四泊五日の銀川・阿拉善左旗(3)2024.05.01🐪


【三日目】この日は銀川から阿拉善左旗へ移動。朝はホテルで朝食。あまり食欲がなかったのでミニ牛肉麺、プチトマト、キュウリだけを食べる。その後は阿拉善行きのバスに乗るため長距離バスターミナル「銀川汽車站」へ行く。ターミナル内では見た目がおいしそうなパンと煎餅果子(クレープ包み)が売っていたので購入した。朝食の牛肉麺は完全に消化され腹が空いていたのである。待合室で座り、その二つをマジマジ見ると、一つで充分だと感じレープだけを食べた。味はまあまあ。クレープに白い魚肉ソーセージが一本入っているのを見つけて「あぁ、お前か・・・」と感じた。そしてバスは定刻通りに出発した。


バスの車窓風景  見所は何と言っても賀蘭山。「銀川-阿拉善」間のバスは「賀蘭山脈(阿拉善山脈)」を越えていく。そのギザギザ切り立った山並みを様々な地点から間近で眺めることができて最高である。途中、明代に築かれた長城も見ることができる。ただこの日の天候は曇り、暑くなくていいが景色は若干ぼやけて見える。山岳地帯を越えると目的地までは荒涼とした平原が続く。時々、馬やラクダの姿が見える。この地域特有の雰囲気が味わえて面白い・・・🐪🐪🐪


市街地区に到着  この日宿泊するホテルまでは少し距離があったのでバスに乗ろうとしたが便が非常に少なく、また空車タクシーも無かったので50分歩いた。まぁ今となっては途中の街並や周囲の風景をゆっくり観察でき歩いてよかったと感じる。旅は歩くことで発見できるものも多いのだ。そしてホテル到着、チェックインをする。部屋は小ぎれいだが狭く、また一階の駐車場に面しいるので当然眺めは悪い。一泊だけなのでいいが、まぁ安宿を選ぶとこういう結果になるのだ・・・。


巴彦浩特城市生態公園  ホテルの部屋でしばらく休憩した後、「定遠営」へ観光に出かける。途中、水の広がる生態公園の中を通る。広々していて散歩するのにとても適した場所だ。


定遠営古城  百度百科によると、古くは漢の名将・班超が西域に出征する際、この土地に駐留し、後に班超が「定遠侯」に封ぜられたことからこの地も「定遠営」と呼ばれるようになったという。時代は移り変わり清朝・雍正年間、戦いで功績のあったモンゴル族の扎薩克和碩親王・阿宝を賞して築城が始まった。その後も親王の地位は世襲され、最後の第十代・达理札雅(1903~1968)まで続いた。後に見学した親王府は彼らの邸宅である。


阿拉善和碩特親王府  当時の建物は戦乱や文革でほとんど破壊されてしまったのか、邸内を見て回ると比較的新しい時代の倣古建築のようである。親王府にしては敷地も建物も小規模で重厚さがなく何か殺風景で残念。まぁここで印象に残ったのは最後の親王・達理札雅とその夫人が王位継承式典後に撮った写真くらいである。その時の年齢は18歳、実に若々しい。ただ12年後の揚得志将軍との写真では彼も正真正銘の‟オッサン”になっていように見える。阿拉善のような乾燥地帯では特に老けやすいのだろうか・・・。 


延福寺  創建は清朝・雍正9年(1731年)。後の時代に何度か修築されたとのことだが、先ほどの親王府に比べると時代の古さが感じられる。


寺を出てから近くの城門楼に上がってみた。眺めはよい。その後は定遠営を出て、隣接する「営盤山景観公園」に向かう。


営盤山景観公園  ホテルへ戻る途中、公園の高台まで登って市街地全体を眺めた。近くには来るときに通った生態公園や先ほど見学した定遠営、遠くには少しくすんでいるが賀蘭山脈も見える。
さて高台に至る階段の途中に「和睦四端」というモチーフの金色の彫像が建っている。現地の説明によると元々古代インドの仏教説話に由来するという。同じ森に暮らす象・サル・ウサギ・鳥の四つの動物が登場し、ある時に互いの年齢を確認した。そして年齢が低い動物が年長者を背負うことになり、一番年齢の若い象が一番下で、一番年齢の高い鳥が先端に位置した。まぁ体の大きさから考えても妥当な判断であろう。そして大樹に実った果実を採り、仲良く分け合って食べたという。う~ん、なかなかイイ話しである。
その後この説話をネットで調べると、「始まりは元々何もない荒れ地に鳥が木の種を運んできて土の上に落とし、ウサギが土の中に埋め、サルが周囲の雑草を駆除し、像が潅水を続けた結果、木は大樹に成長し、やがて森が形成され多くの動物が幸せに暮らすようになった」という話も紹介されている。違う者同士が仲良く共生するのは大切だと分かってはいるが、時に反発し合い戦争にまで発展するのが現実の世界だ。人類は今一度「和睦四端」を学び直す必要があるのではないだろうか・・・。


公園の高台から下り、生態公園を通ってホテルに戻った。途中、スーパーで夜に食べる「餡餅」(あんもち。小麦粉の生地で肉や野菜の餡を包み平たくして焼いた食べ物)を3個買った。外食や羊肉料理のテイクアウトもいいが、この日は部屋でゆっくり簡単な食事をしたいという気分だった。もちろん地酒の焼酎「阿拉善」は準備してある。高い酒ではないが味はなかなか良い。

さてさて翌日は砂漠を訪れる。路線バスはないのでタクシーをチャーターした。料金は8:00~11:00の3時間(実際は4時間利用)で200元、まぁ妥当な金額だろう。部屋では砂漠の様子をあれこれ想像して期待に胸を膨らませつつ、白酒「阿拉善」を飲み、餡餅をかじる。う~ん、幸せなひと時だ・・・。ただまぁ体調管理も大切、深酒せず早目に寝ることにしよう・・・😴

四泊五日の銀川・阿拉善左旗(2)2024.05.01


【二日目】この日の一大イベントは「西夏王陵」の見学。その他は「寧夏博物館」の見学と、レストランでテイクアウトした羊肉料理をホテルの部屋で食べるということくらいだ。

朝は7時過ぎに起床。天気が良いので窓からは蓮花型の劇場がきれいに見える。そしてホテル内で朝食をしっかりとる。ビュッフェスタイルだが、ミニ牛肉麺や目玉焼きはその場で調理してくれるので熱々のうちにおいしくいただけるのが嬉しい。また料理の品数も多く、味も十分おいしい。自身は最近栄養バランスも気にしているので野菜を多めにとる。食後は市バスに乗り西夏陵へ向かう。


西夏王陵  入場券を購入後、園内バスで「1号陵」「2号陵」エリア(下の地図画像で青丸で囲った地域)へ向かう。この日は連休中なので観光客で混雑していた。バス乗り場からも賀蘭山の手前に広がる荒野に多くの遺跡が見え、ワクワク感が増幅される。バスに乗り込み、車窓からも遺跡を見て楽しむ。
百度百科「西夏王陵」によると、2014年時点で西夏帝陵が9座、培葬墓が254座確認できたが、7号陵(仁宗李仁孝)と182号培葬墓以外は埋葬者の最終判断ができず不明ということだ。つまり今回見学する1、2号陵も誰の墓なのか正確には分からない。そう言えば2号陵にあった説明文にも埋葬者の名前が記されていなかった。


1号陵  荒涼とした平原に「陵台」と呼ばれる大きな土の塊が竹の子のようにニョキッと出ていて、普段は見られない何とも不思議な光景だ。辺りには背の低い植物が多く見られたが、途中名前は分からないが高さ3メートルほどの細い木があったので少し観察してみた。見ると蝋細工のような光沢のあるウグイス色の小さな葉と、鋭く細長いトゲが多数確認できる。厳しい生育環境なので極力動物から食べられるのを防いでいるということか。  

2号陵  1号陵のすぐ隣にあるので歩いて移動する。外観や規模は1号陵とあまり変わらないようだ。西夏王朝が滅亡後、全ての陵墓が征服者によって徹底的に破壊され廃墟になったとのこと。元々は華美・荘厳であったろう王陵群の姿を今は見ることができず残念だ。しかしこのような廃墟でも背景の賀蘭山と一体となり独特な雰囲気を生み出し、その風景を充分楽しむことができる。見学後、市街へ戻るバスの窓からも賀蘭山のギザギザした稜線が見えた。ずっと見ていても飽きのこない大変魅力的な山である・・・。


寧夏博物館  宿泊しているホテルの前には蓮花型の人民劇場があるが、その隣には「西夏博物館」がある。展示物の数は膨大で、また午前の西夏王陵見学で多少疲れていたので、今回は寧夏文化の展示紹介エリアと西夏時代エリアだけを見学した。特に西夏文字が使われている石刻や木簡、西夏陵で出土された大きな牛や馬の像、仏頭などが強く印象に残った。牛の目がクリクリしていて可愛らしい。仏頭には「泪痕(涙の痕)」のような釉薬の溶けて流れた跡が見られる。仏教を厚く保護していた西夏が元に滅ぼされ徹底的に破壊されたのを大変悲しんで涙しているのだろう😭・・・と想像するのもロマンがある。


博物館見学後はホテルに戻ってしばらく休憩。その後、夕食に食べる羊肉料理を買うためホテルから徒歩約10分の「国強手抓」という店に行く。人気店でまた連休中ということもあり店内はかなりの混雑で外で待つ客もいた。さて前日に鼓楼近くの「老毛手抓」で食べた「手抓肋条」は羊スペアリブ(肉付きあばら骨)を茹でて調理したものだ。そこで今回は焼いて調理した「烤羊排」(羊スペアリブの炙り)、そして「清炒広東菜心」(広東サイシン〈菜の花〉炒め)を注文、テイクアウトした。
ホテルの部屋に戻ると早速料理が入った容器の蓋を開ける。するとそこには外観からも間違いなく絶対おいしいと確信できる羊スペアリブ炙りがぎっしり入っていた。少し興奮したので白酒を飲んで心を落ち着かせ、そして一つ一つゆっくり味わいながら食べた。皮はパリッと、身は軟らかく美味だ。食べ続けると口中が脂っぽくなるので、適時白酒を飲んで脂を洗い流し、口直しにサイシン炒めを食べる。そしてまたもう一本スペアリブ炙りを口に頬張る。銀川に来て本当に良かった~と感じるひと時であった・・・。

さてさて翌日は内蒙古の阿拉善左旗へ移動する。この地域は哈爾濱に比べて陽射しがギラギラして暑いので体調管理が大切、夜更かしは禁物だ。早めに就寝することにしよう・・・😴