◆203高地 当時の日本軍は、旅順港内のロシア艦隊の位置を把握し、的確な砲撃をする為、多くの犠牲をはらいながら203高地を奪取した。戦争当時の写真を見ると樹木が無い荒涼とした禿山だが、現在は木が鬱蒼と茂っていて、激戦地だった面影はない。山頂に着いてみると、確かに旅順湾全体が良く眺望できる。ここには当時日本によって建てられた銃弾型の「爾霊山碑」ある。百年以上経った今でも何かを訴えているかのように空に向かい、直立不動の姿勢を続けている。
◆東鶏冠山北堡塁 ロシアが築いた強固な要塞跡だ。ここも当時の激戦地で、壁には無数の弾痕が見られる。そして日本側による記念碑が建っている。石に刻まれた大正時代の碑文、幾分破損されているが、全文は十分に読み取れる。「明治三十七年八月以来…」。明治37年は西暦1904年、中国は清朝末期である。今回は激動の時代の、その現場を訪れた。僕が死ぬ日までに再度訪れる機会はあるだろうか。それは不明である。