山海関の二日目、この日は海岸にある「老龍頭」風景区、そして古城内のまだ訪れていない場所を観光する。浜辺に来るのはこの年8月の金沢市の内灘海岸、りんくう公園のマーブルビーチ以来だ。今回は冬だが久々に潮風に吹かれながら眺める海の景色を楽しみにしていた。ちなみにマーブルビーチは人工的に白玉石を敷き詰めたジャリジャリ硬い場所で、確かに見映えはいいが、自分は天然のサラサラした砂浜のほうが好みである。
タクシーに乗り約15分で風景区に到着、観光客の数は前日の角山長城と同様に多くなかった。敷地面積は割と広く観光ポイントも所々にあるが、先ずは人気No.1の「入海石城」に向かう。
上の画像は「澄海楼」、その前を通り「入海石城」に向かって少し下ると「天開海岳」の石碑がある。現地にはこの石碑の説明がなかったので帰ってからネットで調べた。それによると伝説では唐代の碑で「薛礼碑」と呼ばれている。それは高句麗遠征で功を挙げた薛仁貴(薛礼.614-683)が建てたことに由来する。そう言えば二か月前の10月に太原の「晋祠」を訪ねたが、そこに太宗・李世民が第一次高句麗遠征の帰りに寄り建立した石碑「晋祠之銘並序」〈貞観20年(646)〉があることを思い出した。歴史のつながりが分かると面白いものだ。
《参照:八泊九日の石家荘・平遥・太原(8)》
入海石城 その名の通り渤海の海中まで続く城壁で、ここが万里の長城の東端である。現地の説明では1987年に海側へ拡張工事が行われたとのこと。確かに何百年も経つと地盤の隆起や堆積により海岸線が沖に後退すること(海退)もあるだろう。そうなると正真正銘の「入海石城」とは言えなくなり、また見映えも悪いので改善工事が必要になったのかも知れない。
さて思い返せば2012年7月、明代長城の西端「第一墩」(甘粛省・嘉峪関の西)を訪れた《参照:【回顧録】16日間の甘粛(上)嘉峪関》。その後十年以上を経てようやく東端にも来ることができて感無量である。その間の人生、楽しかったことや苦しかったことなど様々だが、今このブログを見て振り返ると、失敗も多いが概ね充実した人生だったと感じる。家族を含め関わったすべての人たちに心から感謝したい・・・。
上:石城先端から北方を望む。下:南方を望む。中央の建物は海神廟。
浜飲み@老龍頭 石城の南にある砂浜を歩いて海神廟へ向かう。この建物も海上まで伸びているので浜辺とは少し違った景色を楽しむことができる。早速「浜飲み」に適した場所を見つけて座り、カバンから缶ビールを取り出して飲む。プハッ~、気分爽快!海で飲むビールは最高だ・・・。その時の景色を20秒ほど動画撮影したので紹介する。実は当ブログで動画を掲載するのは今回が初めて、記念すべき第一号作品である。
東門「迎恩楼」 海から古城に戻り観光を続ける。迎恩楼はホテルから近いので何度も見たことはあるが、城門上の楼閣に登るのは今回が初めてである。眺めは大変良く、東には鐘鼓楼、北には角山がきれいに見える。
双文井 迎恩楼を下り城内を歩いていると鐘鼓楼の近くに「双文井」という二つの井戸を見つけた。現地の説明を読むと、明・嘉靖『山海関志』に記述があり、城内の他の井戸水は鹹鹵(かんろ、塩気がある)であるが、双文井の水は甘滑(かんかつ、甘く滑らかでおいしい)とある。また古くからの言い伝えとして、この水を飲むと進士に及第できるとして、外国使節も水を持ち帰り贈答品にするなど国内外問わず人気があったという。残念ながら今はこの井戸水を飲めないようだ・・・。
下:『山海関志』「山川一之三」の「双文井」に関する記述部分の画像。
※国立公文書館デジタルアーカイブ所載データの画像に赤い傍線を加筆・転載した。
南門「望洋楼」 南門は古城に到着した初日に通った門で、その時は城門上の楼閣には登らなかった。今回初めて登ってみると、やはり眺めがとても良い。北に鐘鼓楼とその奥の角山、そして少し東側には「天下第一関」の扁額で有名な東門も見える。
望洋楼を下りたのは午後三時半頃。この後は「王家大院(山海関民俗博物館)」に向かう。
続きは次篇にて・・・。