一泊二日の依蘭(下)2023.04.15


昨晩のカップ焼きそばに続き、二日目の朝は「白象」という会社のカップ麺「辣牛肉湯麵」を食べた。インスタントを食べ続けるのは不健康なので今日はこれで最後にしたい。普段は栄養にも多少気を付けインスタント物はほとんど食べないが、一泊二日旅行での二食くらいは体も許してくれるだろう。


廃墟の住宅地  一日目に少しだけ見た廃墟エリアを二日目に再度訪れ、比較的広範囲に見学した。ホテルをチェックアウトし、病院前を通り過ぎる。すると数台の真っ赤な三輪タクシーが路上を颯爽と駆けていく姿が見える。その後ある建物の入口がバッテンに封をされているのを発見。建物が暗い色なので白い紙が遠くからよく目立っていた。近づいて文字を確認すると地元の裁判所による執行処分のようだ。「封鎖!立入禁止!」という強い意志が露骨に表現されているようで面白い。私がパチパチ写真を撮っていると他の通行人も気になったのか少し離れた所から眺めていた。


住宅地の廃墟に到着、人や動物の気配は全く感じられない。ただ鳥が電線に止まっているが見えただけだ。ただ数は少ないが車やバイクが横付けされている建物もあったので、もしかしたら現在も住んでいるのか倉庫として使われているのかもしれない。誰もいない静かな住宅地跡をひとり歩いていると、時が止まったような、撮影用セットの中にいるような、何か不思議な感じがした。廃墟エリアの周囲には多くの高層マンションが建っているが、元住民は現在そちらで暮らしているのであろう。


松花江で流水飲み  廃墟を離れ松花江に向かった。到着したのはちょうど昼の12時、その辺りは護岸工事がされ公園も整備されているが、哈爾浜と比べると地方の小さな町ということなのか人出が少なく感じられた。さて、流水飲みをはじめよう。適当な場所に座りおもむろに缶ビールを飲む。4月中旬だが吹く風も川の水も冷たい。スマホで気温を確認すると3℃、なるほど寒いわけだ。そしてぼんやりと風景を眺めながら少し考える。松花江の岸で船から降ろされた徽宗は当時どのような気持ちで川の景色を見ていたのだろうかと・・・。


流水飲みを終えて周辺を散策していると、「依蘭人民抗洪記念塔」の近くに「徽欽ニ帝登岸處」と書かれた石碑を発見した。自分が今まさに見ている川岸で徽宗と欽宗は下船し五国頭城へと連れて行かれたということだ。この石碑のことは事前には知らず、普段利用している百度地図にも表示がなかった。やはり旅は自分の足でのんびり自由にあちこちを歩き回れば、何か偶然に面白い発見をすることもあっていいものだ。


五国城遺跡  川岸を離れて少し遅めの昼食をとる場所を探していると、これまた偶然に「五国城遺跡」と書かれた石碑を発見。そこでは柵で囲まれて保護されている五国頭城の城壁を見ることができた。かなり破壊が進んだのか簡単に越えられる低い土盛りという印象である。


食堂で昼食 列車の時刻まで余裕があったので、バス停近くの食堂「小南韓」で昼食をとることにした。壁のメニューにあった「地三鮮」(ナス・ジャガイモ・ピーマンの炒め物)と、メニューにはない「番茄炒鸡蛋」(卵とトマトの炒め物)、それにご飯一碗を注文した。ご飯の画像を見ると白米に黄色い小さな粒がたくさん混ざっているのが見えるが、以前聞いた話ではこれは「粟(あわ)」だという。中国では米が「大米 da mi」と呼ばれるのに対して脱穀した粟は「小米 xiao mi」と呼ばれている。私自身は粟を日本で食べた記憶はないが、中国では一般的な穀物のようで、学食でもお粥や白ご飯に混ざった状態で頻繁に提供されている。


食事を終え、バスに乗って鉄道駅へ、駅からは「動車」と呼ばれる高速列車でハルビンへ無事戻る。今回は一泊二日の小旅行だったが、予想していた以上に充実した内容で満足した。たしかに一泊だけでは少しせわしない気もしたが、まぁ近場であればたまにはいいだろう。さて次はどこに行こうかと早速考える自分であった・・・。

一泊二日の依蘭(中)2023.04.15

依蘭に到着した一日目は、前回第一篇で述べたことに加え、今回述べる「依蘭博物館」とテーマパーク「五国頭城」を訪れた。パークには多少の不満を感じたが、他では概ね充実した時間を過ごせたので満足の一日であった。

依蘭博物館  この地の歴史は長く展示物も石器時代から始まり現代に至る。ただ今回は金代、それも特に「五国頭城遺跡」からの出土品に絞って紹介する。それは今回依蘭に来たきっかけが宋の徽宗が崩御した場所が当時依蘭にあった「五国頭城」(別名「五国城」)だったからである。ちなみに「依蘭」という地名が行政区画名として使われ始めたのは展示資料によると清末の1906年に「依蘭府」が設置されて以降のようだ。


五国頭城遺跡について  遼・金の時代に「五国頭城」があった。館内には遺跡の位置を示す地図が展示されていたが、地図が少し古く分かりずらいので百度地図を転載・編集して再確認した。赤線で四角く囲った部分が遺跡のおおよその範囲、丸で囲んだ部分は2003年から建設が始まったテーマパーク「五国頭城」である。パークは遺跡から少し離れた場所に建設されたことが見て取れる。

百度地図より転載・編集

徽宗と欽宗  北宋末の皇帝・徽宗と欽宗は時期は異なるが共に五国頭城で崩御した。それは「靖康の変」に関係する。1127年、金軍によって北宋の都・汴京は陥落、徽欽ニ帝とその他多くの関係者が捕らえられ北方に連れ去られ北宋が滅亡したという事件だ。以前にTVドラマ「精忠岳飛」を見ていたらその頃の状況が比較的詳細に描写されていたので依蘭という地に関心を持つようになった。特に金人の用いた投降儀式「牽羊礼」の場面は生々しく、裸にされてから四つ這いになり羊の皮を被せられるというものだ。ドラマでは二皇帝は肌着を付けているが一般的には全て脱がされるため、特に女性の場合は屈辱に耐えられず多くがその後自殺したという。それとは別に現在私は草書千字文を練習しているが、徽宗の草書千字文に魅力を感じ臨書用テキストとして利用している。そのようなこともあり以前から徽宗趙佶さんには何か気になるところがあったのだ。

上下画像:金人による「牽羊礼」(TVドラマ「精忠岳飛」より転載)
「坐井観天」の場面。中央左が欽宗、座り込んでいるのが徽宗 
徽宗が崩御する場面(TVドラマ「精忠岳飛」より転載)


五国頭城遺跡からの出土品  遺跡からは金代の鉄器や銅鏡が多く発掘されたという。鉄器は武器の他に農具や生活用具が多く展示されていた。当時は鉄器の使用が一般的だったということだろう。

青磚(五国城遺跡出土)


銅鏡には様々なデザインや図柄があるが、それらを見ていると当時の人たちの美的感覚や嗜好、文化程度等いろいろ想像することができて面白い。


テーマパーク・五国頭城  実際の五国頭城はとっくに存在せず、土盛りの城壁が部分的に存在するのみである。私も実際に城壁を見学したが、その時撮影した画像は次回第三篇で紹介する。チケットの説明によると、パークは2003年から建設が始まったがその後開園されることなく時が過ぎ、2017年に県政府の投資により修繕拡大工事が行われて開園に至ったという。最初は多少期待していたが、実際に見てみると失望の二字、建物や展示物の作りは粗末で管理不足か壊れたまま放置されている部分が多く幽霊屋敷のようだった。また営業時間中にスタッフがゴミ焼きをしているのも問題だと思う。ただ「石刻芸術展区」や発掘品の展示コーナー(博物館の展示物と重複するので画像は割愛)は歴史を感じられて楽しめた。


石刻芸術展区  パークの多くの部分には失望したが、石刻展示エリアは清朝以後の新しい時代のものではあるが歴史を感じられた。説明によると、これらの石碑は文化大革命で破壊され牡丹江公路大橋の橋脚用材に使われていたが、その後重要性が認められ回収されたのだという。これらを見て入場料20元を払った甲斐も少しはあったなと感じた。


その後あずまや(亭)で少し休憩してからパークを離れ、街の中心部にあるデパートで靴下、スーパーで酒と食品を買ってホテルに戻った。よく歩いた一日、足に痛みを感じる。シャワーを浴びスッキリしてから夜は酒と好きなTVドラマで依蘭での夜を楽しむ。はぁ~、お疲れ様でした・・・。