【2024年1月20日】1か月間の一時帰国スタート


中国の春節休みを利用して一か月間一時帰国した。前回の帰国期間は前年7月15日~8月19日の暑い時期だった。5か月後なのでそれほど懐かしいという感覚はないが、時期が雪の降る寒い冬なので雰囲気がまったく違ってた。
哈爾濵発の飛行機は朝早いので、前日は空港近くのホテルに泊まる。部屋の窓からは暗闇の向こうに空港の照明がキラキラ輝いているのが見え旅情をかきたてる。うーん、明日は帰国か・・・。
翌日、遅延なく飛行機は飛び立った。地上を見ると全ての活動が停止したかのように白い世界が広がっている。まさに天然版「哈爾濵氷雪大世界」、くねくね曲がりながら流れる松花江もそのまま凍結している。前回夏の帰国時には当然見られなかった景色、季節感が強烈で面白い・・・。


高島の自宅に帰ると、やはりホッとして気が休まる。帰国中は計画している旅行以外は特にすることもないので毎日のんびりだ。時々運動と買い物をかねて徒歩や自転車で外出する。少し離れたスーパーまで行って帰ってくることが多い。途中、広い農地の中を通る細い道がある。そこは私のお気に入りの散歩コースで、用水路に架かる橋の上では景色を眺めたりストレッチ体操をしたりする。このような平凡で平和なひと時に生きている幸せを感じる。


中国では全く飲まないウイスキーだが、日本では好んで飲んでいる。以前はバーボンばかり飲んでいたが、5年ほど前か正確に覚えていないが、スコッチを飲むようになった。人体の変化か老化か原因は不明だが味覚が変化したようで、バーボンは甘すぎると感じ、苦みのあるスコッチを好むようになった。この先数年経つとまた好みが変化しているかもしれない。その時は何を飲んでいるのであろう・・・。


今津町に用事があり琵琶湖沿いの道を通ったので、浜辺に下りてみた。そこにはいつ見てもきれいな景色が広がっている。やさしい波の音、湖上にポツンと浮かぶ竹生島、雪を少しのせた伊吹山、ずっと眺めていても飽きない風景。この湖には精神的ストレスの多い現代人をやさしく包んで癒してくれる不思議な力があるようだ。そう感じるのは私ひとりだけであろうか・・・。


香港へ行く前日、JR湖西線に乗り天王寺へ向かう。天王寺では軽生会会員の齋藤さんと新年会をし、自分はそのまま駅近くのホテルに宿泊する。自宅のある地域は数日前から雪が降り、車窓からは雪に覆われた白い世界が広がっていた。長年見慣れてはいるが冬の厳しさを感じさせる景色だ。そしてつい口ずさんでしまう。
 湖西の冬は、何もない冬です・・・ 

三泊四日の山海関(4)最終回


山海関の二日目、老龍頭から古城に戻り、西門・迎恩楼と南門・望洋楼などを見学後、「王家大院」に向かう。到着時刻は午後3時半、この日観光する最後の場所である。

王家大院(山海関民俗博物館)  現地の説明によると、建物は明末清初の創建、咸豊年間に繁栄し光緒年間には「万里長城第一家」と称されるほどの豪商になっていたという。邸内を見て回ると現在は全体的に劣化が進みホコリっぽくすすけている。また別名が民族博物館なので本来王家とは関係のない文物が収蔵されているかもしれない。ただ建物の装飾を見ると確かに当時は隆盛を極めていたのだろうと充分想像できる。なおガイドさんによれば、王家の皆さんは現在海外に暮らしているという。清代の富豪も中華民国、中華人民共和国と社会が大きく変わる中で大変苦労したのだろう。

☘謎!林則徐の書  ある部屋でガイドさんが「これは林則徐の書です」と説明してくれた。それを見ると縦40㎝、横20㎝くらいの額装で、落款は「丙子(1816年)秋暮 少穆・則徐」と読める。またガイドさんは林則徐がこの邸宅に来たこともあると言っていたが、現地に詳しい解説文はなかった。後日、詩文の内容や林則徐と山海関の関係についてネットで少し調べたが何も分からず謎は深まるばかりだ。まぁまた時間がある時に調べ直してみよう・・・。

☘陳圓圓の部屋  敷地内に呉三桂の側室・陳圓圓の建物がある。一時期ここで呉三桂と住んでいたという。そして陳さんが使用していたという家具や雑貨も展示されている。
部屋の入口には「慟哭六軍倶縞素、衝冠一怒為紅顔」の文章が対で掛けてある。これは呉偉業の詩『圓圓曲』の一部。一般的な解釈は、李自成によって北京が陥落し崇禎帝も自殺したと聞いた呉三桂は「慟哭して全軍を喪服にさせたが、それは陳圓圓の為に激怒したからだ」というのもの。この詩に呉三桂を責める意が含まれているのかどうか、またこの話の史実的な真偽も不明だ。つまり呉三桂と陳圓圓に関する事柄については謎が多いのだ・・・。


王家の観光も終了、後はホテルへ戻って食事をするだけだ。帰り道、この日もまたきれいな夕日を見ることができた。鐘鼓楼から西に伸びる西大街のちょうど直線上に夕日が落ちていく。日の輝きと空のグラデーション、鐘鼓楼と街並のシルエットが美しい。明清当時の人たちも同じような景色を眺めていたのであろう。古い街並の保全には色々不便も伴うだろうが、この美しい夕日を見るとそれも悪いことではないと感じる。


山海関古城で最後の夕食。この日もルームサービスを利用した。前日は三品注文したが多すぎたので、この日は「黄魚料理」を一品だけ注文した。酒は老龍頭からの帰りにスーパーで買った古越龍山の紹興酒(八年陳)。黄魚は中国ではお馴染みの魚で、スーパーでも普通に販売している。自身も何度か食べたことがあるおいしい白身魚だ。今回も実際に食べてみるとフカフカ・トロトロして美味だ。
さて後日、その時渡されたレシートを見てみると料理名は「鶏汁拉菲大黄魚」(黄魚のチキンソース煮)とある。おや「拉菲大黄魚」?! 何か普通に売っている黄魚と違う種類の魚のようだ。ネットで調べてみると「ブラジル黄魚」の俗称で南米海域で水揚げされ、生息環境が南シナ海と似ているため味も南シナ海産黄魚に近いという。ただ疑問点として黄魚はこの時季も町の海鮮市場やスーパーで普通に売っているのに、なぜわざわざ拉菲黄魚を使用したのか。可能性として一つ目は、旅行閑散期のため鮮魚の仕入を少なくし、突然の注文には便利な冷凍黄魚で対応するという理由。二つ目は、「拉菲大黄魚」とあるが実は普通の黄魚で、ただネーミングに特別感を付加させたいという理由。真実は不明である・・・。まぁ次回何か注文する際はスタッフによく確認したり、場合によってはレストランの厨房へ行って現物を確認することにしよう。


【四日目】最終日、哈爾賓に帰る日だ。最後は鐘鼓楼の下を通り東門の前を右折して両者に別れのあいさつをする。その後は駅に向かって南下。途中古い建物があったので撮影した。しばらく歩くと四つの大きなアーチがある城門が現れ、そこから古城を出る。城門前の広い「蓮花湖公園」を通り抜けるとそこは駅だ。発車時刻まで時間があったので公園の水辺で少し休む。滞在期間は短かったが、山や海、歴史遺産と色々楽しむことができて非常に満足した。また別の季節にも来てみたいと思う。

山海関駅から高速鉄道G1261に乗り5時間、哈爾濵に到着。辺りはすでに暗く駅舎のライトアップがきれいだ。徒歩で帰宅する途中、人々でにぎわうソフィア大聖堂の前を通る。ここまで来るとホッとして気が楽になる。家まであともう少し、旅の余韻を感じながら歩いて行こう・・・。