2019松江旧市街巡り❸園林飲み@方塔公園

方塔公園は去年十分見学したので(参照:当ブログ「松江大学城滞在記【旧市街編1】2018.05」)、今回は単にきれいな塔を眺めながら酒を飲む、いわゆる「園林飲み」の目的で訪れた。その準備作業として、先ずは朝、学食で酒の肴を確保し、バスで旧市街へ移動する。そして公園近くのコンビニ「好徳」で酒を買う。コンビニ近くに饅頭屋があり、肉まん・野菜まんがおいしそうだったので衝動買いする。

入園後にすることは「園林飲み」に相応しい場所探しだ。当然、方塔がきれいに見える場所が第一条件であるが、5月の日中、日差しも厳しいので、木陰になったベンチを選ぶ。そしていよいよ一人だけの酒宴がはじまる・・・

🍀狂人的「園林飲み」の起源  私が蘇州に住んでいた時期(2010.11.10~2012.02.06)に、年間費100元で「園林カード」を取得した。このカードがあれば蘇州の多くの庭園にカードを提示するだけで入園できる。例えば当時「虎丘」や「拙政園」は入園料50元だったので、庭園が好きな人間にとってカードの利用価値は非常に大きい。結果、私は休日に特に予定がなければ、自転車か市バスに乗って適当に選んだ庭園へ行き、そこで景色を愛でながら酒を飲むという行為、つまり「園林飲み」が習慣化したのである。開園時間は朝から午後5時までが一般的なので、「園林飲み」も当然その時間内に行われる。私の場合、前夜は自宅で黄酒を飲みながら王羲之「蘭亭序」の臨書、その後は白酒を飲みながらTVドラマを見ていることが多く、翌日起床は昼前になるので、園林に行くのも昼以後になることが多かった。昼間に世界遺産の中国庭園で飲む酒はあらゆる意味ですばらしく癖になる。ちなみに当時もっとも多く利用した園林飲み会場は「虎丘」である。虎丘は敷地が広く史跡も数多く残されていて、何度行っても飽きがこない。特に「斜塔」を眺めながら飲むことが多かった。

園林飲みの魅力は絶大だ。日常生活で蓄積されるさまざまなストレスを癒してくれる。以前に利用した庭園も安心感があっていいが、園林飲みに適した新たな庭園との出会いも楽しみである。今後も私の園林飲み生活は続いていくのである・・・

2019松江旧市街巡り❷程十髪藝術館

「牧牛少女」 1979年

程十髪藝術館は、中山中路と松江人民北路の交差点北西、清真寺からは徒歩5分ほどの位置にある。程十髪(ていじゅっぱつ)について以前私はあまり知らなかった。ただ現代中国の水墨画家で人物画が多く、どこかの博物館や美術館、図録等でその作品を何度か見たという程度の知識である。去年と今年、彼の故郷である松江に来る機会を得たが、これもまぁ何かの縁であろう。

程十髪の自刻印 「松江人」

百度百科と人民網の二つの程十髪の「年表」を参照すると、本籍は「上海市金山区楓涇鎮」、生誕地は「松江県城西門外岳廟鎮莫家弄」、三歳に「松江馬路橋西富家弄」に転居した。「楓涇鎮」は去年私が西塘へ行くとき(参照「一泊二日の西塘(上)」)に乗車した「松江駅」と下車した「嘉善駅」のだいたい中間地点で、松江駅からは約32㎞(車で約40分)に位置している。生誕地と三歳以降の住所は現在の地図では特定できなかったが、地名から推測すると藝術館から近い範囲内であると考えられる。今後機会があれば詳しく調べようと思う。その他の情報に関しては百度百科から引用する。

程十发(1921年4月10日-2007年7月18日),籍贯上海市金山区枫泾镇人。名潼,斋名曾用“步鲸楼”、“不教一日闲过斋”,后称“三釜书屋”、“修竹远山楼”。幼年即接触中国字画,但给他印象之深莫过民间艺术。1941年毕业于上海美术专科学校中国画系。1942年在上海大新公司举办个人画展,1949年后从事美术普及工作,1952年入上海人民美术出版社(华东人民美术出版社)创作员,1956年参加上海画院的筹备工作,并任画师。长期任上海画院院长,此后,艺术视野不断拓展,“取古今中外法而化之”,在人物、花鸟方面独树一帜。在连环画、年画、插画、插图等方面均有一定造诣。工书法,得力于秦汉木简。他的画早年受陈老莲影响,晚年,画家多作花鸟画。

 日本語の説明が「日本美術保全協会」 のウェブサイト(http://www.nihon-bijyutu.com/)の「中国の画家」一覧にあったので、そこから引用する。

程十髪(ていじゅっぱつ) 1921年~2007年 中国上海市出身 中国の画家・書家 1941年 上海美術専門学校中国画科を卒業する。 1942年 上海大新会社で個展を開催する。 1949年 美術の復興活動に従事する。 1952年 上海人民美術出版社に入社する。 1956年 上海宮廷に絵画を納入する。 1961年 中国画院に参加する。 1980年 日本で展覧会を行う。 1984年 中国画院の院長をつとめる。 2007年 86歳で死去。 本名は程潼。 人物、山水、花鳥画に優れた才能を見せ、伝統技法を守りながらも近代的な技巧を取り入れた表現は高く評価されており、国内だけではなく海外でも高い評価を受けている。 学校に入学するまでは特別誰かから教わった事はなく、学校で絵を学び始めた時には既に絵画の基礎ができていたという。 また、この時、上海美術学校の教師に「十髪」という風変わりな号をつけてもらい、絵画制作を行うようになった。 画風は細筆を巧みに用いた趣のある画風で人物、竹石などを手掛ける一方、写実的な古典人物、仕女、鹿、鳩などを手掛けるなど独自の工夫を凝らし独特の画風を確立していき、上海中国画院にて画師として活躍するようになった。

「晩 帰」 1958年
「少女與幼鹿」 年代未詳
「山水画」 1992年