五泊六日の渭南・華山・咸陽(5)最終回

霍去病の墳墓があるエリア内に、周辺で発掘された文物の展示室がある。今回はその中から印象に残った数点を紹介する。

璧といえば、玉璧を思い浮かべるが、これは「琉璃」とある通りガラス製である。破損部から現れた青色がとても魅惑的な輝きを発している。

金メッキされたピカピカの立派な馬。当時の社会における馬の重要性が分かるような出土品である。

本品は前漢武帝の頃、つまり約2000年前の物である。色の鮮やか、そして不思議なデザインが目を引く。何を意味しているのかは知らないが、当時の人たちの志向の一片が伺えるようで面白い。最近TVドラマ「新三国」50集(下画像〈YouTubeより〉)を見ていて諸葛孔明の背景に類似のデザインが使用されていることに気づいた。漢代では代表的な模様だったということなのか。さて困ったことに「案欄」という二字熟語は辞書には載っていない。「案」は長方形の「机」や「台」の意、「欄」は「枠」や「縁」の意なので、「案欄」で「枠付きの細長い台」を表現したかったのだろうと思う。

「新三国」50集 YouTubeより

霍去病墓エリアから20分ほど歩くと漢武帝の茂陵がある。そこには大きな墳丘がある以外は特に何もない。墳丘に登るのも禁止されているのでしばらく辺りを眺めた後は、次の目的地である楊貴妃墓へと向かうことにした。

茂陵からタクシーに乗り興平市の市街地へ移動し、市バスに乗り換えて馬嵬の楊貴妃墓へ向かう。

右側の破損した墓碑が気になるが、説明文(下の画像)によると、 清朝乾隆年間の陝西巡撫・畢沅 (1730~1797) の揮毫で、左側の新しい墓碑は陝西省書記・李爾重 (1913~2009) が1979年に揮毫したと記されている。

旅も終わりだ。機内では雪花ビールを飲みながら旅の余韻を楽しみ、また次はどこへ行こうかと早々考えていた。いずれにせよ、ようやくこの旅の記事も完了できて正直ホッとしている。

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