片吸引・纏足・賭博は人民生活にとっての三害であり、止めなければならない)
左の一つは、山西督軍兼省長・閻錫山の建立。
 「貪官汚吏・劣紳・土棍、為人群之大害、依法律的手続非除了他不可」
 (腐敗役人・劣悪紳士・ごろつきは民衆にとって大きな害であり、法律手続に
  依って排除しなければならない)

☘牢獄  入口を入ると見える正面の壁に書かれた大きな「獄」の字が印象的だ。現地の説明によると、ここは中国で唯一現存する清代の牢獄で、当時は水牢もあったが既に取り壊されて今は無い。その後1960年代まで牢獄として使用されていたと知って少し驚いた。かつて囚人としてこの牢獄で過ごしたことのある人がまだこの世にいる可能性が高いということだ。

☘拷問・処刑用具  多数の道具が展示されていたが、それらの多くは一目見ておぞましく感じ、使用場面を想像すると気分が悪くなる。ここまで残酷になれるのは人間の本質なのだろうか。現在も世界各地で生じる残虐行為がメディアで頻繁に報道されるが、悲しいかな人の本質は長い時が経ても変わらないようである。


さてさて、年をとっても欲張り癖は治らず、この日も多くの観光スポットを精力的に見て回ったので結構疲れた。旅館に戻り主人が経営する土産店で大甕に入った量り売りの白酒を購入、グビグビ飲んで疲れをいやす。確かに美味い酒だ。店の前は西大街、通りは照明がキラキラ輝き、行き交う人々でにぎわっている。この夜、気分が大いに盛り上がり調子付いて飲み過ぎてしまった。久々に見事な千鳥足になり、真っすぐ歩けないのが自分でも認識できる。店の内外でフラフラしていると旅館の主人にそろそろ部屋で休むように言われ、素直に戻って寝た。まぁまぁ世界遺産の平遥古城で痛飲できて今ではいい思い出になっている・・・。