二泊三日の南昌(中)2019.05


南昌八一起義紀念館  南昌といえば、1927年の南昌起義である。そして起義軍の総司令部となった場所には現在「八一紀念館」がある。南昌起義についてはウィキペディアから引用する。

 南昌蜂起(なんしょうほうき、南昌起義、南昌暴動)は、1927年8月1日に中国共産党が江西省南昌で起こした武装蜂起である。市内に司令部を設置して中国国民党革命委員会の看板を掲げた。中華人民共和国では南昌蜂起を記念して8月1日を建軍紀念日としている。日本語版では共産党、国民党のどちらの立場にも立たず、政治的な名称を控え中立的な南昌蜂起を用いる。


【参考】南昌起義を題材とした中国映画3作品
帰国後にネットで視聴した3作品(カッコ内:公開年、利用サイト)を紹介する。時代とともに、例えば周恩来を演じる俳優も世代交代し、彼らの演じ方を比べてみるのも一興である。

1.「南昌起義」(1981年、Youku〈优酷〉)。


2.「八月一日」(2007年、YouTube)


3.「建軍大業」(2017年、Tencent〈腾讯〉)


贛江と「流水飲み」  南昌市内を流れる贛江、私が川辺を訪れたとき、ある親子が楽しそうに遊んでいた。この川は南昌市民にとって無くてはならない貴重な存在なのである。中国には黄河や長江をはじめ立派な河川が多数存在するが、それらの川辺で酒を飲むのは非常に楽しいものだ。以前に園林での飲酒を「園林飲み」と命名し、その大きな魅力を紹介したが、今回は「水の流れを眺めながら酒を飲む」というもう一つの飲酒法である「流水飲み」が自分的に確立したようだ。むかし孔先生は言った:知者樂水、仁者樂山。知者動、仁者靜。知者樂、仁者壽。(知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿ながし)。 私は知者ではなく愚者であるが、それでも水の流れは楽しく感じる。 次はどこの川で飲もうか、今から楽しみである。なお、贛江についてはウィキペディアから引用する。

 贛江(かんこう、拼音: gàn jiāng)、あるいは贛水(かんすい)は、中華人民共和国を流れる川の一つで、鄱陽湖に流入している長江右岸の支流。江西省を南北に貫く江西最大の川である。江西省の別名・「贛」(かん)はこの川に由来する。長さは751km(支流の源流まで合わせた長さは991km)。

二泊三日の南昌(上)2019.05

上海出張中に癒しの小旅行をするのは恒例になっており、精神的健康を維持するために必要不可欠な活動である。行先は去年までは近場の古鎮であった(南翔、朱家角、周荘、西塘)。まぁ各古鎮はそれぞれ趣きがあって良き思い出になっている。しかしどれも同質文化圏内にあり景観や雰囲気も類似していて、少し飽きを感じてきた。そこで今年は少し遠方の土地を訪ねるべく高速鉄道(以下、「高鉄」)に乗り、江西省の省都・南昌市に行くことにした。南昌市といえば、「贛江」とそのほとりにある「滕王閣」、「南昌起義(蜂起、暴動とも表現する)」の地、そしてソールフードの「南昌拌麺」などで有名である。

🍀松江から南昌へ  滞在中の大学宿舎の最寄り高鉄駅は「松江南駅」、そこから高鉄G1355に乗り、約4時間かけて南昌西駅へ向かう。車窓から山や田園風景を見るのも楽しい。たぶん義烏か金華あたりだったと思うが、水田の緑がまばゆいほどに映えていた。

🍀眺望良好ホテル  今回、滕王閣が眺望できる部屋をCtripでネット予約した。ホテル名は「南昌素慈宮巨華江景禅意酒店(Juhua Star Apartment Hotel)。名前がちょっと長いですね。さて、宿に着いたのは夕暮れ時、チェックイン後に部屋に入り、目の前に現れた窓外の風景、電飾された滕王閣は確かにきれいで壮観であった。

🍀滕王閣  なかなか堂々としていて見ごたえのある楼閣である。楼閣から望む贛江(かんこう)は音もなく静かではあるが、流れは滔々としていて大陸の力強さを感じる。夜になると楼閣は電飾でキラキラ輝いていて非常に魅惑的である。詳細はウィキペディアから引用する。

滕王閣(とうおうかく、簡体字: 滕王阁、繁体字: 滕王閣、拼音: Téngwáng Gé)は、中華人民共和国江西省南昌市にある楼閣。岳陽の岳陽楼、武漢の黄鶴楼と並んで、江南の三大名楼とされる。

歴史  唐の永徽4年(653年。一説に顕慶4年(659年)とも)、当時洪州都督だった李元嬰(唐の高祖李淵の第22子)によって、洪州城(現南昌市)の西門「章江門」の西北、贛江の東岸に創建された。名前の由来は、李元嬰が滕王に封じられていたことにちなむ。 上元2年(675年)の9月、唐の詩人王勃が、当時交趾(現ヴェトナムハノイ付近)に左遷された父の王福畤を見舞う途中、ここで催された宴に招かれ、名作「滕王閣の序」(駢文)と「滕王閣」(七言古詩)を作ったことで名高い。 宋末~元初に贛江の河道が東に移ると、閣の跡地は江中に崩れ落ち、以後は南昌城西の城壁城や章江門外に再建された。歴代に幾度も戦乱などにより消失しているが、その都度王勃の名作が思い起こされて再建されてきた。清の同治年間に28回目の再建が行われたが、1929年に軍閥同士の戦争で破壊され再建されていなかった。現在のものは1989年に唐代の遺跡の南に再建されたもので、29回目の再建に当たる。