三泊四日の瀋陽(2)2023.04.01


【二日目】故宮  瀋陽で大人気の観光スポット、この日は天候も良く多くの観光客でにぎわっていた。故宮と言えば北京の「紫禁城」を思い浮かべるが、瀋陽の宮殿は清朝初代皇帝ヌルハチ(1559-1626)と第二代皇帝ホンタイジ(1592-1643)が住んでいた場所だ。第三代皇帝順治帝(1638-1661)の代に明朝が滅亡(1644)、北京へ遷都した。
敷地は東路・中路・西路の三エリアに分けらる。東路がヌルハチ時代の最も古いエリアで、次にホンタイジ時代の中路、北京遷都以後の西路と続く。北京の故宮でも経験したが、同じような建物が連続すると次第に興味が失せ最後はチラ見して終了という場所もあった。それでも一通り見学するのに二時間半かかった。ここでは印象に残った幾つかの建物を紹介する。


大政殿  1625年にヌルハチが創建、「八角殿」とも呼ばれる。一番古い「東路」エリアにあり故宮で最も神聖な場所とされる。ホンタイジはここで重要な式典や政治を、順治帝は即位式を行ったという。


崇政殿  後に述べる「鳳凰楼」と「清寧宮」と共に「中路」エリアにあるホンタイジ時代の建物で、日常の政務を行った。1636年に国名を「後金」から「大清」と改める式典はここで行い、後に乾隆帝、嘉慶帝、道光帝が東巡した際もここで群臣の朝賀を受けたという。


鳳凰楼  崇政殿を通り抜けると正面に4メートルほど高い位置に築かれた三層の「鳳凰楼」が現われる。その名のとおり美しく立派な建物だ。「鳳楼暁日」という言葉が残っているが、当時は楼から街の景色や日の出が見えたという。私が行った時は内部は見学はできず、その下を通り抜けただけである。


清寧宮  鳳凰楼を通り抜けると正面に「清寧宮」がある。ここはホンタイジと皇后の居住スペースで寝室もある。建物の東側(画像向かって右側)に位置する部屋(四枚目の画像)で1643年ホンタイジは崩御した。


文溯閣  「西路」エリアにあり、乾隆帝(1711-1799)の勅命で編集された「四庫全書」を保管するため1783年に建造された。その傍らには碑亭も造られ、乾隆帝御製の文章が刻まれた大きな石碑が収められている。なお四庫全書の所蔵庫はここ以外にも北京紫禁城内の文淵閣など全国各地に設けられた。


見て面白い建物装飾  多くの建築物を見て歩いていて、時に壁や柱に施された伝統的で独特な装飾に目が留まることが何回かあった。そんな時は立ち止まりしばらく眺める。今回は特に印象に残ったものを三つ紹介する。
一つ目は、文溯閣の左右通路入口上部に設けられたひさし。細微な彫刻と独特なデザインにセンスの良さを感じる。よく見ると「萬壽無疆」の文字も彫られている。

二つ目は、ある建物の壁に象嵌のようにはめ込まれた半円形の装飾。古代中国の玉器の一つ「璜」(半璧形の玉)もこのような形であった。上部が緑色に縁取られていてきれいだ。これがどういう意味を持つのか気にはなっているが残念ながら今のところ不明である。

三つ目は、龍の装飾。主要な宮殿の至るところに様々な色や形の龍が彫られていてる。龍の装飾は比較的多く存在しているので全てを見て歩くという訳にはいかないが、一つか二つ選んでじっくり観察するのも楽しく、何か新たな気づき・発見があるかもしれない。


鹿鳴春で夕食  二日目は創業1929年の老舗料理店「鹿鳴春」を利用、安心安全な地元料理を期待して訪れた。一人での来店、どんな席に案内されるのか気になったが、通されたのは上階の明るい窓際にある二名用のテーブル席、落ち着いて食事できそうだ。

さてメニューを見ていて少し驚いた。それは先日遼寧賓館で念願かない初めて味わうことのできた「韮菜盒子」が、この店のメニューにもあったということだ。つまり韮菜盒子は瀋陽では普通に販売しているポピュラーな食べ物ということなのだろうか。もちろん店が変われば味も多少は異なるであろう。そこで今回も注文することにした。実際前回に比べて餡がさらに柔らかく、衣にかぶりつくと餡が中から流れ出てきた。餡には乾燥小エビも入っていて味も少し違うようであった。他には当店オススメの「焦熘肉段」(豚肉を粒状に切り衣をまぶして揚げ、それをあんかけにしたもの)とシャキシャキしておいしい「清炒芥蘭苗」(芥蘭苗という葉野菜の炒め物)を注文、これらもおいしくいただいた。

哈爾浜に戻ってから先ほどの韮菜盒子に関する疑問を中国人の先生に聞いたところ、南方など取り扱わない地域もあるだろうが、哈爾浜では肉饅頭や油条などを販売している店に行けば韮菜盒子も普通に販売しているということであった。それならまぁ暇な時にでも饅頭屋に行って確かめてみようかと考えている。

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